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パンチェッタのことばかり考えていた(2,051文字)

 駅のホームに降りたった私は階段を勢いよく上がって改札を通り抜ける。次の階段も一段飛ばしで駆け上がって、実際は駆け上がる感じではなくて、階段を折り返して半地下カフェに辿り着く頃には息が上がっていて、レジカウンターで「アメリカン(はぁ)コーヒー(はぁ)、Lサイズで(はぁ)」となって怪しさ100%だった。

 昨夜は職場の新年会だった。席を決めるくじ引きが用意されていて、二つに分かれているテーブル席の片方に座ることになった。私が座るテーブル席には比較的静かなメンバーが揃い、もう一方のテーブル席は賑やかなメンバーが集まっていた。私の座るテーブル席には上席である室長が座っていて、さほど盛り上がらないメンバーのなかで気を遣っていろんな話題を提供していた。静かな雰囲気の席ではあったが、室長の隣の席にはノリのいい若手の宮本くんが座っていて、室長と宮本くんの掛け合いで、多少場は盛り上がりをみせたが、その掛け合いを聞きながら、私のなかに違和感が増していった。確かに私のなかに何かがあったのだけれど、その場では「何か」を扱うことができなかった。

 今日は濃いブラウン色のチノパンを履いてきた。ワンサイズ落としたチノパンを購入したので、少し腰回りがきつい感じがした。履いていると馴染んでくるはずなので、それまでは窮屈な感じがある。身体にフィットしたものを、と思いすぎて、時々買い物で失敗する。食事制限をしたおかげで体型はやや補正されたが、食事の量で体型の変動はあるし、そもそも年齢が年齢なので、個別の部位は緩んできていて、その中でジャストサイズのものを求めるとなるとなかなか難しかった。理想はしっくりくるサイズ感なので、余裕があるサイズはついつい避けてしまう。結果的にややきつめのサイズを馴染むまで着用することになるのだけれど、ここまでを要約するとやっぱり買い物を失敗した話になるな。

 働くことの恐さはなくなった。世界の側が変わったのでなく、おそらく私の視座が変わったのだろう。恐れから世界をみなくなった。恐れはあったが、私自身が恐れそのものになることはなかった。一体化しなくなったということか。私のなかに恐れがあることに気付いた。私のなかに恐れがあるだけで、私は恐れそのものではなかった。ただそれだけだった。私のなかにある恐れを掘り下げていくと、そこには私の理由付けのようなものがあった。理由付けは100%の思い込みだった。本当にそうだろうかと疑いを持つと、100%の世界は崩れていった。そこはどちらもあるという世界だった。恐いことが起こる確率と恐いことが起こらない確率は同じだった。むしろ恐いことが起こる確率の方が低かった。恐さから逃げるために恐いことが100%起こる世界を想定していた。その方が逃げ切れるような気がしていた。100%の恐れをつくり出して、反動で逃げようとしていた。生きる力を注いで恐れをつくり出し、逃げることに生きる力を使っていた。それで生き抜いて行けると思っていたのだけれど、それだけをして死ぬまで生きたいのか私は。

 昨夜はパンチェッタの仕込みをした。家内に買ってきてもらった豚バラの塊肉、グラムに対して3%の塩をまんべんなくまぶして指のはらで肉全体に馴染ませていった。塊肉は500グラムだったので、15グラムの塩を馴染ませていった。15グラムの塩は意外に多くて、産まれてはじめての作業は思いのほか時間がかかった。塩を馴染ませた後にキッチンペーパーでつつみ、ジップロックで密閉して冷蔵庫に入れた。一晩置いて、次の日にキッチンペーパーを取り替えて、また一晩置いて、その次の日にキッチンペーパーを取って、バットにのせて、そこから2日間冷蔵庫で寝かすらしい。ここ数日パンチェッタのことばかり考えていたので、眠りが浅くて寝不足気味だった。パンチェッタの何を考えていたのかは、自分でもよくわからなかったが、パンチェッタを使ってパスタをつくろうと思っていたので、どんなパスタをつくろうかと考えていたのだと思う。枕元には「しみじみパスタ帖」という本が置いてあった。

 書いてみた文章を凝縮させてみる。解放するように書いてそのなかに出てきたことをフレンチプレスした濃いめの珈琲のような文章にしてみたい。そんなことができるのだろうか。薄い味付けの私の毎日から濃い文章を抽出できるのだろうか。私のなかにあることしか表現できないのだから、可能な限り濃いめの日々を私に体験させてあげたい。濃いめといっても私好みの濃いめだから、苦すぎても困るし、薄いと美味しくないし。しかし濃いめの日々や薄めの日々など、そもそもそんなことは自分でコントロールできないのだから、苦いと感じること、薄いと感じること、あぁ美味しいと感じること、いろんな体験があるのだと思われ、それぞれの体験を慈しみ、生きていくという結論めいた場所に辿り着いたのだけれど、そんな結論を破壊するように書き散らかして解放し、次の世界を紡いでいく。

今日の私はここまで。

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