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資本主義社会に疲れた時期に、どう生きるか考えてみた

はじめに


この数カ月間、自分の内面で「働く」ことへの価値観が変わってきている。直近、ゆっくりと余白を取れるタイミングがあったので、改めて生き方について考えてみることにした。

私は少し前まで「働く」ことについて考えていた。というのも、これまで新卒から今まで「仕事第一優先」で約10年ほど生きてきた人生だったが、少しずつ違和感を感じ始めていたからだ。

キャリア支援者の私が、終焉して考えたこと・本まとめ〜30代のキャリアプラン〜
https://note.com/xxliikaxx/n/n32b030dbc8df

生活の中でふと思った疑問

これまでは仕事優先で考えていたが、少し長めに休みをもらうことができたので、何も考えず思いのままに休みを過ごしてみることにした。そこで少し余白ができたことで気づけた疑問が下記の3つだった。

  1. 物理的余白があっても「生産的な時間にするべき」という思考
    休みの日であっても、ゆっくり寝て起きてのんびりすることに対して「時間を無駄にしている」という罪悪感が湧いてしまう。物理的に時間があっても「生産的な時間にするべき」という罪悪感がつきまとい、価値ある時間が堪能ができない。自分の人生なのに囚われているこの思考を変えたい。

  2. 自己犠牲をしてまで成果・貢献・成長を求めることへの違和感
    仕事自体は好きだけど「成果を出すために、貢献するために」「もっと成長するために」と自分のプライベートな大事な時間を削るなど、なぜ自己犠牲をしてまでやっているのだろう。ずっと仕事のことを考えている。

  3. 世の中の市場拡大・売上増をする意味
    世の中の会社を見ていると市場拡大、前年比よりも売上増などを目指しているが、本当にそんなに広げる必要があるのか?投資してもらっているからやむを得ないのか?資本主義社会において必要なことは理解しているが、人間としての幸せと考えたときにどうバランスを取るかも含め考えてみたくなった。

自分で考えていて、少々真面目すぎる部分もあるかと思ったのだが(笑)、走り続けている日々では見えなかった疑問が見えてきた。
せっかくの機会なので色々な本を読んで整理をしたり、自分なりの方針を考えてみたいと思う。

資本主義社会に問いを立てる本

やや内容に触れますので、ネタバレ気になる方はお気をつけください。

①成人発達理論から考える成長疲労社会への処方箋

まず、一番共感度が高かったのが下記の本。

成人発達理論はコーチング・マネジメントを行う際にも非常に参考になる理論だったのと、タイトルの「成長疲労社会」というのがかなり参考になりそうだと感じた。

要素としては、成人発達理論の要素はそこまで濃くなく、現代社会の課題提起的な部分が興味を持てた。気になった箇所は下記。

◎現代社会についてのメモ
・現代社会では絶えず「成長・成果」を求めて、自分を良き者にしていこうというプロジェクトに盲目的に参加させられていることを認知すること。その結果として燃え尽き症やうつ病を患ってしまう人たちが後を絶たないような状況が見られる。

・今の社会では能力=生産性やお金を稼げる能力が評価されるものに偏っている。だが本来は能力は多様で、また成長プロセスも歩みも人それぞれ。一方で、できるだけ時間を短縮して時間がかかることを極端に嫌う。その流れに組み込まれてしまうと、時間をかけて行わないといけない大切なことを見失ってしまう。その中でも極めて重要なものが私達自身の成長発達であり、課題が自ら解決していくために心にゆとりを持つこと。

◎その他メモ
・生存するためにマルチタスクで忙しい動物とは違い、人間に与えられた特権は「観想的な生」を生きること。創造や観想的な生と深く結びついている退屈さと言うのは、本当の意味での自由に向けて私たちを様々なしがらみから解放してくれるもの。

・人間の本質的な成長とは、自分の痛みや苦痛を引き受けるところから始まり、他者の痛みや苦痛さらには共同体や時代が抱える痛みや苦痛を引き受けながら実現されていくもの。

成人発達理論から考える成長疲労社会への処方箋
新自由主義的社会における「人生を豊かにする」実践的成長論
より引用した自分用のメモ

「成長し続ける」…この働き方に違和感を持つのは、社会人として間違ったことか?と感じていたが、健全な疑問として持っても良いと思った。また会社員としてでもこの価値観を広めてき、会社も社員もより良くなれる方法を考えてみたい。

②世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学

◎読んだメモ
・資本主義の「交換」の原理はやったこととの効果や意味を今すぐ求める。
・実は私たちは陰の功労者から贈与を受けている。何も起こらない日常を享受しているなど。
・既に受け取ったものへの返礼なら自己犠牲ではない。負い目に基づくものならば自己犠牲ではない。
・市場経済、資本主義があるからこそ不合理で偶然な贈与がある。祈りと想像力が必要とされる。
・祈りは届いてくれると良いなという倫理。届かない可能性を前提とする。
届くことがないかもしれないから、祈りながら差し出す。
・誤配された手紙は相手は語ってくれないので、読み解かないといけない。
・教養とは誤配に気づくこと。手に入れた知識や知見そのものが贈与であると気付き、そしてその知見から世界を眺めた時、いかに世界が贈与に満ちているかを悟った人を教養のある人と呼ぶ。そしてその人はメッセンジャーとなり、他者へと何かを手渡す使命を帯びる。使命感という幸福を手にする。

世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学より自分用のメモ

お恥ずかしながら自己犠牲的な考え方があったので読んだが、すでに自分は贈与を受け取っており、このパスを繋ぎたいと思った。同時に想像力で自分が受け取っている贈与に気づいていきたいと強く思う。

③ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~

前の2冊は、とはいえ資本主義社会で実際にビジネスで実践している方の話ではなかったので、3〜4冊目は実際に資本主義社会で経営やビジネスなどの実体験を踏まえての著者の本。

◎読んだメモ
・「受け手」の存在が「贈り手」を育てる
・お客さまからいただく金額よりも大きな価値を提供する。かけるべき時間をちゃんとかけ、かけるべき手間をちゃんとかけ、いい仕事をすること。
・自分たちが本当にいい仕事をできていれば、受け手の中に「健全な負債感」を生む。そしてそれに応えよう、応えなければいけないという気持ちが、直接・間接に作り手に利益をもたらす。
・「不等価」な交換だからこそ、より多くを受け取ったと感じる側(両方がそうと感じる場合もきっとある)が、その負債感を解消すべく次なる「贈る」行為への動機を抱く。
・目的を資本ではなく「ギブすること」にしてみる
・会社内でメンバーの関係を「利用し合う関係性」ではなく、「支援(ギブ)し合う関係性」として構築しようとする。会社は、一人ひとりのメンバーを「利用」するのではなく、そこに根を持った一つひとつの自発性を「支援」する。

ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~

「受け手」の存在が「贈り手」を育てる、健全な負債感という言葉や思想がすごく胸を打たれる。またこれで実際に経営が成り立っていることも、未来に希望が湧く。

また先の贈与の本にも繋がるが、自分自身が自分の労働力の等価交換に縛られていたことにも気づく。

④売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放

こちらも実際に飲食経営されている方の、うまくいっているビジネスモデルや思いや経緯を書かれている本。
こちらは経営的な観点だったので会社員として実践が難しいものの、マネジメントをする立場になった時に応用したい。

そのため著者の方のメッセージを引用↓

「100食以上売ったら」?
「昼だけじゃなくて、夜も売ったほうが儲かるのでは」
たしかに売上は上がるでしょう。
でも、働く時間は増えるのに、給料はあまり変わらない。会社が儲かっても社員が報われないのはおかしい。

「営業時間を伸ばせば伸ばすほど売上は上がる。だから頑張れ」
売上が落ち込んでいると「頑張れ」、元気がないと「頑張れ」、連休前も、連休中も、連休明けも、いつも「頑張れ」。

もう「頑張れ」なんて言いたくない。
わたしは「仕組み」で人を幸せにしたい。

「残業ゼロなんて、うちは業種も規模も違うから無理」
「佰食屋だからできるんでしょ」
「同じだけテナント料を払うなら、なるべく長い時間できるかぎり商売しよう」

ちょっと待ってください。
そもそも就業時間内に 利益を出せない商品とか企画ってダメじゃないですか

「会社を存続させるためには、ビジネスをスケールさせ、 利益を追求することが重要だ」
「多店舗展開をしよう。今年も前年比を更新して売上を増やそう。」

みんなが売上を追いかけてうまくいっていないのなら、
もうそれを追いかける必要なんてない。

売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放
著者からのメッセージ引用

これからどう生きるか

これらの本を読んで思ったのは、とはいえ今の私は資本主義の中の会社で働かせてもらっており、恩恵を受けている部分が大いにある。

そのため「交換」として自分のリソースを使って対価は払いながらも、その中でできる「贈与」を行い、良い距離感で付き合っていきたいと考えている。具体的には下記。

①資本主義社会の性質を理解し「囚われないように管理する」

「成長・成果」を求めて、自分を良き者にしていこうというプロジェクトに盲目的に参加させられていること

先述の内容

盲目的に囚われて自分を苦しめないように定期的に理解すること、またこれまでの癖で過度にやりすぎる自分を管理する必要がある。これまでの流れに身を任せるのではなく、バランスを保ち幸せに生きるために客観視し、習慣を変える訓練をする。仕事で熱を入れたい時期や自己実現などが出てきた場合を除き、過度に残業をしてまで、成長を貪欲に求めたり、強く自己犠牲してまで貢献することはしない。良い仕事はするけど「ここまではやるけどここまではやらない」という線引をしてちゃんと管理をしていきたい。

また時間だけではなく、現在の社会で生きる限りは最低限のお金は大事なので、自分で創っていったり自分にとっての適量の見極めたりは行っていく。

②届くと良いなという祈りを込めて「いい仕事をしてパスを繋げる」

書籍「世界は贈与でできている」では、サンタさん役の親がサンタさんがいないということを知らない子供に対して見返りを求めないように「届かないかもしれない」可能性を前提とする。「届いてくれると良いな」という祈りとしてやっているとのこと。

これまで私は「自分がやったことと等価のものが見返りとしてなければならない」という価値観にいたため、今後は「自分がやった届くことがないかもしれないから、祈りながら差し出す」「時間軸もすぐを求めない」ということを意識していきたいと思い。

また書籍「ゆっくり、いそげ」では、期待以上のものを受け取ったとき、返さなければならないという「健全な負債感」を感じるという。そういったことができれば、恩返しにせよ恩送りにせよ、与え合う循環が生まれるきっかけになり、贈与の循環を生み出すことができるかもしれない。

これからは目的をお金を稼ぐ、ではなくギブすること。これまで与えてもらったリソースを使って、いい仕事をすること。それが贈り手に伝わって、自分に返ってきたり循環したりしていくことを大事にしたい。

また仕事をする仲間ともギブ=支援する関係性を構築する。「利用」するのではなく、一人ひとりのメンバーの自発性を「支援」をしていきたい。

③物理的な余白を作り「観想的な生」を味わい、人間を楽しむ

元々目的がなく何かをやることは好きだが、「観想的な生」という言葉を知り、改めてそういった時間を大事にしたいと思った。例えば私は日本酒や香香り、なにかアート的なものを探求することが趣味だが、そういったことを大事にし、時間をかけていくことをしていきたいと思う。

お恥ずかしながらこれまではそこを重視せず仕事に勤しんでいたが、どこか物足りなさがあった。また確かに生存のために忙しい動物ではなく、人間だけが味わえる「観想的な生」を味わっていきたいと思いので意識的にそういったことを組み込んでいきたい。

④既に受け取っている贈与や目の前の相手のことを「想像をする」

書籍「世界は贈与でできている」で、実は私たちは陰の功労者から贈与を受けているとのことだった。この世に生まれて育ててもらったこともそうだし、毎日が昨日と変わらず当たり前のように変わらず動き続けていることも、多くのものから贈与されているとのことである。

その贈与を受けていることを感じることで、「この贈与を次に繋げなければならない」という、感謝と他の人へのパスの重要性を感じる活力となる。・

また、仕事においては「余裕」を持つ。仲間や支援する相手がなぜその思考や価値観を持つようになったのか…の言語ゲームを理解できるように務め、分かち合って行く。

⑤自分も皆もハッピーになるような関わりや仕組みを作る

今の社会では能力=生産性やお金を稼げる能力が評価されるものに偏っている、とのことで、本来は多様な能力が認めらる必要性があるのに、社会的に認められづらい部分があるとのこと。

そのため、まず私が会社員として働き、仲間やあわよくばマネジメントをする立場になったら、資本主義の生産性や稼ぐに直結しなくても価値を伝えて行きたいと思う。

また最終的には「売上を、減らそう」のように1日8時間働くシステムではなく、自身でそうではない仕組みを作り出せると、かなりベストだと感じている。

これが現時点での私の答え。実際にまた働きながらアップデートすることもあるかと思うので、それはそれで楽しんで行きたいと思う。

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