見出し画像

【掌編小説】鳥人間コンテスト #2

午前二時、ビルの屋上で、蛍のようにあちこちに赤いランプが灯っている。
二宮燈子は、まだ生温かい夜風に吹かれながら、フェンスを越えて二十階建てのビルの下を覗き込んだ。ひゅっ、風を切る音がする。


 ここから飛び降りれば、わたしと世界は終わる。
不思議と怖さは感じなかった。ただ、背中のあたりがひりひりと痛むだけだった。夏服の袖が、ひらひらとたなびいている。燈子は夢の続きのような、心地よいけれど自分の意志ではもう止められない感覚を、ぼうっとした頭で感じていた。

屋上のへりから、ふと向かい側のビルの電子掲示板に目をやると、カラスが三羽、ライトアップされた菓子の広告の上に等間隔で停まっていた。真ん中のカラスの目が、―LEDの反射だろうかー一瞬、エメラルドのように妖しく緑色に輝いた。


九月一日は、一年で最も十代の自殺が多い日だという。

日本における年間の自殺者数は年間約二万一千人と公表されているが、遺書がないものは変死と区分され、実際には少なく見積もっても年間約十万人以上の死者がいるとされている。

自殺者全体における十代の割合は三パーセント、自殺者数は六百人程度だが、日別に区切ると、九月一日に命を落とす若者が最も多いことがわかる。

多くの学生にとって、夏休みが終わり二学期が始まる始業式の日。
「もしかしたら、自分は変われるのではないか」
「わたしを思い悩ませていた原因は、ひょっとしたら消えているんじゃないか」
クリーニングから帰ってきた制服に袖を通し、早足で学校に向かう。
その淡い期待を、一瞬で打ち砕かれた若者が、毎年、命を落としている。
高二の一学期の途中から不登校になった燈子は、今日学校に戻って何も状況が変わらなかったら、その日のうちに死のうと前々から決めていた。


死ぬことに、明確な理由などいるのだろうか。

きっかけは思い出せない。高校の中で、他の人たちが次第に居場所を見つけていく中で、自分ひとりだけが置いてけぼりになっている気がした。
周りの同級生と仲が悪いわけではなく、人並み程度の付き合いはあったが、どこか一歩引いて、冷めている自分がいた。親や先生は将来のことを考えようとさせるけど、自分をこれから待っている未来に対して、明るい展望がどうしても描けなかった。そんなことばかり考えていたら、学校に行けなくなった。

幸いにも、燈子はまだ何者でもなかった。

夏休みの間、燈子は親の勧めで不登校児の就学・復学支援を行っている団体の夏季ワークショップに、週二回ほど参加していた。
元々は高校教諭だった代表の烏丸という男が、不登校児の社会との接点をつくるためにNPO法人を立ち上げ、首都圏を中心に活動している団体で、燈子が参加していた中野支部以外でも、行き場をなくした多くの子供たちが参加していた。
ワークショップの授業そのものは退屈きわまりなく、すぐに退会しようとしたが、講師やスタッフの親身さに触れ、燈子も少しずつ心を開いていった。

「みなさんは変わることができます」
八月下旬のワークショップの最終回、講習の最後に、代表の烏丸はこう締めくくった。
「羽を痛めた鳥は、ゆっくり休んで傷を癒し、再び飛び立つことができます。温かい南方に向かうことができます。もがきながら、皆さんもどうか勇気を出して飛んでみてください。ふと上空から下を見たとき、自分が悩んでいたことが何だったのか、わかるはずです。よい二学期を迎えられますように」


ああ、やっぱりどこにも行けやしないじゃないか。
私の手で、私自身をリセットしてしまおう。
吸って、吐いて、吸って、吐いて。いっせーのーせで飛び降りようとしたとき、後ろに気配を感じた。

「そこで何をしている」
突然の男の声に、息が詰まる。


どう控えめに見ても、ビルの守衛ではない。
その男は、見れば見るほど奇妙な格好をしていた。

短髪で真っ赤に染めた髪を逆立てて、夏の終わりというのに白いロングコートをTシャツの上に羽織っているが、汗一つかいていない。

白のデニムに、黄色いナイキのスニーカーを履き、燈子の五メートルほど後方に立っていた。痩身だが筋肉質な体つきで、おそらく背丈は百八十センチを超えているのではないか。年齢は三十歳前後か。鋭い眼光で、燈子を見つめている。  

これじゃまるで、にわとりだ。  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?