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★纏め★京都・南山城の神社仏像=京都×奈良!唯一無二!国宝&重文!天皇所縁の場所【京都纏めシリーズ】【京都南山城シリーズ】

木津川は近江・京都・奈良を結ぶ交通の要所であり、東大寺建立は川を使って大木を運んだのだが南山城がポイントだった。文化圏としては奈良に近く、市町村の市外局番は京都ではなく奈良の市町村もあるし、神社の社殿が「春日移し(春日大社の古材)」だったりする。
 古都・奈良と古都・京都がコトコトしており、文化の移り変わりが見て取れ、この地域だから生き残った唯一無二のチーム仏像!国宝!がテンコ盛りである!!
 ということで、見どころと私のNOTEをまとめてみた!!

あっ、タイトルは「完全」と謳っていますが、2024年はまだ完全ではないです。まだ行きたいところはありますので、完全に近づけていきたいです。

<変更履歴>

  • 2024/01/04 初版


▼動画で知る

 纏め方は市町村ごとで、おすすめ度合いを★の数で示します!細かいところは私のNOTEなど参照くださいませ。

 2023年に奈良国立博物館と東京国立博物館で南山城展が行われた。その模様は次の通り。

 南山城は次にまとまっています。今後も追加されます。

▼南山城の歴史

  • 南山城は京都府に属し、京田辺市、精華町、木津川市、笠木町、和束町、南山城村、宇治田原町あたりである

  • 大阪、三重、奈良、滋賀と接する場所で、海運の要所で、東海・北陸・山陽・山陰を行き来する人や物資が集まった場所である

  • 東大寺建立するために大木が必要だが、この地域を制圧する必要があったので、今でも古都・奈良の名残が散見され、京都でありながら電話番号の市外局番は奈良のところもある!?

  • 木津川は今では治水やダムのおかげで穏やかな川だが、元々は桂川と同じく暴れ川だった(秦氏がいるのは偶然かどうかは不明)

  • 木津川は「万葉集」では「泉川」と記されている

  • 木津川は、東大寺、興福寺、大安寺などの木材を切り出し、水運で運んだ場所でもある

  • 古都・奈良に必要不可欠な場所のため、元明天皇は離宮を建て、聖武天皇はここに都を置いた

  • 南山城は早くから渡来人が腰を下ろしたことは分かっている

  • 渡来人は600年代の高句麗系で、「高麗氏」と「狛氏」で今でも地名が残っている

  • 570年、『日本書紀』に高句麗の外交使節が、山背国相良郡の館に滞在したと記す

  • 高句麗系渡来人の寺は残念ながら廃寺になっているようだ(ただ、仏像は残っていると思う)

  • 平安時代以降は山岳修行の地となっていく

  • 1938年、発掘調査で、東に塔、西に金堂、北に講堂という奈良・法起寺様式の伽藍配置の古寺があったことが分かり「高麗寺」とされている

▼神社仏閣ごとの説明

 以降の「南山城神セブン」は私の勝手な好みですが、オススメ仏像寺です。トータル的に仏像の数と主役が素晴らしいところを選択しています。

では本題です。

  • 市町村ごとに神社仏像をぶら下げます

  • おすすめは「★の数」で示します。直感です

  • 秘仏は「秘仏」マーク

  • 紅葉は「紅葉」マークなど

  • 国宝、重文などもわかるようにします。

▽木津川市/笠置町/和束町/南山城/井手町/宇治田原町(24号東側)

★★「 #蟹満寺 」「 #綺原座健伊那太比賣神社#綺原神社 )」秦氏!超レア金銅仏【京都南山城シリーズ】

 元は「蟹幡(かむはた)」と呼ばれた地域にある。そう秦氏の神社仏閣!!
 蟹満寺の創建は古く白鳳時代までさかのぼり、聖徳太子の右腕・秦河勝の弟が建立したようだ。秦氏といえば古都京都を代表する氏族で、松尾大社広隆寺蚕ノ社伏見稲荷大社が代表的な神社仏閣である。ここも秦氏の名残が残る地域である。

日本で3体天弓愛染!白不動!「 #神童寺 」は魅惑の仏像寺である「 #天神社 」【京都】★★★★

 いざ、山門をくぐると、奈良市外や福井の若狭にありそうな寺の雰囲気。藤原氏の氏寺・興福寺が復興したが、平氏により焼失し、源頼朝が復興したが、また焼失し、興福寺により復興した寺。やっぱ、レア仏像が残っているのは権力者と場所柄だなと思った。
  ここは京都には珍しく、説明付きで拝観させていただける寺です。「2018年南山城春の特別開扉」で初見仏ですね。

下鴨神社の元宮?「 #岡田鴨神社 」「 #岡田国神社 」-もうひとつの下鴨・上賀茂-★★

 『山城国風土記』では『賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、日向(現在の宮崎か奈良葛城・高鴨)に降臨し、大和国葛城から山城岡田、さらに北上し現在の賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)あたりにたどり着き定住した。』としている。

詳細は次のNOTE参照。

唯一無二!九体阿弥陀如来坐像@国宝「 #浄瑠璃寺 」国宝祭り&仏像寺-【京都南山城シリーズ】★★★★★

 京都と奈良の境である京都・木津川市にある名刹!日本で唯一残り、国宝である「九体阿弥陀如来坐像」や「四天王立像」など仏像の宝庫!

 参拝方法は次の通り。
 あの世(本堂の阿弥陀如来)とこの世(五重塔の薬師如来)を分けた形で間に池がある「浄土庭園」である。京都・平等院と岩手・毛越寺と同じですね。
 まずは五重の塔に行き、本堂で見仏し、池を1周するのが参拝方法です。ただ、ほとんどの方が本堂から先に周ります。

#岩船寺 」は日本一紅葉が映える三重塔である/春日・白山神社【京都南山城シリーズ】★★★★

 平安時代の行基作と伝わる本尊・阿弥陀如来像の周りに四天王が安置されており、自然に抱かれている感触を感じます。三重塔に縁の下の力持ち!?がおり、室町時代ですが重文です。
 岩船寺の良さは京都ではなく奈良なところです!?

【京都】木津川の通常非公開「 #西明寺 #高田寺 #常念寺 #西念寺 #安福寺 」見仏 ★★

 木津川市と言えば、浄瑠璃寺などを中心に有名な神社仏閣が多いのでが、知られていない、もしくは通常非公開の寺に、素晴らしい仏像を持つ寺が多い。春秋に特別公開されるので木津川市観光ガイドをウォッチすべし。

運慶・快慶作の東大寺四天王は「 #海住山寺 」にあり!?「 #現光寺 」に慶派の十一面観音坐像@重文【京都南山城シリーズ】★★★

東大寺大仏殿には運慶・快慶作といわれる幻の四天王が安置されているはずだった。設計書は残っており、そのモックアップがこの寺の四天王では?という説がある。そんなアホな・・という人もいるようだが、この近くにある笠置寺は東大寺「正月堂(一月堂)」や「お水取り」の始まりなど、東大寺とつながりが強い地域である。最後に、四天王以外も素晴らしい仏像がある寺!

東大寺「一月堂(正月堂)」は奈良ではなく京都の「 #笠置寺 」らしい【京都】春日大社の移築 ★

 東大寺の紹介ページで、一月堂を目次だけ記載していたわけですが、どうも京都府笠置町にある「笠置寺」らしい。本当かどうか?参拝した!!というか、参拝して気づいただけですが・・。

笠置寺公式HPより、まあ~繋がりはあったようだ。そして、境内を周ると・・・

永源寺の紅葉「 #正法寺 」聖武天皇の皇子である安積親王の菩提【京都南山城シリーズ】★

 聖武天皇の皇子である安積親王の菩提を弔うために創建した。和束町内の紅葉の名所で参道の周囲には多くのヤマモミジが植えられいる。ここのモミジは滋賀県東近江の永源寺から移植されたものだそうです。なるほど、確かに全盛期ではないが綺麗です。

#薬師寺


#歴史は摂社・末社の熊野社・春日社が#和束天満宮 」より古い【京都南山城シリーズ】★

 平安時代に円融天皇より菅原道真の絵を奉納されたのが始まりという古社。本殿の祭神は菅原道真公。本殿左側に若宮社、右側に御霊社があり、参道の南側には恵比寿社がある。

#遍照院 」雨乞い起源「 #天神社 」「 #大道神社 #大道寺 」【京都南山城シリーズ】★★

宇治田原町の社寺仏閣まとめ!未参拝あり。

快慶作💛不動明王「 #正寿院 ( #風鈴寺 )」50年に一度の秘仏は2040年公開【京都南山城シリーズ】★★★

 醍醐寺三宝院やアメリカの美術館にある快慶の不動明王より印象深い不動明王坐像である。ちなみに、この寺の本尊は50年に一度しか御開帳されないという秘仏の「十一面観音菩薩」が安置されているが、これはもう見仏できないかも(前回の御開帳は1990年だったので、次は2040年。)

仏像好き注目!東大寺末寺「 #禅定寺 」西国33番外札所【京都南山城シリーズ】★★★★

 藤原兼家(藤原道長の父。関白・太政大臣)の帰依を受け、東大寺の別当を務めた僧・平崇によって10世紀末に創建されました。当時は東大寺の末寺の華厳宗寺院でしたが、後に宇治の平等院の末寺となり、江戸時代には曹洞宗の禅寺となっています。

祭神・猿丸大夫「 #猿丸神社 」狛猿をさする/古今和歌集【京都南山城シリーズ】★★

 禅定寺周辺に鎮座し「さるまるじんじゃ」と読む。本来は禅定寺鎮守社なのではと思ってしまう。駐車場は大きく、ここからの鳥居を見ると裏参道とある。場所自体は大津市との境界に鎮座し、祭神は「猿丸大夫」という神様で狛犬ならぬ狛猿となっている。

上社・下社で975年の古社「 #建藤神社 」禅定寺と猿丸神社とセット【京都南山城シリーズ】★★

禅定寺と猿丸神社とセットで行くべきところ。上社と下社に分かれており、現在の神社は上社の場所にある。祭神は「天児屋根命」で、現存する棟札によると創建は975年とされる。

宇治田原町「 #雙栗天神社 」「 #巌松院 」「 #大宮神社 」「 #三宮神社 」【京都南山城シリーズ】★★

宇治田原町の社寺仏閣まとめ!未参拝あり。久しぶりに同日にもう1本出します。

京都御所に献上「 #御栗栖神社 」1887年まで【京都南山城シリーズ】★★

『宇治拾遺物語』の「天武天皇煮栗焼栗」伝承の舞台であり、田原祭の3社のうち一つ。1283年に大宮神社から分祀されたのが起源とも言われているが、1283年以前に豪族から社領を寄進されたと記録があり、それ以前から祀られていたとも言われてる。

▽精華町/京田辺市(24号西側)

アレ?快慶?と勘違いした文殊菩薩!「 #大智寺 」に魅了される【京都】★★★★

 道は狭く、車で入りすぎたかなと思うと参拝用駐車場に着きます。周りの風景を見て思い出しました。ここはテレビ見仏記でみうらじゅん氏といとうせいこう氏が来た寺ですね。
 奈良・西大寺系統の寺で「文殊菩薩@重文」は西大寺の文殊と同レベルのよさ。常時公開されていないため、行くときは要調査。

#相楽神社 」に天皇の后になる丹後4姉妹の悲しいお話しがある【京都】★★

相楽と書いて「そうらく」と読むのだが、神社は『さがなか』と読む。ちなみに、ここ周辺は「相楽郡」である。
 この神社名は古事記の一説から来ている。古事記の垂仁天皇の箇所によると丹波出身の4人の姉妹が垂仁天皇に嫁いだのだが、綺麗でなかった2人を里に送り返した。2人の内の1人である「円野比売命(まとのひめのみこと)」は里に戻る途中、山城国の相楽に入った時に「同じ姉妹の中で醜いという理由で返された事は、きっと近所で噂になる・・・なんと恥ずかしい事なのでしょう」と木の枝に取り懸がって(さがって)自殺を試みた。そのことから『懸木(さがりき)』と呼び、これが後に訛って『さがなか』となったとか。

神仏習合「 #新殿神社 」と「 #医王寺 」に京清水寺?どういうこと?【南山城シリーズ】★★

 古くは、植樹神社と称し、地名に「医王寺」とあるとおり、境内には薬師堂が残り、薬師如来、弘法大師坐像、観音像(厨子入り)が安置されている。京田辺市の朱智神社から勧請されたという説がある。

神仏習合・分離で「 #常念寺 」←菩薩形立像@重文→「 #祝園神社 」流浪仏!奇祭「いごもり祭」??★★

 仏像にも時代でトレンドがあり、宗教では神道と仏教は長らく同じ(神仏習合)であった。激動の時代に流されず、時代に合わせて生き残った平安時代の仏像を追う!

石清水八幡宮から分霊「 #武内神社 」は応神天皇・神功皇后はスルー!?★★

 1317年に石清水八幡宮から祭神「武内宿弥命(武内宿禰)」を移して創建したと伝わる神社。

古墳に鎮座する「 #鞍岡神社 」は天神と歯痛の神様?「 #若王寺 」は神宮寺の残りかもしれない★★★

1008年に北野天満宮から勧請し「下狛村天神社」とした。一度焼失し再建されて「鞍岡山天満宮」としたことが棟札よりわかっており、今の「鞍岡神社」は明治に改名した。

#寿宝寺 」世界に3体!本当に千の手を持つ仏像は「 #佐牙神社 」のもの!?紅葉も見逃せない!【京都】【京都南山城シリーズ】★★★★

 京都非公開特別拝観でプラッと寄ったところ1000本の手を持つ「千手観音立像@重文」が安置されており、びっくりした所。だた、この仏像は式内社「佐牙神社」の神宮寺に安置されたもので、神宮寺が明治初めに廃寺になった際、寿宝寺に移されたと伝えている。佐牙神社には石仏があり、寺の名残が今でもある。

#酬恩庵#一休寺



国宝!十一面観音「 #観音寺 」国宝十一面は全国で7体【京都南山城シリーズ】★★★★★

「観音寺(普賢寺大御堂、大御堂観音寺)」は南山城を代表する美仏・十一面観音像@国宝で、十一面の国宝は全国で7体の1つ。 奈良・聖林寺、奈良・金剛山寺(矢田寺)、滋賀・百済寺系統の男性感のある十一面観音!住職が丁寧な説明をしていただけます。観光では来づらい寺のこういう説明は有難いです。

京都・蟹満寺、京都・願徳寺と並べると、奈良・薬師三尊と見劣りしない素晴らしい三尊になる(と妄想)。

#朱智神社



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