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会社は司祭のいない宗教団体かもしれない


 こんにちは、いづつです。実は多くの会社が、宗教団体と同じ構造でできていますよ、という解説を書いてみたのでよかったら読んでください。

■組織の仕組みはわかりやすく分類できた

 組織のことで読んだ本の紹介2冊目。フレデリック・ラルー氏著「ティール組織」は、読む前は近年興りはじめた新しいタイプの組織形態であるティール組織の解説だけかと思っていたのですが、読んでみるとその解説の前にきちんと従来の組織形態についてまとめられていて、とてもわかりやすかったのでおすすめ。前回投稿のマネジメント機能不全の問題についても、この組織論の視点で整理できました。

 ラルー氏は、衝動型、順応型、達成型、多元型の4種類を歴史上の組織形態で定義しており、近年新しく登場した5つ目の形態である進化型について過去の4種類と比較しながら詳しく解説しています。同著で登場するこれらの呼び方をここでも使いたいのですが、私の解釈で書き進めていきたいので、その解釈を超ざっくり1行の説明で書いておきます。

「順応型」トップがメンバーの行動規範を設定し、メンバーはその実行に責任をもつ。

「達成型」トップがビジョンと目標を設定し、メンバーは目標達成が責任になる。

「多元型」トップがビジョンのみを設定し、メンバーは目標設定から目標達成までの自己実現が責任になる。

*衝動型は極めて限定的なものだし、進化型は毛色が違いすぎるので、ここでは触れません。

 順応型組織で重要な行動規範を設定する方法は、宗教から始まった統治です。聖書や経典には、するべきこと、してはいけないことなど「人とはこうあるべきものである」というもっともらしい規範がこと細かく書かれており、教会の司祭はそれを繰り返し民に説くことで、民に自ら考えることをやめさせ、規範から逸脱する人が現れないようにします。一種の洗脳です。ここで聖書や経典に書かれる規範は、本質的に正しいか正しくないかよりも、コミュニティが平穏を保つために必要かどうかが優先して考慮され、作られます。だから聖書の教えである規範から逸脱したことをしてしまった人は、誰かに迷惑をかけたわけではなかったとしても教会へ行って神に許しを乞うのです。

 順応型組織は軍隊でも採用されています。戦争はわずか1人の勝手な行動が原因で緻密に練られた戦術を台無しにして敗戦につながることがあるので、厳格な統率力がものをいうシビアな世界です。よって軍隊では原則的には命令以外の行動は許されない「性悪説」がベースであり、「していいこと」だけを定め、軍律や軍規という文書に仕上げています。ここでも行動規範を設定することが有意義に機能するのです。宗教と違うのは、隊員が戦争においてこの仕組みが有効で必要なものであることを理解している点だけ。よってある自己判断による行動で組織を有利に導いたとしても、その判断が仮に上官の指示や軍律に背くようなことであれば何らかの罰則が与えられることを覚悟していたことになります。

 製造業の生産ラインも、たった1人の勝手な行動が大量の品質不良を起こすとか大事故につながる恐れもあるという性質から、行動規範を設定する性悪説ルールが有効に機能します。彼らにとって聖書は作業手順書であり、ここに書かれていない局面に遭遇したときには自分で判断して対処することは許されず、まずは上司に報告しなければいけません。

 行政もそうです。官は民を誰一人例外扱いすることができません。なにごとも法規や前例に則ることを重視します。前例のない事象に出会った場合には、市長だったり事務次官だったり、かなり上位の責任者に判断を仰ぐことで成し遂げます。

 小学校と中学校も順応型組織です。登下校の時間が決められており、決められた時間割どおりに授業を受け、先生の言うことを聞かなければいけません。教育委員会が作った指導要項と校則が聖書、先生が司祭と言い換えれば宗教団体と似ているのがわかるでしょう。生徒たちは小学校入学を境にしなければいけないことに追われ、したいことを考えなくなります。この学校の規範に沿えない人というのは一定確率でいて彼らは不登校になりがちですが、規範に沿えないことは他者に能力が劣るわけではないのに脱落者のレッテルを貼られてしまう。「やりたいようにやっている」不登校生よりも、特徴のない同一スペックの「やりたいことがない」卒業生が量産されることのほうが問題かもしれません。

 この影響は残念なことに高校や大学にまで波及し、就活性が全員同じに見える現象として表れています。戦時に遡れば学校は子供を将来従順な兵隊に育てる下準備という意味を兼ねていて、その名残である炎天下の校庭に全員集めて体育座りみたいな朝礼はまさに軍隊のよう。順応型組織に慣れきってしまった卒業生たちは企業にとって自社の規範に染めることも比較的容易だったため、新卒一括採用と終身雇用という仕組みが成り立った要因のひとつになっていたことでしょう。

 自社規範に染めるといえば、社会問題になっている過労自殺がありますね。サラリーマンの自殺は勤めている会社の規範に従うだけの生活を長く続けることで起きます。規範の中だけで過ごしていると本質を考える能力をいつの間にか失ってしまうので、自分の行動が規範からはずれたことがわかった瞬間に生きる意義を失うのです。洗脳という点ですべて同じです。規範がまったくない組織というのは存在しないとはいえ、社員がそれに染まりすぎないよう気を付けなければいけません。

 これら聖書、軍規、作業手順書、校則のような規範設定タイプの軍律式ルールと対極にあるのが多元型の組織に相応しい法律式のルールです。法律というのは「してはいけないこと」が書かれており、それに抵触しない限りは何をしてもよいという「性善説」ベースの仕組み。そこに規範はないため、自ら考え新しいことに挑戦するハードルが低いのが利点です。トップは末端プレイヤーができるだけ自由に活動できるようにするために過不足ない法整備に注力すればよく、なるべく現場のことに口出し手出ししないのが鉄則。各々が何をやっているのか、細かいことは知らなくてもよいのです。

■トップダウンとボトムアップの選択

 「性悪説」に「していいこと」だけを書いた軍律式の統治方法は、独裁的トップダウン運営で真価を発揮するため、トップに強いカリスマ性があってこそ成り立つものであり、トップの性質が組織の強さをそのまま左右します。よって権限はトップに近いほど高くあるべきということになります。順応型や達成型の組織はこの仕組みで運用されます。

ホンダという会社が本田宗一郎という稀代のカリスマに引っ張られるようにしてここまでやってきたことは間違いない。(略)そのカリスマを失ったのち、ホンダはどう生きるべきか。藤沢の出した答えは集団指導体制だった。
―――― 杉本貴司「大空に賭けた男たち」

 トップにそのような牽引力がない場合は、「性善説ベース」に「してはいけないこと」だけを書いた法律式の統治方法をとってメンバーのボトムアップを頼るしかありません。まさにメンバーの実力が組織の強さを左右します。よってこの場合は民主主義の仕組みを取り入れて、権限はプレイヤーに近いほど高くあるべきということになりますが、残念ながら組織の長を選挙で決めるようなことをしている会社はきわめて少ない。トップの替えは効いてもプレイヤーの替えは効かないはずなのに。

ベゾスが求めるのは、協調などするよりは個のアイデアが優先される組織である。つまり、権力が分散され、さらにいえば組織としてまとまりがない企業が理想だという。
―――― 成家眞「amazon世界最先端、最高の戦略」

 製造業の多くはかつて達成型+順応型のトップダウン運営で成長してきました。社長が目標を明確にし、その目標を分担した管理職が手段を構築するところまでが達成型。そして管理職が手段を規範という形に落とし込んで末端社員に教え、社員はそれに従うところが順応型です。就業規則を社員の行動規範として作成し運用することがぴったりはまり、うまくいきました。

 しかし、近年組織運営に問題を抱えている大企業はどうでしょうか。社長は明確な目標を提示していますので一見達成型ですが、目標を分担した管理職は手段を考えることを部下の社員に丸投げしてしまっています。そこで手段を考えなければいけなくなった社員たちですが、さらにまずいことに、目標を知らされていないという問題が発生。目標を知らないと何をしていいかわからないので、自ら情報を集め、その情報に基づいて新たに目標を設定し、その目標に向けて手段を作り上げていくということが起き始めます。そう、達成型+多元型、トップダウン+ボトムアップというおかしなことが起きるのです。多元型組織で動ける人にとって上司は魅力的なビジョンだけを掲げるトップ1人がいればよいので、ビジョンをもたずただ持て余した権限を使って的を射ない指摘や指示を出してくる中間管理職は邪魔者になるし、規範である就業規則は足枷にしかならないのです。

 多元型組織では、規範はほとんどの場合で活動の障害になるので無視されがちです。規範が無視されるというのは、既出の宗教団体の例でいえば、人々には聖書が配られているけど司祭がいないような状況で起きます。聖書に行動規範は書かれているけども、そのとおり行動しなければいけないと力説する人はいないし、誰かに求められてもいない。そうすると何が正しいかを自分で考えるようになるので、規範があってもそのとおり行動しないということが起きます。

 規範の無視が許されるのは性善説のボトムアップが成り立つ場合だけであって、性悪説のトップダウンでは許されません。近年日本で発覚が増えている製造業の品質検査不正はまさにその行動原理を誤った結果でしょう。ある自動車メーカーの検査不正では、作業者へヒアリングしたところ「やってはいけないとは書かれていなかった」と理由を述べたそうで、その作業者は軍律式である業務の手順書を法律のように読んでしまったということです。

■ボトムアップが相応しい場所は性善説にせよ

 社長は自社のどの部門がどういう組織構造をとるべきかを見極めて整理し、軍律式と法律式のルールを使い分ける必要があります。露骨なことを言ってしまえば、信頼できない従業員でできたチームか信頼できる従業員でできたチームかで区切ってもいいです。大企業であるほど多種多様な業務があるのですから、複数のルールを使いこなすべき。それなのにトップダウン前提の就業規則1枚ですべての従業員を統治していこうとするから、社内のどこかで不合理が発生して非効率な職場が出来上がってくるのです。

 いま多くの会社が不足する人材確保のために就業条件を見直しているところです。社員が「していいこと」を増やすためには、軍律式であればルールを増やさねばなりません。逆に法律式ではルールを減らさねばなりません。なので、こういう時に軍律式でできた就業規則を維持しようとすると、厄介なことになります。勤務時間の例外、勤務場所の例外、休暇の例外などルールを増やすことは例外事項を作る行為なので、どうしても利用機会や効果が限定的になって不公平感が生まれてしまうし、適用条件に合致するかとか、不正が起きていないかなど調べるために運用コストがかさむようになります。ボトムアップ期待の職場の就業規則は、社員の行動規範を定める軍律式のものではなく、最低限してはいけないことだけを記述する法律式であるべきです。そのためにも、まずは今の習慣をすべてリセットしてゼロベースで考えましょう。

✔なぜ勤務時間は8時間で、なぜそれは9時から18時(休憩1時間込み)なのか。

✔なぜ週に5日働いて、なぜそれは月曜日から金曜日なのか。

✔なぜオフィスが必要で、なぜ出社するのか。

✔なぜ就業規則があり、なぜ1枚なのか

✔なぜ社内の規定類が日本語だけで書かれているのか

✔なぜ勤務時間を評価するのか

✔なぜ雇用関係でないと働けないのか

おそらくトップダウンであればすべてに必要性のある回答ができます。しかしボトムアップならば逆にすべてに「言われてみれば」と必要性に疑問を認識するはず。これらについて自問自答を繰り返せば、次のような組織にアップデートできる。

✔役割を明確にしてそれに報酬を割り当てるジョブグレード制を導入したソニー

✔残業代を時間に関係なく一定額支払うことにして実質的に裁量制にしたトヨタ自動車

✔勤務時間と場所を各々の申告制にしたサイボウズ

✔週休3日制の選択可能を導入したヤフー

✔階層をなくして経営を各チームに委ねたビュートゾルフ

✔オフィスと社員をなくしてすべて業務委託関係にしたミスルトゥ

こんな風に、ルール縮小やアウトカム評価の採用が進んでいます。ITだけではなく看護や製造業でも実現しているので分野は関係ありません。ボトムアップが最適解であることを認識したからこそ実現できた、社長判断による「改革」です。

 会社単位の成功実績ではなく、あなたの職場でもあり得る小さな例にしましょう。あなたの職場では、商品開発のために子育て中のママ目線のアイデアを取り入れるため主婦層の女性社員を増やしたいとします。いまは一般的なトップダウン前提の軍律式で書かれた就業規則で運用していますが、どうしたらよいでしょうか。軍律式を維持する施策と、法律式に転換する施策の2例を考えてみます。

✔施策1「社内に保育所を設置して、子持ちの社員が利用できるようにしよう」

 保育所があれば小さい子供がいて一般の保育所に預けられなかったとしても、自分の会社で働いてもらえるはずだ、と考えるとこのような「例外を設ける」施策が思いつくでしょう。この方法でママ社員は増えるかもしれませんが、すでに述べたように例外事項が増えると管理コストがつきまといますし、適用範囲や効果が限定的となります。この施策で想定した人物像から少しでもはずれてしまうと、応募は見送られてしまいます。

✔定時が18時のルールがあると退社後夕飯の支度ができないのでやっぱり勤務できないから応募見送り。

✔子供がいないので恩恵がなく不公平に感じる独身社員。

✔保育所の運営会社との交渉がある人。

✔利用者がいない期間でも、運営会社への支払いが発生するかもしれず不安な部長

✔利用者がいない期間ができないようにするために、社内外への宣伝に時間を費やす人事部の人

✔そもそも費用は誰が負担するのかで揉める人々

こうして見ると、例外を定めるってどこかしらに不公平を認めることになるのでやっぱり多方面に配慮するためのコストがかさむのです。だったら次の施策2のように初めから規範なんかなくしてしまえばいい。言い換えるなら、初めからぜんぶ例外ならいい。

施策2「勤務条件を、個人単位で設定しよう」

 就業規則は法律式にして最低限してはいけないことだけに書き換えて、具体的な勤務条件は社員ごとに交渉して契約しようという方法です。これならば基本的にはどんな人でも受け入れる用意があることになり、働きたいママ以外にも、

✔収入が少なくて構わないミニマリストで、週休3日を希望する人

✔朝夕の保育園の送迎があって毎日6時間しか出勤できない人

✔持病持ちで不定期に通院しているので歩合制か業務委託関係にしてほしい人

✔親の介護で遠方に住まざるを得ず、リモートで仕事したい人

✔脚が不自由で頻繁に出社できず、リモートで仕事したい人

といったように、どんな事情を抱えている人でも応募できる。ひとりひとりにJob Descriptionを設定しないといけませんが、年間目標設定と内容は似たようなものになるので一緒にやってしまえばいい。何も不平等はないし、余計な追加コストもかからない。人事部もハッピー。

■大きい会社ほどルールの種類は多くてよい

 前回の投稿と同じ結論で締めくくることになりますが、このように本質的な働き方改革は、結局のところルール修正です。ボトムアップなしではやっていけないのにこのままでは、規範には収まりきらないような優秀な社員に逃げられてしまい、規範の中でしか生きていけない凡人に囲まれ、いずれトップダウンもボトムアップもどちらも機能しなくなります。先に立ち上がるのは社長か社員か。改革か離職か。

 改革が必要ないトップダウン企業の社長というのは、魅力的かつ具体的なビジョンを持っている人だけ。従業員たちが同じ未来を目指したくなってくれるでしょうか。CSRに掲載したり社内の壁にかけている会社の経営理念は、従業員の心を打つものでしょうか


■本マガジンの今後の投稿予定

3. 個人は企業より強いという新しい常識

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