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金井克子とブリオッシュとコンデンスミルク

人の記憶ってほんとうにおもしろい。

わたしには4歳年下の妹がいます。母のことで頼みたいことがあり妹とラインでチャットしていたら、話が思わぬ方向に。

妹「話飛ぶけどさ八勝センターが今年の3月まで営業していたらしいよ。建物はまだあるみたい」

yahoi 「えっ〜それはびっくり。まだあったなんて!懐かしいね。営業しているうちに行ってみたかったな」

わたしは生まれてから結婚するまで名古屋市の瑞穂区内に生息していたので、昭和時代の瑞穂区界隈はだいたい知っています。

八勝センターというのは子どものころに母がよく買い物に行っていた市場です。妹も名古屋内を離れて長いのですが、たまたま懐かしい瑞穂区を紹介しているYouTube を見たようです。

八勝センターがオープンしたときのことをかすかに覚えているのですが、なにより印象的だったのは当時大人気だった金井克子さんがお店に来たことです。それがオープン記念だったのか、別のイベントだったのかは定かではありませんが「金井克子が来た」事実だけやたら覚えいます。

yahoi「金井克子さん来たよね」

妹 「来た来た〜」

さて、あなだかアラ還世代以上なら、今脳裏でバンバンババンバンってのが聞こえていると思います。😆

そう、『他人の関係』の人です。

ふだんまったく忘れているのに、「八勝センター」という言葉が出てきただけで、そんなどうでもいい記憶がどひゃーと出てきて、脳内がバンバンババンバン状態となるわたしの頭って、四半世紀以上も海外で暮らしていても昭和が顕在!

実はほんの数日前のこと。ここミシガンの自宅でコンデンスミルクの缶を開けたときにふと思ったのです。

「そういえば、八勝センターのパン屋さんで母がいつもブリオッシュを3つ買っていたな。コンデンスミルクをつけてよく食べたけど、あれ美味しかったな」

yahoiの脳内

なので、今日妹がとつぜん八勝センターというキーワードを持ち出してきたときには吹いてしまいました。同時に人間の記憶の引き出しってほんとうにおもしろいとも。

そこで妹にも、ちょうど数日前にコンデンスミルクの缶開けたときに、ブリオッシュ→八勝センターを思い出したばかりだと話しました。

yahoi「あそこのパン屋で買っていたブリオッシュ美味しかったよね。コンデンスミルクつけて良く食べたよね」

妹「うんうん、つけた、つけた」🤣🤣🤣

妹も八勝センターといえば、ブリオッシュを思い出すらしくて、わたしの口から金井克子とブリオッシュとコンデンスミルクが出てきたことで、自分と同じだとめちゃくちゃツボにハマっていました。

yahoi「わたしの頭の中にある記憶では、金井克子はあの日遅刻して来たんだよ。予定の時間になってもちっとも来なくてみんなざわざわして待ってた覚えがある」

妹 🤣🤣🤣🤣🤣

懐かしい当時がよみがえり、二人で人間の記憶の不思議を語らい、お腹抱えて姉妹のラインが盛り上がりました。😂

妹は県内に住んでいるので行こうと思えば行けますが、わたしは在米ですから50年も前にたまに行った市場なんてふだんはすっかり忘れて生きています。今わたしが見ている景色とはあまりのギャップなんですもの。😆

この動画に出てくる八勝センターの隣には、昔喫茶店があって、そこに家族でよく出かけたことも思い出しました。さらに動画隣に出てくる「桜の駅」は昨年オープンしたばかりのようですが、昔は「文寿司」さんでした。実家ではいつもそこから出前をとっていたので、なぜかミシガンの現在の我が家には文寿司さんの湯呑茶碗があります。

米国ミシガン州で暮らすようになり22年、その前サモアが4年、その前の田舎暮らしが12年、その前2年が名古屋市名東区で、その前の21年間が瑞穂区暮らしというのが、わたしの生き場所でした。

記憶をたどるって楽しい。

どの時代もそれぞれの場所で確かにわたしは生きていたんだなぁとしみじみ思いました。このころの話ばかりは米国の友人とも、子どもたちとも共有できませんから妹の存在にあらためて感謝です。

さてこれ読んでしまったアラ還世代、これで今日の頭の中はバンバンババンバンですね。ごめんなさい。




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