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【つの版】度量衡比較・貨幣115

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。

 17世紀の欧州は、三十年戦争・清教徒革命・仏西戦争・英蘭戦争・仏蘭戦争と戦乱に明け暮れていました。フランスは富国強兵を推し進めて領土拡大に邁進し、オランダは英国やハプスブルク家とともにフランスに対抗することになります。ひとまず欧州から離れ、17世紀の世界を見てみましょう。

◆海◆

◆賊◆


北米争奪

1702年の北米大陸

 まずは北アメリカ大陸から見ていきましょう。フランスは17世紀にセントローレンス川流域に植民地「ヌーベルフランス」を建設し、先住民との毛皮貿易などを行っていました。当初の入植者の人口は数百人に過ぎず、南のニューイングランドや先住民の襲撃に脅かされ、利益もあがりませんでした。

 1663年に国王ルイ14世がヌーベルフランス会社を廃止して王室領と定め、多数の植民と軍隊を派遣して直轄支配を開始すると、1650年に1200人だった人口は1666年には3000人以上に増大しました。ただ男性2000人に対し女性は1000人強しかおらず、1663年から1673年にかけて800人もの若い独身女性が「国王の娘」として渡航させられ、入植者の男性と結婚させられました。こうした強引な政策によって人口は増加し、英国植民地や先住民など外敵の襲撃に耐えられるほどになります。

 この「国王の娘」たちには国庫から渡航費や衣食代、嫁入り道具代などとして1人あたり100リーヴル(1リーヴル≒0.5万円として50万円)、持参金として400リーヴル(200万円)が(現物支給込みで)支給され、彼女たちと結婚した男性にも50リーヴルから100リーヴルが支払われたといいます。

 またこの頃、フランスの探検隊は五大湖に到達し、その南のオハイオ川やミシシッピ川を探索し、カナダからメキシコ湾岸に至るミシシッピ川流域をルイ14世にちなんで「ルイジアナ」と名付けました(1682年)。実態としては川沿いや河口部に小さな砦を築くにとどまりましたが、理念としては東の英国植民地やスペイン領を抑え込む、広大な内陸植民地が成立したのです。

 これに対し、英国は1664年にニューネーデルラントを征服し(1674年にオランダから正式に割譲)、1670年には「ハドソン湾およびそこに注ぐ全ての河川の流域」を一方的に領有宣言し、勅許会社「ハドソン湾会社」を設立してこれらの地域での毛皮取引貿易を一任しました。初代総督は国王の従兄弟カンバーランド公ルパートが任命されたため、これを「ルパート・ランド」と呼びます。その面積は390km2、現カナダの1/3に相当しました。

ニューヨーク植民地

 英国はニューネーデルラントの跡地にニューヨーク、ニュージャージー、デラウェアの3植民地を置きました。また1681年にはプロテスタントの一派クエーカーを率いたウィリアム・ペンがデラウェア植民地の一部を譲られ、ペンシルバニア(ペンの森)植民地を築いています。これはペンの父が国王に貸していた1.6万ポンド(1ポンド≒10万円として16億円)もの負債の代わりに受け取ったもので、のち内陸に大きく広がりました。

カロライナ植民地

 また1663年には、英国の王政復古に功績のあった貴族らに対する報奨として「カロライナ(チャールズの)植民地」が設立されます。これはヴァージニア植民地からスペイン領フロリダに至る広大な領域で、のちノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージアに分割されます。首都は国王にちなんでチャールズタウン(現チャールストン)と名付けられました。北米における英国植民地は南北に大きく広がったのです。

海賊横行

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:16th_century_Portuguese_Spanish_trade_routes.png

 フロリダ半島の南のカリブ海諸島は、スペインが早くから植民地を建設して支配していました。メキシコやペルー、フィリピン等からの金銀財宝はここを通って本国スペインに運ばれます。英国・オランダ・フランスはこの地域に進出し、金銀財宝を満載した商船を襲撃しつつ、駐留部隊や先住民を駆逐して入植しています。悪名高い「カリブの海賊」たちです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:CIA_map_Central_America_%26_Caribbean.png

 カリブ海を通るスペイン船は、16世紀には海賊に襲われ出します。フランス王フランソワ1世(在位1515-47年)はスペインを統治するハプスブルク家と戦争していたため、海賊に勅許(私掠免許)を与えて「私掠船」としました。スペインを敵に回した英国やオランダもこれに続き、スペインの船や港を襲撃して莫大な財宝を掠奪します。1588年にスペイン無敵艦隊を撃破した英国のフランシス・ドレークはその最たる者でした。彼らはいわば海の傭兵団で、一攫千金を夢見る危険な荒くれ者どもです。

 17世紀になると、彼らはカリブ海の島々に拠点となる入植地を築き、スペインの貿易ルートを恒常的に脅かし始めます。1623年には英国から小アンティル諸島のセントキッツ島(セントクリストファー島)に入植が行われ、1632年までにバルバドス島、ネイビス島、モントセラト島、アンティグア島が次々と占領されます。オランダは1631年にセント・マーチン(サンマルタン)島に入植し、1634-36年にはベネズエラの北に浮かぶキュラソー島、アルバ島、ボネール島をスペインから奪いました。

 フランスは1635年にグアダルーペ島とマルティニーク島に入植した他、スペイン領イスパニョーラ島(現ドミニカ共和国とハイチ)にもフランス人の無法者たちが勝手に住み着き始めます。イスパニョーラ島は北海道並みに広大(7.65万km2)ですが、スペイン人入植者は南東の港町サント・ドミンゴに集住していて、その他の地は手薄でした。

 彼らフランス人の(不法な)入植者たちは、野生化した牛や豚を森で狩猟し、燻製肉を作って食糧としたため、先住民アラワク族の言葉で「(燻製を作る)木枠」を意味するbuccanが訛った「バッカニア(boucanier)」という名で呼ばれ始めます。スペイン人は彼らを島から追い払いましたが、彼らは北西のトルトゥーガ(トルチュー)島に移り住み、英国やオランダの同類と手を組んで海賊行為を始めたのです。

 これらの海賊たちは入植地を介して各国政府から私掠免許や支援を受け、カリブ海を股にかけて暴れまわります。英国はこれに乗じてキューバとフロリダの間のバハマ諸島(1648年)、キューバの南のジャマイカ島(1655年)などを占領して入植を行い、オランダはベネズエラ北東のトバゴ島(1654年)に、フランスはその北のグレナダ島(1649年)に進出します。ことにバハマとジャマイカはバッカニアたちの拠点となり、1663年頃には1000-1500人以上もの海賊がカリブ海を横行していたといいます。

 著名なバッカニアには、フランス人のロロネー(ロロノア)やモンバール、オランダ人のブラジリアーノらがいます。彼らのうちロロネーやブラジリアーノは年季奉公人あがりの極悪非道な無法者で、モンバールは富裕層出身でしたが残虐ぶりは彼らにも劣りませんでした(誇張もあるかも知れませんが)。英国のバッカニアの代表としてはヘンリー・モーガンがいます。

 彼は1650年代、クロムウェル時代にカリブ海にやってきた男で、ジャマイカを拠点としてパナマやベネズエラを襲撃し、多額の金銀財宝を持ち帰りました。修道士を人間の盾にして身代金をせしめるなど極悪非道ぶりでは人後に落ちませんでしたが、モーガンはこれを元手にサトウキビなどの大規模農場(プランテーション)を経営し、1674年には英国王からナイトの爵位とジャマイカ副総督の官位を授かり、1688年に成功者として世を去っています。

 海賊たちはスペインからの掠奪によって生活していたため、スペインの貨幣である板状の刻印銀貨「ペソ(スペイン・ドル)」が主に流通しました。これは8レアルに相当するため英語でピース・オブ・エイトともいい、1ポンドの1/4ほどにあたります。当時の1ポンドを現代日本円の10万円相当とすれば2.5万円、1レアルは3000円ほどです。

 モーガンが1回の遠征で得たカネは時に40万ペソ=10万ポンド≒100億円にも達しましたが、遠征費用や部下への分配、政府への上納金を差っ引くとだいぶ減ります。また英国がスペインと和平・同盟すると彼らの立場は悪化し、逮捕・拘留されたりするため、モーガンは保険として土地を購入しておいたわけです。1688年に死去した時、彼の遺産は5263ポンド(5億円ほど)もあり、うち黒人奴隷131人(男性64人・女性67人、33人は子供)は1923ポンド(1.9億円)と算定されました。1人平均14.68ポンド(146.8万円)ほどになりますが、女子供は成人男性よりは安く見積もられたでしょう。

 彼ら「カリブの海賊」の黄金時代は、各国の政策に左右されながらも18世紀前半まで続き、袋叩きに遭ったスペインは世界の覇権国の座から滑り落ちて行きます。ただ英国とフランスが敵対関係に入ると、バッカニア同士も対立し、各国の取り締まりを受けて没落し始めました。彼らは富と自由を求めてカリブ海を飛び出し、世界各地で海賊行為を働くことになります。

◆海◆

◆賊◆

【続く】

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