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発達障害と「努力」の話

こんにちは。あすぺるがーるです。


発達障害は「努力」すべきかどうか。


この話題に対する意見は、真っ二つに割れているのが現状です。

私は、どちらの主張にも深く共感していますし、それぞれに妥当性があると思います。


ただ、発達障害と「努力」について語られる度、明示されるべき「あること」が明示されていないことが多いです。

・何をどれぐらいしたら「努力」なのか
・必要最小量の「努力」とは何か

これらが明示されないまま議論が進むから、議論が泥沼化してしまうのではないかと思うのです。


そこで今回は「努力」という言葉のの解釈や、私たち発達障害当事者に求められる「努力」について意見しようと思います。


何をもって「努力」とするか

「努力」という言葉をコトバンクで調べてみると、様々な結果が出てきます。

デジタル大辞泉の解説ある目的のために力を尽くして励むこと。「努力が実る」「たゆまず努力する」「努力家」
大辞林 第三版の解説心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。 「目標に向かって-する」 「 -のたまもの」


これらの解説は、どちらも言葉のプロによる、同じ単語の解説のはずです。

それなのに、前者と後者の解説で全く異なる印象を受けた方は少なくないでしょう。



発達障害当事者に限らず、「生きづらい人々」にとっては「力を尽くして励むこと」と「心をこめて事にあたること」の差は大きいです。



個人的には、発達障害とともに語られる「努力」は後者の意味であってほしいな、と思います。

ひとつの物事に「力を尽くして」なんかいたら、私たち、下手すると力尽きて死んじゃいますもの…


もっとも「骨を折」るのも程々であって欲しいですが。

あっ、本当に骨折しちゃダメですよ。

ほね【骨】 を 折(お)る労苦をいとわず、精を出して仕事に励む。面倒がらないで努力する。骨を折る(ホネヲオル)とは - コトバンク


そして「心をこめて」あたったことの大きさは、さほど問題にされないべきだと思います。


他の人が1の「努力」で可能なことが、10や20の「努力」でようやくできるのが、発達障害です。

たとえ「起きる」「水を飲む」「トイレに行く」のような些細に見えることでも、そこに本人の尽力があれば、それは「努力」と呼べると思うのです。


本人がひとつの物事にどれぐらい力を使っているかは、決して他人がジャッジできることではありません。

心身のバッテリーの大きさ、減り方の速さは、一人一人みな違うからです。


「努力」の必要性

ただ、発達障害当事者だからといって何も「努力」しなくていいかといわれたら、そうではないと思います。

「発達障害だから」という理由で、人に致命的なダメージを負わせるようなことまで看過されてはいけません。


もし他者への致命的ダメージを防ぐことが大きな力を要するならば、そのような「努力」は必要です。


ののさんの言うように、犯罪行為まで「発達障害だから」で済まされることは、発達障害当事者全体への差別や偏見につながりかねません。


それは、あってはならないことだと思います。


求められる「努力」とは

幸いなことに、人に致命的なダメージを負わせてしまうような事柄は、さほど多くはありません。


遅刻しても、期限が守れなくても、忘れものをしても、字を書き損じてしまっても、片付けられなくても、段取り不足があっても、空気が読めなくても、多少会話がすれ違っても、他者が死んだり一生残るような傷を受けたりすることは、それほど多くはありません。

ごく一部の状況における例外を除けば。


それらの過ちは、害のないものならなかったことにし、何かしら差し支えがあるなら誰かがフォローすれば致命的な加害にならないものが大半です。


問題は、なかったことにはできないレベルの、誰かのフォローで補えないような損害や加害です。


それを考えたうえで、私が考える「最低限の努力」のボーダーをまとめると、こうなります。


生命の損失が取り返しのつかないことであることは、言うまでもないでしょう。


他人に見せてはいけないものや事柄を公共の場で見せてしまうことは、程度の広さ深さともに、誰にも取り返しのつかないダメージを生んでしまうことが多々あります。


また、ミスをフォローされたとき、相手にお礼や謝罪の意を伝えないことは、ミスの被害度をより大きくしてしまうものとなります。

フォローに対する非難・罵倒もそうです。

それらは、「自分が周囲に迷惑をかけた」事実や「相手のフォローのおかげで二次被害を防ぐ・小さくすることができた」事実を否定したり、蹂躙したりすることだからです。


逆に、これ以外の「誰にも被害を与えないこと」や「誰かがフォローすればどうにでもなること」を本人の意志に反して「努力しろ」というのは気に留めなくて構いません。

それは発達障害への無理解か、言いがかりです。


自分も相手も殺さない程度の「努力」で、より良く生きていきましょう。


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