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護身術に有効な空手は他の武道に比べると流派乱立しすぎで玉石混交状態です

今回は前回の剣術のから剣道に至った経緯などの話に引き続き、柔道と空手について語りたいと思います。(^_^)b

前回の記事でお伝えしたように、昔の剣術流派はともかくとして現代剣道に乱立していた剣術流派は、やがて現代剣道に収斂するけど現代剣道や柔道・合気道に比べて、空手ほど流派乱立が目につく武道はないという話を少し。

前回の記事は、こちらです。


柔道の父と称された嘉納治五郎が、今の講道館柔道を創始するまでの柔術は剣術と同じように多くの流派が存在していたわけですね。

それが古流剣術流派での併修として、現在も伝わっている例を除くと柔術の流派というのは、数えられるほどの流派しか現存していないのです。

組み討ちや戦のときの体術として伝わった柔術から、合気柔術を経て合気道も生まれたけど、その合気道にしても、元を辿っていくと合気柔術にたどり着くし本質は同根と考えられるので、こちらもそう多くはないのです。

それと同じように、空手道という武道の元を辿ると、流派の源流はそんなに多くないものの、剣道や柔道や合気道と比較して、現在活動している流派の数は雨後の筍状態で、新流派が生まれているのですよ、実態は。

前回の記事でもお伝えしたように、剣道や柔道といった武道が多数の流派から時を経るごとに次第に収斂して1つにまとまったのに対して、空手の場合は逆に多数流派の乱立という拡散傾向が見られるのです。

空手の場合だけに起こっているこの現象は、なぜなのか?

それを考察するなら、統一団体としてまとめ上げられない理由がいくつも想像できるけど、個人的な見解では、素手での徒手空拳の格闘技であるという武道の特徴が、多くの流派を生み出している要因なのではないかと。

がっしりとして体格が大きく体力のある師範が指導しているのか、それとは逆に、小柄で俊敏な動きが得意な師範が指導しているのかによって、組手で使う得意技も異なれば、その戦い方も変わってくると思うのですね。

指導する師範は、そういう自分の体格に合った利点を磨いて術技に上達していくわけなので、同じような身体的特長を備えた弟子が集まりやすい傾向がみられるのです。

特に空手では、対人で素手で闘うという技術を極めていくので、弟子が鍛錬と修行を続けた結果として、素質によっては師範を超えることも頻繁に起こるのです。

このときに格闘者として、師を超えるほどの技量を身につけ強くなった弟子はどうするかというと、独立して自分の道場を持つという行動を起すわけですね。

100%この師範について行こう・・・・そう覚悟を決めてついていけるほどの人格や技量がそろった理想の師範は、そんなにいるものじゃありません。

空手では道具も使わない上に師と対戦しても突いたり蹴ったりと、尊敬する相手に対してふつうならやってはいけない行動をとるわけで、師に対する尊敬の念や実力に畏怖するような思いに鈍感になるのではないかと考えます。

そういう点も分派独立が繰り返されて、腕を上げた実力者が旗揚げすることで多くの流派を生み出すことになったと、それが個人的な見解なんですよ。

これって、当たらずも遠からずではないかと、密かに確信しているのです。

そもそも、宗家の立場の人物や流派の代表が後継者を決定するときに、その決定に不満を抱いた高弟たちが、袂を分かって分派独立していくというケースが散見されるところをみると、まだしばらくはこの傾向は続くかも。

近い将来については、経営の面と指導者の人間力の差で、自然に淘汰されて行くのではないかと考えています。(^_^)b

そんな中で、私が注目している道場があるのです。😤

先述したように、独立して新たに道場を開き一派を興すという一歩を踏み出して、フルコンタクト空手道の指導者として若い実力者を育てておられる師範の道場の最近の様子をうかがえる記事がこちら。


こちらの空手道無限勇進会は、2006年9月に旗揚げされたのですが、その経緯を書かれたnote記事に出会って読ませてもらってから、共感することも多くひそかに注目しているのですね。(^_^)b

ちなみに、その最初の投稿記事がこちらになります。


フルコンタクト空手と聞けば、ボコボコ殴られたり蹴られたりで、アザだらけで痛い思いをする乱暴な空手だという誤解もされそうですが、まぁ無限勇進会さんのnoteをご覧になってください。(^_^)b

立派な青少年教育の一環として、徳育を含めて体育の面で大きく貢献されていることを感じ取れると思います。


フルコンタクト空手は、高齢になった私たちがずっと続けられる競技ではないものの、若いときやある程度の年齢までは精神面の鍛錬にも寄与するのですよね。

そもそもオリンピック競技に採用されている空手道も、主流派とはいえ全体を統括する空手団体ではありませんが、オリンピック競技で放映される空手を見て、あれが空手なんだと思い込んでいる人も多そうです。

そういう意味では、空手道の世界チャンピオンというのは、何人も何十人も存在しているわけで、空手の統一チャンピオンを決定するなんてことにはならないのですね、それぞれの流派の面目や立場がありますすね・・・。😅

もちろん私の護身術は、もともとの源流は少林寺流空手道という沖縄発祥の流派でして、その源流の技法をベースにして独自に研究した棒術・杖術の技法を組み合わせたものなですよ。(^_^)b


で、ついでに個人的に感じていることを付け加えると、空手の源流というのは子どもの取っ組み合いの喧嘩に、さかのぼるのだろうな、と。🤣

子ども同士の喧嘩を磨き上げていくと、何でもありの空手に近づくわけですよ。

よく武道の心得を説いた話などで、奥義は初伝にあり、なんて言う表現をみるじゃ無いですか。

それこそ流派の奥義というのは、一番最初に教えられて習得する基本技法にあるのだという意味ですが、この「奥義は初伝にあり」という口伝や伝書はあちらこちらの武道でも伝わっているのですよね。(^_^)b

はい、少し長くなってしまいましたが、お時間もよろしいようなので。


ってことで、今回は
「護身術に有効な空手は他の武道に比べると流派乱立しすぎで玉石混交状態です」という久しぶりの護身術・武道ネタの話題でした。
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。


では!

健康と  大事な命  のほほんと


<昨日投稿のサブアカの記事がこちら!>


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