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男の社会の女性観。『紅一点論』斎藤美奈子


一昔前、アニメや特撮のヒロインは、大勢の男性チームにかならず一人。一歩さがって男性たちをサポートし、恋愛もしくはお色気担当というステレオタイプな女性が普通でした。斎藤さんは、こういうヒロイン像と子供向けの「伝記女性像」を小気味良い文章で結びつけていきます。もともと、児童書の編集のお仕事をされていた方なので、そのときの経験が存分に生きている感じです。

しかも、本書は女性だけでなく、男性の側までしっかり分析しています。例えば、アメリカのサンダーバードやスターウォーズなどは、主役たちが「独自の組織」ですが、日本のウルトラマンのチームは巨大な官僚機構の末端組織だという指摘はするどいと思いました。ガンダムのホワイトベースも、反乱軍側ではなく官軍側だなんて、いわれてみないと気づきません。そういうところに、やっぱりお国柄が反映されているんですね。

さて、子供向け伝記の話ですが。戦前に出版された西洋の伝記は、アレキサンダー、シーザー、ナポレオン、ムッソリーニなど、英雄や勇者の物語でした。軍人だけでなく、政治家や実業家も含まれていますが、神話と伝説と実話の区別はほとんどないそうです。

ところが戦後になると、海外の伝記メンバーはガラっと入れ替わりました。20世紀は戦争の歴史だったはずなのに、軍事色は一掃され、思想家も政治家も実業家も排除されます。伝記の世界では、世界大戦もロシア革命も中国革命も起こらなかったことになっており、残ったのは芸術家と科学者。しかも、白人男性偏重になりました。

そして、国内の伝記にはあまり変化がみられませんでした。宮本武蔵、織田信長、徳永家康、坂本竜馬など。特徴は、時代劇的人選と、前近代の人間がほとんどな点。そして、女性はといえば、実在かどうかもわからない卑弥呼や生没年も特定されていない紫式部、近代の女性はごくわずかという人選だそうです。

では、西洋の伝記では女性がしっかり書かれているかというと、これもまた違います。キューリー婦人のように男勝りで「男社会に適応した女性」か、ナイチンゲールのように「母性」を象徴できる安心タイプか、ヘレン・ケラーのように「少女性」をひきずった父親好みの人物ばかり。

白人女性であり、良家の淑女であり、性的に貞淑である(または結婚していない)という条件があてはまり、かつ有力な男性が支持してくれているなど、少女アニメでも充分通用する条件を伝記の兼ね備えていたとのこと。伝記の選抜からもれる女性は、女性の権利を主張したり、結婚制度に反対して自由恋愛した女性。これが「伝記の国」の論理だと斎藤さんは分析します。

ただし、実在の人物は、そうそう出版社や日本社会に都合いい人生を送ってくれるわけはありません。キューリー婦人は夫の死後に別に恋人がいたし、家庭の主婦としては全然失格でした。ナイチンゲールは戦場での母性的な活動以上に政治活動に熱心で、統計学・調査力・分析力を駆使して予防衛生の確立に尽力した経営者的女性。そして、ヘレン・ケラーは辛辣な社会批評家で、自分で自分の講演活動を興業してしまうような芸達者な女性でした。

でも、そういう部分は日本で出版された伝記では、きれいさっぱり排除されているそうです。もちろん、男性の伝記も聖人君子的でない部分は削除されています。

キューリー婦人の娘は、母と同等の科学的成果をあげただけでなく、国際的平和運動の活動家で女性の参政権や権利拡張運動に加わり、フランスの連立内閣では一時期大臣にまで就任しました。しかし、彼女が日本の子供向けの伝記シリーズにとりあげられることはありませんでした。

伝記・アニメ・特撮映画は、創作児童文学とは別物で、無意識の「物語化」やパターン化が加わって、「親の願望や編集者が考える」子供にうけそうなエピソードが前面に出て、結果的に同じような物語ばかりになっていると斎藤さんは分析します。確かに、子供の頃、伝記の本=道徳の本みたいなイメージはありましたっけ。

この本がでたのは2001年。2002年生まれの娘が、学校の図書館で借りてくる伝記絵本は、結構バラエティに富んでいて驚くようになりましたし、世間でヒットするアニメでは、女性たちが男性と同じかそれ以上に強いのはザラになりました。相変わらずのステレオタイプなものもありますが、そうでない女性像もかなり増えてきた気がするのはうれしいですね。



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