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仏教は仏教だけやっていても、わからないのかもしれない。

今から十年くらい前に、ものすごく仏教の謎に興味惹かれた時期があって。月に何回か仏教講座に通っていたんだドグよ。

まあ、仏教に興味を持つぐらいだから、自分が無明でしようがないトホホという気分で、どうしたらもっと

「生きてて万全、バッチコイ!」

って気分になるだろうかと、ドグ子は浄土真宗の勉強会に参加していたんだドグね。(;´Д`)☆

それで、浄土真宗の開祖・親鸞聖人はなんとも破天荒な人で。「南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも極楽浄土に行ける」って本気で考えてた人なので。そんな人だから「悪人正機」っていう、善人が救われるんなら、もっと救われなきゃいけない悪人は救われて当然でしょう? っていう理論にたどり着いたんだドグけど、

言葉っていうのは降りてくるものなので。

降りてきていない人にとっては、親鸞聖人の言うことって、

「は?????」

って感じなんだドグよね。

悪人正機ナニソレ、美味しいの? ってなるドグ。

※善人が救われるなら、悪人こそ救われないとダメだよねっていう教え。

だけど、親鸞聖人の言うことが

なんかすごいってことはわかるので、

わからないからこそ勉強して、理解を深めようとみんな、がんばってるわけドグ。

南無阿弥陀仏って唱えるだけでどんな人でも極楽に行けるって、信じたいけど「ギリ、無理」とか思う自分を「何故なんだ」と責め、もっと教えを深めなければ!! とがんばるわけドグよ。

そうなんだドグけどドグ子、一身上の都合から突然、縄文に目覚めてしまったので。縄文は太陽信仰だから、太陽がすべての作物も、動物も、人間も生かしてくれるって思うと、「南無阿弥陀仏」(阿弥陀仏様バンザイ!)って唱えた途端に救われるっていうのは、あまねく世界のものはいつでも太陽が照らしてくれるってことなんじゃないかな? と思って、途端に合点がいったんだドグ。

親鸞聖人は阿弥陀仏の誓願を、「難度海を度する大船に乗る」って表現してて、困難な人生の荒波を渡る舟に乗りさえすればもう、安心だって言ってるんだドグ。

勉強している人たちは「舟に乗れましたか」と聞かれると、「いやいや、まだまだ私なんかは……」と答えるのがけっこう普通なんだドグ。

ところがドグ子、阿弥陀仏は太陽であるという縄文的独自解釈を持った途端に、

「あ、乗ってる乗ってる~☆ もう全然、大丈夫ドグ~!!」

って気分になっちゃったので。

「舟に乗れましたか?」

「あ~、もうバッチリ!! バッチリチリチリ! 
乗れましたドグね~! だって阿弥陀仏って、太陽のことなんでしょう?\(^o^)/♡」

と答えたら、

「阿弥陀仏は太陽ではありません……すべての人を救うと決心された仏様のことです」

と言われても、

「あ、そーなんだ!! でも、バッチリチリチリ! 大丈夫、完全に救われたドグ~!」

という気分に至っちゃったんだドグ。

その頃ドグ子は巨大ストーンサークルを建設するために、石を拾ったり石を集めたり石を並べたりするのに夢中で、他のことが考えられなくなっていたんだドグ。

それで、竪穴式住居を建てたりストーンサークルを造ったりしていると、

もう石とか木材のことしか考えられなくなるから。
悩みそのものが消えていくんだドグね。

悩みようがないんだもの。

恋愛のことで悩んでる時に、恋愛のことだけ考えてても抜け出れないように、

意外と悩んでることから完全に離れた時に、フッと答えが訪れることってあるのかもしれないドグ。(*´ω`*)

ちなみに、このあとキリスト教徒になったドグ子。クリスチャンになったら、土偶が偶像礼拝であることがわかり、引退して悔い改めました。(*´Д`)

そして、親鸞聖人なんかすげえのなんで???って思ってたけど、親鸞聖人って和製イエス様なんじゃないか?って思ったんだドグ!

悪人正機みたいなことが、二千年前に書かれた聖書に書いてあるもの。

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」
[ルカの福音書 5:32]

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4–2–3号

ちなみに、聖書では悔い改めれば悪人でも天国(御国)に入れるけど、イエス様を信じてクリスチャンにならないと天国にはいけないことになってるドグ。(*´Д`)

だって、仏教は輪廻転生するから天国には、行かないわけじゃないドグか。(*´Д`) 天国行かずに、またすぐ生まれてくるんだからして。

そこ、どっちがいいか考えるのも、終活前には大事ドグ〜!


ドグドグ~!!\(^o^)/♡

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