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【エッセイ】サイコロを振って、公認会計士になった話


「”何をやるべきか”ではなくて、”何をやらないのか””何を捨てるのか”を決めましょう。」  
 
 私が仕事でよく言う言葉。

 「#あの選択をしたから」の記事を書いてみようと色々考えていた時に、この言葉が思い浮かんだ。

 人生はよく言われるように、選択の連続で、その選択をした結果、今があるのだが、選択をするときに、選ばれなかった選択肢は、人生のアナザーストーリーとなり、想像することはできても、永遠にその結論を見る事が出来ない。

 だから、私は選択をすると言う事は、
 「何かを捨てること」
 と考えている。

 なので、今回のお題を「あの時○○を捨てたから」と読み替えてみた。

 では、今まで私は、何を捨ててきたのだろう。
 そして、その時に選ばれなかったアナザーストーリーは、どのようなものだったのだろう。 

 自己紹介記事の中で、少しこれまでの経歴は投稿させていただいたが、私は今までジャンルも、場所も、顧客も、全然違う事を転々としてきた。他の人も同じだろうが、私もその中で数多の選択をしてきたはずだ。

 今回の記事を書くために、「なぜその選択をしたのか」「もし、他の選択肢を選んでいたらどうなっていたのか」を考えてみた。

 そこで、1つの事に気が付いた。

 私は何1つ捨てていないのかもしれない。


 頭の中で何回も何回同じ場面を思い浮かべ、その時にあったであろう選択肢を思い浮かべ、選択をする事を頭の中で行ったが、
 今と同じ選択肢を選ぶことしかイメージが湧かなかった。 

 もちろん、選ぶことのないアナザーストーリーは存在しない。

 としたら、私は少なくとも意識的には何1つ選ぶ事なく、ここまで生きてきたのかもしれない。ただ、楽しそうだと心が動くままに生きてきたのだろう。


 え!?としたら、何1つ選択をしてきていない私は、このお題で記事を書くことが出来ないんじゃないか?




 「このお題で記事を書いてみたい!」
 と思ってやり始めたのが、このような結論で終わってしまうのは悲しすぎるので、
「なんとかひねり出さないと」
 と思い、私は、自分の自己紹介記事をもう一度読んでみた。

 …よく読んでみると1つだけ異質な選択をしている事がある事を見つけた。

 私は、人生の中で1回だけ、
 天に選択を預けたこと
 
があり、そして、その結果が現在の私を形作る大きなモノになっている事を思い出した。


 私は、現在「公認会計士」の資格を保有している。

 そして、この「公認会計士」になった選択が、私が人生で1回だけの「天に預けた」選択だった。

  私は、大道芸人をしていた時に、結婚をし、子供にも恵まれた。

「この大切な家族を養っていくためにも、収入が安定して家族が安心して暮らしていけるようにしたい!」

 と考え、会社に就職をし、営業職として働きだした。
 そして望んだとおりに、安定した収入を得られ家族は安心して暮らせるようになっていった。正直、私はこのような企業で働く事は苦痛だったが、それもまたよしと飲み込んでいた。
 
 しかし、働きだして1年半ほど経過した頃、この安心して暮らせる生活をが当たり前となってしまっていた私は、私の中の悪い虫が騒ぎ出した。

「あー大道芸したい。パフォーマーとして活動したい。」

 「安定した生活」を望み、それを手に入れた私は強欲になり、「安定した生活」だけでは満たされずに、「パフォーマーとしての生活=私の好きな事をする生活」を求めだしたのだった。

 当時28歳の私だったが、特殊能力も学歴もないため、どのようにすれば、「安定した生活」と「パフォーマーとしての生活」が出来るのかを考えることにした。

 そして、必死に考え続けようやく出した答えが、
 「何か、資格をとって自営をすれば、時間を自由に使えて両立できるじゃないか。」
 だった。

 今思えば、世の中を知らないなめ腐った考えだったが…とにかく、当時の私はそう思ったのだ。

 では、一体なんの資格をとろうか。

 何か「士」が付く資格なら、
「ちゃんとお金が稼げて、その資格で生活が出来るのだろう」
と言うところまでは考えてみたが、実は当時の私はよく聞く○○士と言う資格がいったいどんなもので、何をする資格で、どのようにすればなれるのかを理解していなかった。

 しかし、当時の私は「何をする」よりも、「資格でお金を稼げるものであればなんでもいい」と考えていたため、事もあろうか、

 

サイコロで決めることにした。


 具体的には、当時の紙はサイコロを投げた後に捨てたので、正確には覚えていないが、
 1 弁護士
 2 公認会計士
 3 税理士
 4 司法書士
 5 行政書士
 6 社会保険労務士
 みたいな事を紙に書き、サイコロを振り、出た目で何をするのかを決めたのである。

 結果、サイコロの目が、「公認会計士」であったため、 

28歳の私は、公認会計士になることにした。


 結果として、幸運にも無事に試験に合格し、お仕事をさせていただき、現在家族とも平穏に暮らすことができ、大道芸を再開する事はなかったが、またこうやってnoteを書いたり、さまざまな挑戦をする時間をじっくりと確保することが出来る環境となっている。


 しかし、今回改めてこの記事を書くにあたって、禁断のアナザーストーリーである

あの時のサイコロの目が他の目が出ていたら、今はどうなっていたのだろう。


 を考えてみた。

 それが「私が手に入るチャンスがありながら、捨てた事」、すなわち「選択したこと」のはずだから。

 この、アナザーストーリーを考えた事はなかったが、考えてみると、恐ろしくも、楽しいものだった。

 他の目が出ていたら、
「試験にも合格せず、家族を路頭に迷わせていた」
かもしれないし、
「実は今よりももっと適性のあるものであって、素敵な人生になっていた」のかもしれない。


 しかし、このようなアナザーストーリーを考えていくうちに、エンターテイメントとして楽しいが、

結局、

「出た目」が大切ではなく、「出た目で何をするのか」が大切だったんだろうな


と思ってきた。

 別の目が仮に出てたとしても、私の行動原理は変わらないので、やっぱり今と同じような幸せな状況でいれたような気がしてきたからだ。

 「#あの選択をしたから」と言うお題を否定するような話になってしまったが、「選択」をしたから今があるが、そんな選択を喜ぶ、悔いるよりも、「選択」したことをどのように、生かしていくかを考える方が、スキだからだ。

 そんなことを考える機会となったお題でした。

 (蛇足)

 しかし、こんな事も、「現在が幸せ暮らせている」から言える事で、とすると、やっぱり、あの時に「公認会計士」の目が出たからなのかな…とか、思い出し、結論を書いた後なのに、思考のループに陥っていきました💦

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