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想像していたのと、まったく違う物語。『「ブス論」で読む源氏物語』大塚ひかり


『源氏物語』といえば、平安文学の王道というか、典型的というイメージがある。でも、『源氏物語』は本当はかなり特異な物語でもあるのだとか。

大塚さんによれば、『源氏物語』以前の物語は美男美女のカップルが主役。でも、『源氏物語』では主人公が、不美人な女性と恋愛しているところが画期的な設定だそうです。有名な末摘花だけでなく、空蝉、花散里もそれほど美人というわけではない。夕顔は魅力的だけど貧しい生活をしていた女だし、明石の君は美人で教養があっても身分が低い。源典侍にいたっては老女です。

『源氏物語』にでてくる、いわゆる不美人というか、パーフェクトでないヒロインを大塚さんはブスといっています。彼女たちの共通項は、父系社会に都合のいい美徳の持ち主。例えば、貞節を守ること、何年捨て置かれてもひたすら源氏を待つこと、家事が上手いこと……などなど。そういう美徳で、不美人たちは源氏の妻の座を得ます。

また、『源氏物語』が書かれた平安中期は、たとえ皇女に生まれたとしても、両親を亡くせば翌日から侍女になるような過酷な運命でした。めまぐるしく変化する貴族社会で、男たちが結婚相手に選ぶのは、たとえ不美人でも金持ちの女。でも、光源氏が選ぶのは貧乏だったり、身寄りがない女だったりします。金持ちの女や身分の高い女とは、どちらかというと不幸な結婚(恋人)生活に終わっているそうです。言われてみれば、そうですね。

そもそも、平安時代は一生離婚しない人のほうが珍しい、結婚制度以前の社会。なのに、光源氏の結婚相手は例外なくみな処女で、死ぬまで夫だけがセックスの相手。当時としては、かなり異様なことです。『源氏物語』のこんな独特な設定に、大塚さんは紫式部の仏教思想をみます。普通の読者の一人としては、大塚さんの考察の当否よりも、『源氏物語』が平安貴族の一般世界じゃないという事実に、目から鱗が落ちる思いです。

『源氏物語』では、理想の女性は大きすぎず、小さすぎず。これは『源氏』以前の物語でも同じそうです。小さい女は受け身すぎて、一時期愛されてもまともな結婚相手にみなされなかったり、幼児性のある女の象徴だったりします。

『源氏物語』以後は、小さい女性が物語のヒロインの主流になっていくそうですが、それはヒロインが受け身一辺倒になり、男にとって都合がよくなっていくのと期を一にしているのだそうです。女性の家に通い婚する母系の時代から、段々男中心の男系社会へと移っていく過渡期を『源氏物語』はあらわしているのではないかと大塚さんはいいます。

ほかにも、『源氏物語』に描かれている平安貴族の社会について、大塚さんはおもしろいことを教えてくれます。たとえば、貴族の男たちの美しさや冷淡さ、地方の受領や武士たちの経済力・生命力などなど。本当に、おもしろいです。『源氏物語』は、退屈な恋愛物語だと思っていただけに、こんなにおもしろく平安時代を読める物語なんだと驚きましたし、改めて『源氏物語』を読んでみたくなりました。

余談ですが、大塚さんの現代的な語り口にはどきっとします。たとえば、源氏が夕顔を「廃院に連れ出してセックスしまくる」だの、柏木が女三宮を「拉致しよう」とするだの「強姦する」だの……まあ、事実そのとおりなのですが、改めて文字にされるとインパクト強いです。

某国文学の教授も、英語で書かれた『源氏物語』の論文に”rape”とあってギョッとした経験がおありだとか。日頃、『源氏物語』を研究する方々は、男女の肉体関係があったことを「実事(じつじ)があった」というようです。漢語にすると、生々しさが軽減されるのでしょうね。


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