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僕は本質的に価値のある事しかしない

いきなりですがこのタイトルを見て皆さんはどう思いますか。

僕はこう思うことが自分勝手な事だと昔は思っていました。しかし今ではそれは違うと考えています。むしろ他人に迷惑さえかけなければ自分は自分にとって良い事をする事が色んな良い結果を生むことに繋がるのかなと感じます。今回は僕が何故そう思ったかを話していきたいと考えています。

目次
・僕の日本に対するコンプレックス
・人は自分勝手なもの、だから自分本位でかまわない
・自分らしく生きることで感じた事
・僕は自分にとって本質的に価値のある事しかしない

僕の日本に対するコンプレックス

僕は「人に迷惑をかけてはいけない」と過剰に思い込んでいた

僕は人に迷惑をかけてはいけないと過剰に考えていたコンプレックス持ちの少年でした。それは大人になってからも変わらず何をするにしても「人に迷惑かけたらどうしよう」と考えることが癖になっていました。正直そんなに人は周りの事を気にしないのが普通です。なのに少数の言う人の存在が僕に行動することをためらうきっかけになっていました。

日本は相手を思いやる文化が強い、でもそれが自分にはあわなかった

たしかに人を思いやる文化が強いことは大切だし、それが日本の良い部分であると考えている。しかし時代は常に変わり続けている事から、それをあまり意識し続ける必要はないように感じる。例えば「FF外から失礼します」という言葉は日本の文化がネットに沿った新しい文化だと僕は考えています。しかし僕はFF外から失礼する事自体が境界の感じないインターネットの魅力なのにあのセリフは必要なのかと感じます。それにFF外から失礼するマナーより、人に失礼なことを言わないマナーを守ったほうがいいのではないかと考えている。FF外から失礼しますというセリフはあまり意味がないと考えているのは自分だけでしょうか。

僕は日本が大好きだけど日本の教育が肌にあわなかった

今思い出すと僕の日本の文化に対するコンプレックスの原因はおそらく日本の教育に対する影響が強いのかなと感じます。僕は中学までに自分自身を抑圧された過去があります。「これはいけない事」と言われたことが鮮明に残っているので自分はいつしか心を開かない内気な人間になってしまいました。高校生までは色々と大変な経験をしていた記憶があります。

人は自分勝手なもの、だから自分本位でかまわない

「理想の人との関わり方ってなんだ」

多様な価値観を持つ人が多い現代ではAの場所では正解でも、Bの場所では全く違う反応が返ってくる事が多くて「一体どうすればいいのか...」と考えるようになりました。後々考えると自分はこの時考えすぎていたように感じます。本当はもっと人間関係はシンプルに「好き」か「嫌い」か、もしくは「合うか」と「合わないか」で接し方を分けるべきなのかなと今では考えています。それが正解かどうかはわかりませんし、本当はどうすればいいのかを模索している途中なのでハッキリとは言えませんが、今の自分が出来ることは嘘をつかず相手と向き合うことだけです。

「そうか、人は結局自分勝手なものなんだ」

そう気づいたときには相手の反応の見方が少し変わりました。自分も含めて人は自分勝手なものなんだと。それは当たり前のことで、自分がおろそかになってしまうと自身が幸せになれないからです。僕は他者を幸せにすることしか考えていなかったから自分を見失っていました。「これからは僕も自分を大切に生きてみよう」を決意してからは生活がガラッと変わりました。

僕らしく生きることで感じたこと

僕に対する反応は好きと嫌いにわかれる、でもそれは当たり前

という事で僕は自分らしさを押し殺したりせず生きてみることにしました。それと同時に僕らしさとはなんだろうと考えることも始めたり、人に自分の印象を聞いてみたり、そしてそれを通して最初に気づいたことがあります。それは自分に対する評価は「好き」と「嫌い」と「どうでもいい」に別れること。そして今までの自分は嫌いしか見えていなかったことです。そしてそれは案外当たり前だという事にも気づきました。それはどういう事かというと人の評価は「何してもだいたい好きでいてくれる人」と「何してもだいたい自分の事がだいたい嫌いな人」と「自分の行動次第で好きか嫌いかに別れる人」の3人がいると感じました。

僕が大切にするのは僕のことを好きな人、それ以外の人は嫌いでもいい

僕は自分を好きでいてくれる人(もしくは自分を許容してくれる人)に対して優しくして、あとは嫌われてもいいと割り切ることにしました。僕は自分の手が届く範囲でというフレーズをよく言うのですが、これは自分も相手も許容できる範囲だと考えています。僕が許容できる範囲でなければ気にすることが難しいですし、相手が僕のことを許容していないと僕が自分らしく接することが難しいです。

一度自分を本気で幸福にしてみる事が周りを変えることに繋がる

そうして僕は自分らしくいる事を続けていくうちにいつの間にか色んな人に囲まれていました。自分の発信や行動に共感してくれる人が次第に出てきました。僕は自分を受け入れてくれる人に囲まれながら自分らしく役割を全うしてみました。そうすると結果的に自分の強い部分を自然と出すことができ、他者を成功に導くことに繋がりました。それから僕は自分の活動や行動、そして発信する言葉に共感する人の中で自分の強みを発揮すること、そしてそれを通して自分の周りの人を幸せにするという事を一貫してする事を意識するようになりました。

僕は自分にとって本質的に価値のあることしかしない

何故ならそれが他者を幸せにする道だから

だから僕は自分にとって価値のある事しかしたくないと考えているのです。ただ社会ではそう簡単にはいきません。何故ならやりたい事しかしなくていい場面なんてなかなかないからです。しかし自分はどういう事をしたいのかを自分でわかっておくことは大事です。自分のしたい事を知っていればそれが舵取りの指標になりますし、いつか取捨選択が出来るようになればその時は自分が本当にやりたい事を選べます。

僕がやりたくない事は反応が返ってこないこと

ぎゃくにやりたくない事もわかっているとそれを避けることも出来るかもしれません。僕がやりたくない事は自分がした事に対して全く反応が返ってこないことです。反応が返ってこないという事は「ちゃんと出来ているのか?」「もしかして自分は出来ていないんじゃ...」と不安になってしまうからです。僕は自分がした事が人に喜ばれることが何よりの幸せです。noteだとスキが返ってくると本当に嬉しいですし、シェアされたりコメントがつくともっと嬉しいです。ツイッターだといいねとリプが来ると飛び上がります。(noteでもツイッターでも1人のときは本当に飛び上がります)

自分の価値はちゃんと自分で考える

最後になりますが、僕がこの話で言いたいのは選択を迫られた場合にちゃんと自分で考えて決断する事、そして価値観は人それぞれで場合によりけりだからその場合は周りの言うことを鵜呑みにしすぎないということを言いたいです。〇〇すべきと言う人はいますが〇〇すべきという事は時と場合によって変わるのでそれを鵜呑みにしすぎると困ったことになります。〇〇すべきと信じ込んでいると価値観のズレが出る事が多いですかね。僕はまだ学生な事もあって自分にとって価値のあること(自分らしくいる事で共感してくれる相手を喜ばせて、感謝されるなどの反応が返ってくること)しかあまりしないようにしています。何故ならそれ以外の事は誰も幸せにならないから。

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