蝋燭の炎は揺らいでいる〜コロナ禍のテレワークに寄せて

<蝋燭の炎は揺らいでいる〜コロナ禍のテレワークに寄せて>

冬の只中、部屋の中の一本の蝋燭の灯火を眺めてみる。一本の蝋燭には、炎が一つ立っている。ゆらゆら揺らめいている炎。その姿を先ずは想像してみて欲しい。

ゆらゆらゆらゆら揺らめいている炎。その軸は常にゆらゆら揺らいでいよう。でも炎はキリッと立っている。ゆらゆら揺めきながらもどこかに向かっていくようにキリッと立っているのだ。時々どこか別の方向に向かう様子も見られる。でもその蝋燭の炎は、揺らめきながらもキリッとどこかに向かって立っている。

蝋燭の炎は、どこかに芯があって、でも中心軸はどこかぶれて動いていて、そう、どことなく揺らめいていて、それでいてキリッと形を為して、力強く立っているのだ。そんな蝋燭の炎の様子から次のようなことを考えてみた。

現在、コロナ禍である。コロナ禍以前は、同じ会社の人間であれば、同じ職場で毎日顔を突き合わせて仕事をしていた。

しかし今はコロナ禍である。同じ会社であっても、社員それぞれが離れたところでの勤務をしているケースも多いだろう。テレワーク。社員それぞれが遠隔での会社生活を強いられている。

そんなコロナ禍のテレワークにおいては、社員一人一人は、自律した行動を求められるようになる。他の仲間が近くにいないという感覚は、皆お持ちであろうと存ずる。その中でも、自律して行動して、かつ他の仲間と共に行動することが求められている。いかに自律していて、かつネットワークを形作り、それに参画していくか。それがこのコロナ禍のテレワークにおいて皆に突きつけられた課題である。

自律感。それを大切にしなければ、まず自らが崩壊する。それは目に見えている。自らが斃れてしまえば、自らを構成要素とする組織もまた崩壊の一途を辿る。だから自らは斃れないように気をつけなければならない。

どうしても遠隔にて働かなければならない現実が目の前に広がっている。近くでの直接コミュニケーションが出来ない、あるいは少ない以上、求められるのが自律していこうとする意識・知識・精神である。

そして他の仲間と共に行動する。これがあって初めて組織が生ずる。こんなコロナ禍。もっと繋がらなければ組織は崩壊する。それは目に見えている。だからネットワークは重要だ。それを支える通信手段もまた重要だ。

さらにそれを包括してく世界観。D2C、つまりダイレクトなトップと末端との繋がり感を伴った世界観の形成が重要だ。そんな世界観の形成が、自律感を伴った、かつ力強いネットワークを形成した組織をテレワーク下でも形作っていく。力強い蝋燭の灯火のように。

自律感を伴った力強いネットワークが形成された組織は、何も踏み固められた油の塊ではない。そういった自律した組織はコミュニケーションの揺らぎを持っている。その揺らぎが次のコミュニケーションの手段と方向を決定していき、次へと進化・深化してくのだ、と思う。

揺らぎが生じさせる違和感。それは解消されるべくして解消されようとする。そう、穴埋めをしようとする善意ある意思がそこに働き、灯火をキリッとさせるのだ。

認知症の患者との対話を考えてみれば良い。彼等と付き合うときに感じる違和感。それを補ってケアしていこうという、善意という意思。意図が通じないところを補っていこうとする善意ある意思が、次のコミュニケーションを物語りを伴って生じさせるようになる。

それは認知症状のないごく普通の人の間にも通じる事項であって然るべきである。

遠隔会議が浸透して、やれZOOMだWebEXだTEAMSだと、遠隔会議ツールが花盛りの様相である。WEB やメールやSNSやビジネスチャットも有効なツールだ。時には電話もあるだろう。電話・携帯電話。昔ながらの通信ツールだ

我々は上記に挙げた様々な通信ツールを駆使して、それらを組み合わせて通信を利用しながら仕事をし続けている。

同じ会社であれば、ある程度統率の取れた同じような使い方をするのであろう。働き方改革・生産性の向上等のためである。それでいて、いかに統率が取れているようにみえようとも、完璧な形のコミュニケーションは形成されない。どうしても揺らいでくる。

ある人がビジネスチャットのあるスレッドを駆使していたとする。仲間の人もそれに動じてそのスレッドでチャットとしている。その間第三者はコミュニケーションの空間を占有されてしまう。そう、コミュニケーションができない状態になる。

だから他の人は他のコミュニケーションツールを使い始める。他のスレッドにての別のビジネスチャットを開始する。それに他の誰かが呼応していく。占有されたコミュニケーションから離れたところで別のコミュニケーションが生ずるようになる。だんだん揺らいでくる。

さらには別の通信手段を用いるようにもなる。遠隔会議ツールに走ったり、ときには電話に走ったりするようになる。通信手段が変わってコミュニケーションの内容も変わってくる。もっともっと揺らいでくる。

いかに統率が取れていようとも、完璧な形のコミュニケーションは形成されない。揺らぎはどうしても出てくるものだ。人によって出てくるちょっとした通信手段の使い方の違い。コミュニケーション内容の違い。そういったものの積み重ねが揺らぎという形で出現する。特にテレワークで働いている場合、その度合いはもっと大きくなっていく。

揺らぎ。すると違和感が生じて、それを解消しようとする意識・知識・精神が働くようになる。自律しようとする力が揺らぎ・違和感を解消しようとするのだ。

そして、揺らぎを解消すべく社員一人一人は物語りを創っていくようになる。一人一人の創造性・想像性が物語りを生じさせて、再結集するようになっていく。ナラティブな対話をしながら再結集するようになっていくのだ。

揺らぎ、そして再結集。そういったことが複合的に起こって、コミュニケーションの方向は時々刻々と変わりつつも、しっかりとした軸も持つようになっていく。

そう言ったことが、こんなコロナ禍のテレワーク環境下でもしっかりとしたネットワークを形成させて組織を形作っていくように仕向けることになるのだ。まるで蝋燭の炎が揺めきながらもしっかりと立っているように。

揺らぎ。蝋燭の炎の揺らぎ。揺らぎ。蝋燭の炎は常に揺らいでいる。でも中心は善意を構成要素とする物語りによって固く守られている。だから炎は立ったままでいられる。テレワーク下でも炎は炎のままだ。

冬の只中、部屋の中の一本の蝋燭の灯火を眺めてみる。一本の蝋燭には、炎が一つ立っている。ゆらゆら揺らめいている炎。その姿からそんなことを考えてみた。

以上


おちゃ11