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逃げる私を観ている私(693文字)

 いつもぼんやりしていて、何があるのか感じ取ることができなくて、それは、私が私を感じていないからで、喜怒哀楽につながっていなくて、その奥にあるいのちにもつながっていないから、あなたの喜怒哀楽がわからなくて、表層にある怒りは恐くて感じ取るけど、深い場所にある、あなたのいのちにはかすりもしなかった。

 逃げていると、触れなくていいし、生存的には安心するのだろうけど、私がわからなくて、当然、あなたもわからなくて、結果的に、あなたの痛みに触れることを無自覚にやってしまい、あなたが遠ざかって行くという現実をつくりだしていた。

 あきらめきれない気持ちと過去と同じような時間を過ごせるのではないかという希望が消えてなくならないよう、弱くてもつながっていられるよう、私の希望は言葉にできなくて、向き合ってくれない、受け取ってくれないとあなたのせいにして、妄想とドラマで生きる空間を埋め尽くしていた。

 きれい事のなかで生きてきたことも、そこにあっていいのは、私のなかにあることだから、明かしたい真実を隠蔽することもあるし、隠蔽すること自体が悪いわけではなくて、だけど、苦しいでしょ、苦しさを増幅させるから、真実を明かして楽になりたいのに、あってはいけないことだと抑圧していた。

 私に触れないようにしてきたのは、人とつながるためで、私を表現すると、嫌な思いをする人がいるし、嫌な思いをした人から、変な人だと思われて、人が離れて、見捨てられ、見切られて、切られるから自分を出さないし、切られないために、自分を出さないし、私とつながらない、つながるわけにはいかなかったのだと。

 今日はこんな感じだった。

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