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SNSで背伸びすること、背伸びしないこと

(画像)あなたを飾るピアスは、涙でできていないか

たまにはふわふわとしたことを書こうと思う。

いつも私のnoteに付き合ってくれている皆さんからすれば
「いつもふわふわしたことを書いているじゃないか」と思うかもしれないが、あれはふわふわではなく、ざっくりしたことだ。

私の言うふわふわというのは、ポエムっぽい話を指す。
ポエムっぽい話は出したくなかった。
なぜなら、もの書きたちの大半が背負っている宿命なのだが、私も例にもれず、それなりにポエミーだからだ。

しかし、私はコメディを愛好し、どっちかというと現実をもがいて生きているタイプであるため、エッセイでポエミー要素を覗かせるのは正直恥ずかしい。
30にもなって「痛い奴」だとか思われたくない。ただでさえ痛いのだから、これ以上「痛いなぁ」という要素は増やしたくない。

それに、ポエミーなことを描くには、私では語彙力が弱めなのだ。
小説家は、言語や文章を操る能力が全て高いからやる仕事という訳でもない。それに、それなりのポテンシャルがあるなら、クリエイターを選ばずに起業するなり金払いのいい他の業界に行ってしまった方がお金は貰えるというのが私の持論だ。

とまあ、これが私の本音だ。おそらくありのままの自己評価に近い。

今回は、そんな自己の表現の方法について書いていこうと思う。
「説教臭いな」と思ってもどうか取り合わないでほしい。なぜなら、これは私が勝手に想定した「あなた」に向けた、「ふわふわ」した曖昧な話だからだ。画面を見ている読者の人が「あなた」であるとは限らない。

あなたはインターネット、特にSNSをどう思っているだろうか。
よく、巷で「インターネットが好き」という言葉を聞くが、私はどうもインターネットとはそんな軽いお付き合いをさせていただいていない。
私はインターネットが好きでもあるが、恐怖の対象でもある。

特にSNSは恐ろしい場所だ。ほぼ脳内に浮かんだ言葉をノータイムでアウトプットしても、 それなりのアクションがもらえる。
攻殻機動隊に登場する電脳という未来技術があるが、SNSは極めてそれに近いシステムなのではないだろうか。 Twitter の投稿画面は、あなたの感情と極めて深い部分でリンクはしていないだろうか。
私はかなり強くリンクしている自覚がある。精神的にもろい部分があるので、ついネガティブなツイートをしてしまいがちだ。

しかし、それだけでないのがこの共通空間の恐ろしいところだ。インターネットという場所は、その特性上、どうしても嘘と本当の境界線が曖昧になる。
その上、前述のように現実世界で言えないようなことも言えてしまい、より精度の高い本音を叩きつけられることも可能なのだ。
そう、SNSは、あべこべで極端な表現が一度にできてしまう。

つまりこういうことも起こりうるのだ。
まずプロフィールを盛ってしまう。
それは大小色々ある。やってしまう人は少なくないだろう。
SNSはあくまで現実の空間と切り離された楽園だ。嘘だって簡単につけてしまう。
一度、自分を大きく見せようとしてしまうと、自分という姿が見えない分、強くなったり偉くなった気になって、他人より少し偉ぶってしまう。
しかしここで問題があるのはここからだ。 上記のようにSNSはあなたの感情と強くリンクしてしまっている。少し大きく見せた自分という衣を着て、感情を叩きつけ続けていると、あたかも自分が少し強くなったかのように錯覚してしまうのではないだろうか。 

逆もありえる。「自分の設定」に振り回され、本当の自分が見えなくなって、自分の感情が二の次になってしまわないだろうか。
一体怒っているのか、悲しいのか、わからなくはなっていないだろうか。周りの強い意見やインフルエンサーなど発言力の強い者の主張と自分の主張をすり替えていないだろうか。
あるいはそれとは反対に、彼らの言うことを頭ごなしに批判しようとしてはいないだろうか。「あなた」はもう一度、その人が本当に自分にとって大切なものを侵害している人なのかどうかを考えてみてほしい。

この果ての無い迷路の中で、変わらないことは一つだけしかない。
それは、現実のあなたがいつもの自分のままであること。
悲しいけど、それしか不変の事実はないのだ。

そんな中で、あなたは、自分じゃない理想の誰かになったつもりになって、でも、自分と理想の誰かの隙間を埋められずに、苦しくて苦しくて、誰かにマウントを取ってみたり、偉くなって誰かを叩いてはいないだろうか。
そして、それは本当に「あなたの」意見なのだろうか。

今の私もそういった失敗は少なくない。無知の癖に、知識を持っているフリは何度もしてしまう。それゆえに、私が本当に言いたい事と主張がズレてしまうことが時々起きてしまう。

ネット社会を生きる戦略だなんだで自分以上の自分を表現しようとしたら、やがて器である自分が疲弊し、ボロボロになって最後は虚像である大きな自分に喰らわれてしまうんじゃないだろうか。

その虚像は、あまりに大きく見せようとした余り、時に他人の衣を借りてはいないか。
歪でつぎはぎだらけで、妙にスカスカで真っ暗な、空虚なモンスターになっているんじゃないだろうか。
インターネットは樹海に近い。植物たちは安らぎをもたらすが、一度迷い込んだらなかなか出ることができない。
樹海であなたの後を追う恐ろしい獣は、もしかしたらあなたが作り出したものかもしれない。

ここまで言って、白状すると、この「あなた」というのは過去の私なのだ。どんな失敗をしてきたかは言えないが、やはり痛々しかった。

「あなた」に近いと思った人がいるのなら、貴方は人間関係が辛いかもしれない。学校や会社でうまくいってないかもしれない。それ以外、人に言えない悩みもあるかもしれない。
人付き合いは時々つらい。だけど、優しい世界の画面の中もいいが、ふと顔を上げて振り返ってみよう。画面の外の空は秋の気配を纏って青く澄んでいる。

秋の空、少し冷たくも優しい風は、きっとあなたの味方をしてくれる。
今日、私は「あなた」と一緒に散歩にでも出かけるとしよう。

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