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100年以上もの間つづく、歴史を守り続けていく人たち。南房総の房州びわ。 ー 千葉のおいしいを大切に ー

4月になると千葉の南房総では、房州びわの出荷がはじまります。収穫は4月の温室栽培で育てられたものからはじまり、6月には露地栽培で育てられた枇杷の出荷へと続いていきます。

5月の母の日には温室栽培の枇杷を贈り物として、また6月には露地栽培の枇杷を父の日の贈り物として、ご利用いただくことが近年多くなっているように見受けられます。

収穫された房州びわ

そして弊社でも、お世話になっているのがびわ園さんの一つに川名びわ園さんという農家さんがいらっしゃいます。川名びわ園さんは、現在ご夫婦で仲睦まじく枇杷の出荷を行なっております。夫婦でびわ農園を切り盛りして、かれこれ50年もの間になるそう。

先代から受け継ぎ、代々南房総と言う土地の特産物でもある、房州びわの栽培に携わってこられた川名びわ園さん。今回は枇杷農家としての功績と苦労、そしてその魅力を伝え続ける川名びわ園さんをご紹介していきます。


房州びわの歴史

川名びわ園さんのご夫婦で50年以上もの間取り組まれており、さらに川名びわ園さんとしては100年もの間、南房総の土地で営まれています。そして房州びわといえば、私の中で思い出されるのが【皇室献上】と言うキーワードです。

最初に聞いた時は、房州びわが千葉の特産物と言うこともあまり知らず『そんな貴重な果物だったんだ。』と周りに気づかれまいと、すかしてた自分を思い出します。

そして皇室献上が開始された年を調べてみると、明治42年(1909年)と100年以上もの歴史があるということを知りました。

房州びわを販売し続けてきて、春になれば入荷してきて、夏になれば収穫の時期が終わる。それくらいの意識でしかなかったのですが、改めて房州びわの栽培が行われはじめたのは、いつですか?そんな問いかけを自分にしてみたところ、まったく知らないことに気づきました。

実際どうやって栽培されていて、どんな環境で?温室栽培ってことは、ハウスの中で育てられている。でも枇杷って、木だよな。木が育つハウスって、どれだけ大きいのだろう。考えてみれば、知らないことばかり。

知らなければ、まずはその歴史から調べてみようと、房州びわの歴史についてGoogleで検索してみたところ、千葉県の一つの報道資料にたどり着いきその内容は現在では、見送られている皇室献上についてでした。

この報道資料によると、皇室献上が行われているのが105回目とのことで、第二次世界大戦の期間は見送られたものの、今まで行われてきたことを考えれば、千葉県を代表するどころか、全国的にも知られている千葉の特産物という認識にもなります。

そして、その歴史を掘り下げていくと房州びわの歴史は約260年にもなるそう。その歴史の長さに驚くと共に、あまりそれを実感せずに販売してきたことに、少なからず申し訳なさが込み上げてきました。

と言うのも、私たちには忘れることの出来ない、今でも残る傷跡が南房総の土地には残っているからです。

2019年の台風被害

私たちにとって、忘れてはいけない出来事がありました。それは2019年に起きた、台風被害です。台風が来ても、千葉県は大きな被害になりにくい印象でしたが、あの年は違いました。

特に9月に来た台風15号。

雨風共に、尋常ではなかったのを今でも記憶しています。私たちがお世話になっている、川名びわ園さんの山にも多大な被害をもたらし、特に露地栽培のびわは、2022年の今の時点でも出荷量には大きな傷跡として残っています。

当時の台風被害がおきた後の、多くのびわ農家さんは倒れてしまった枇杷の木を一本一本立ち直らせていました。その時の動画がありましたので、ご紹介します。

立ち直らせることができた枇杷の木はまだ良いのですが、そもそも枇杷の木が立ち並んでいた山に入ることすら、ままならなくなってしまったのです。

川名びわ園さんの倒木で入れなくなってしまった山には、樹齢50年にもなる枇杷の木があり、『夫婦として携わってきた年数と同じ木ともなると、愛着もあり家族を失うような悲しみだよ。』と、今にも泣いてしまいそうな声で当時のことを教えてくれました。

2019年 台風後の山の様子。

数十メートル以上の枇杷の樹が何本も倒れ、山の景色が大きく変わってしまったそう。とはいえ、立ち止まっているわけにもいかず、倒れた枇杷の木を一本一本丁寧に戻していき、台風被害後に一時収穫量が激減したものの、出荷最盛期の半分くらいまでは回復してきました。と説明してくれました。

ただ出荷最盛期20万にもなる枇杷に、一個一個袋がけしてきた過去を知っているだけに、嬉しそうな笑顔に寂しさも感じました。

2022年3月の山の様子。

房州びわの育て方。

枇杷の樹ともなると、最近では中々目にする機会も減りましたが、以前は庭に植えているご家庭もあったとか耳にしたりします。

そこで枇杷のことをもっと知ろうと、Googleで【枇杷の育て方】を調べてみたところ、下記のサイトに辿り着きました。

枇杷の樹は、3メートルから5メートルくらいの大きさで、大きいものだと10メートルくらいにもなるそうです。そして枇杷の葉っぱが琵琶に似ていることから、その名前の由来だそうです。12~2月に白い小さな花を咲かせ、結実して6月に収穫期を迎えます。オレンジ色の果実は薄い産毛で覆われており、食べると酸味が少なくわずかな渋味が特徴です。

HORTIより引用

3月の枇杷の山に行った時に、少しその枇杷の育て方を伺ったのでご紹介して行きますと、枇杷は一度に多くの実をつけるそうですが、その中でも良さそうな実を一つ残すそうです。

いくつか実るびわを選定。

いくつか実る枇杷の中で、どれを残すか。これは長年の経験によるものだそう。その実を間違えてしまうと育っていく過程で、大きく実らなかったり、切ってみると中が傷んでしまっていたり。と、この選定作業が良い枇杷を育てる一つ目のハードルとなって行きます。

ただ、その選定作業の難易度は、素人が手を伸ばせる範囲と、伸ばせない範囲があります。

何年か前に、撮影しに行ったその風景をご紹介して行きます。

枇杷の木に登る川名さん。

そうなんです。枇杷の樹にのぼりながら、袋がけを行っていくのです。慣れている川名さんは笑顔でやられますが、枇杷の樹は3メートルから5メートルにもなるので、高いところに当然のぼります。危険を伴います。さらには袋がけ当初は、粒も小さいのです。実際に樹にのぼる姿を目の当たりにすると、でます声が。

『た、高いなぁ。よく行けるなぁ。』

と。でも、川名さんは、こんな感じです。

笑顔の川名さん。

何度見ても、川名さんは笑ってます。そして手にしているのが、袋がけされた枇杷です。難しいことを容易くこなしながら、良い枇杷を育てるため、お客様に楽しんでいただくために取り組まれているんだな。と感じました。

過去の功績。

川名びわ園さんは、過去幾度となく素晴らしい評価を受けてきておりますので、ご紹介します。

本来は毎年行われている温室びわの品評会。簡単に言うと、びわ農家さんで行われる腕自慢大会です。ここ数年の騒ぎで2020年は行われなかったようですが、昨年2年ぶりに開催されていました。

この共進会は、びわの糖度はもちろんのこと見た目、箱詰めされている状態などを審査基準としてみていくそうです。

昨年は枇杷の出荷も、例年の1ヶ月も前だったので共進会も早かったようです。サイトにアクセスしていただければ、川名清さんの名前が確認できます。残念ながら千葉県知事賞いわゆるNo.1の称号は逃してしまいましたが、川名さんは過去に8度も千葉県知事賞を受賞しています。

さらには昭和57年までにも遡れば、実は皇室献上された献上びわでもあります。その記念碑がこちらになります。

川名さんのお宅にある献上記念碑。

本当は川名びわ園さんで、私たちと一般のお客様交えて枇杷の収穫体験というものを企画したかったのですが、川名びわ園さんの意向もあり残念ながら今年は叶いませんでした。

ただ5月に弊社スタッフ何名かでお邪魔して、房州びわの収穫体験などを行う予定ではありますので、そのレポートを改めてご紹介させていただければとも思います。

収穫されたばかりの枇杷のイメージ。

こんな色鮮やかな収穫したての枇杷の味や、色、そして風味をお伝えできるように色々チャレンジして行きたいと思います。

これから出荷最盛期を迎えてくる房州びわについて、その魅力をより伝えていけるように取り組んでいきますので、引き続き応援の程よろしくお願いいたします。

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