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”自然”に生きること

これからのこと

UTMBの記事について長々と書きましたが、
これからのことについて書きたいと思います。
走り始めて10年。大きな変化があった10年。
10年前に比べ、心も体も強くなることができました。今年45才。作ってきたこの体は維持し、そして、自分のなかの可能性をまだまだみてみたいと思います。

西洋・東洋哲学ともに好きですが、茶の本(岡倉天心)、東洋的な見方(鈴木大拙)、ブッダのことば(岩波文庫)など、最近は東洋哲学を読んでいました。そして、これからのことを考えた時、すっと入ってきた言葉。

「自然に生きること」

「自然」のはじめて用いられたのは、老子の『道徳経』で、「道は自然に法る」とある。この自然は「自ずから然る」の義で、仏教者のいう「自然法爾」である。他からなんらの拘束を受けず、
自分本具のものをそのままにしておく、あるいはそのままで働くの義である。松は松のごとく、竹は竹のごとく、松と竹と、各自にその法位に住するの義である。

東洋的な見方(鈴木大拙)

「自然」と同じく「自由」の自の字の意味を、はっきり知っておかなくてはならぬ。この自には自他対立の意義を含まないで、ただ一面の自である。すなわち絶対性をもつ自であることを心得ておくべきである。

東洋的な見方(鈴木大拙)

西洋では二項対立。すなわち、他との比較の文化であるのに対し、東洋は自、生そのものを大切にし美化する文化。
二項対立によって、ロジカルに知や技術を発展させてきた西洋の考え方も好きですが、生き方を考えた時、東洋的な哲学が今はしっくりきています。

「自分の可能性を人生の中で出し切ること」
「私は私のごとく生きること」
「比較することなく、絶対性をもつ自(自分)を然ること」

2024年に向けてはこれらを意識し、
”自然”に生きたいと思います。

自分の心に動くことを表現するのに躊躇するな。大人物だと言われている人でも、自分の心の中に在るもの以上に、何ものを持っているのではない。今ここに、一条の光明が射し込んできて、自分の頭の上に落ちたとせよ。如何にわずかでもこの光の証人は自分だけのほかに誰もないのだ。これを天下に宣言するに誰を憚れることもいらぬ。

エスマン論文集

美しく生きてきたものだけが美しく死ぬことができる。

茶の本(岡倉天心)

各個人が「自ずから然る」こと、「絶対性をもつ自」であることを意識することは、この時代を生きるための一つのヒントではないかと思います。


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