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2023クリスマス作品のご紹介/創作語り:定量と非定量のファンタジー

 アドベントカレンダー「創作ファンタジー Advent Calendar 2023」に参加中!🎄

 こんにちは! ヨドミバチです!
 自分が担当日な今日のアドベントギフトは、「アドベント連載するクリスマス作品の紹介・その他」!
 で、その本記事はどこにしようかな~と思っていて、投稿サイトの活動報告でもよかったんですが、せっかくなら幅広く見てもらいたい&ここも一応物書き名義でやってる――ということで、noteで初めて創作関連の記事を投稿してみることに致しました。



まずは2023クリスマス作品の紹介~アドベントカレンダーに向けて~

 連載中のクリスマス作品というのは次のモノ☟☟☟

  • カクヨム版

  • ノベルアッププラス版

『クジビキ魔王部のクリスマス・ウォーズ! ~アタリが出たら魔王です~』
です!

 2サイトで同時連載中! 現時点で第3話まで公開済み!
 カクヨム版がサブタイトルでアドベントカウントしている以外、中身は同じです。毎日更新で、25日に完結予定。

 クリスマスですから!という以上に今年はコメディに振り切った作品です。ドタバタ・ナンセンスなガールズコメディ。
 クリスマスは毎年こうやって短~中編作品を投稿しています(※ノベプラは今年が初)。まぁ、平均的に普段より明るめの作風です。

 ☝の企画にも参加しています。12月1日~25日で新規作品・毎日連載者の集い。自分は遅刻組ですが……。

 で、作品は「創作ファンタジー Advent Calendar 2023」の趣旨にも沿って、ファンタジー作品でもあります。
 現実世界ベースではありますからローファンタジー(現代ファンタジー)ですね。ただ、「魔王」とか「勇者」とか「魔力」みたいな定番ファンタジーワードがポンポン飛び出します。

 「第2話までの概要」は、実は昨日のうちに、投稿サイト側の活動報告にまとめておきました。

 ☝から、さらに第3話の内容を加えて概要部分を抜き出すと、

・ その学校(高校)には『魔王』が封印されている
・ 『魔王部』では、魔王の魔力を受け取る人間として、『魔王係』を選ぶ。
・ 魔王の魔力は増大し続けるため、誰かが魔王係になって増えた分を引き受けなくては、魔王が復活してしまう。
・ 魔王係になれるのは一度に一人だけで、誰がなるかは13日に一度の〝クジビキ〟で決まる(13日ごとに交代)。クジビキは純然たるくじ引き。
・ クジビキの成立には3人以上必要。なお成人は参加不可。
・ 魔王係になると、部員(クジビキ参加者)になんでも命令できるスキル=《王命》が与えられる。あと、ツノが生える。
・ 魔王部・魔王係のお目付け役として『勇者部』がある(生徒会の一部)。勇者部員は赤い腕章をつけていれば、《王命》を却下(キャンセル)できる。行きすぎた《王命》による魔王部離れを防ぐのが責務。

 太字は重要点と、3話で追加された情報です。
 この設定からなる魔王部の部活動、魔王係になれるチャンスであるクジビキの儀式や《王命》の使途をめぐって、魔王部員と勇者部員さらにその他が騒動を巻き起こすのです。

 そして、そのクジビキのタイミングがクリスマスとかぶった場合どうなるかが本作のメインテーマ。
 当初はクジビキ参加者数に下限があることが取り沙汰にされます。
 クリスマスは予定のある人も多いでしょう。なんて言ってられないぐらい魔王復活は恐ろしいことのはずですが、野放図なティーンズたちの意識はユルユルです(笑)
 3人ぐらいならギリギリ集まりそうですが、集まったとしてそのギリギリスレスレでうまくいくかどうか……もまた争点になってきます。

 という、物語の興奮や緊張は、あとは本編でお楽しみいただくとして、この記事では企画カレンダーの趣旨に則り、作品のファンタジーな部分、主に『魔力』の話を徒然していこうと思います。
 一素人創作者ヨドミバチ個人の思想や傾向の自己分析を書き出していくだけなので、こうしたらいいみたいな創作論とかではないですよ。


本題:『定量魔力』考

 そもそも「魔王」や「勇者」といった単語が拙作から飛び出すのは稀なことです、と急に言ってみます。こだわりといえばこだわりかもしれません。そしてその分、『クジビキ魔王部』は軽くてユルい作品です。

 偉そうな小見出しを入れましたが、何のことはありません。
 『魔力』にあたるものを定量的・計測可能なもの・量的依存性を持つものと捉えるのは、現代ではポピュラーだと思います。TVゲームのRPGで育った自分も、例に漏れずその解釈に馴染み深く多用する人種です。

 そこはさておき、この定量魔力思想(ぶっつけ造語)は、誰も気がつかない次元で2派に分かれている可能性があります。
 総量有限派と、無限派です。

 ユニークだとまで思いませんが、自分は総量有限派で、少数派かもしれないと感じます。
 つまり、世界全体における「魔力」なるものの総計量は決まっていて、無尽蔵ではないという捉え方です。
 また言いかえれば、魔力を資源のように捉えている節ですね。もちろん、自覚がある以上、作品によって使い分ける用意もありますが、基本的にはそっちがしっくりくるので使いやすくもあるわけです。

 自分の一番古い記憶はやっぱりゲームで、『テイルズ・オブ・シンフォニア』だった気がしますね。【ネタバレで恐縮ですが】二つの平行世界があり、片方が片方の魔力的な資源(マナ)を吸いあげているという世界観でした。本来均等にシェアされるべきマナは、総量が有限であるという思想にわりとはっきり基づいていますね。自分が有限派なのは思春期に出会ったこのタイトルがテイルズデビュー作でもあったからかもしれません。

 『クジビキ魔王部』でも、クドクドと特筆まではしていませんが、「魔王ワルプルギルスの魔力が無限に増え続ける特異性と脅威」は魔力がなんとんなく総定量可能な有限のものであることを前提にしています(ここのなんとなくはワンダーなので大事です)。本編の「魔王」はその脅威性を封印されちゃっててギャグキャラ化してるんですが、本来は世界の法則から外れているだけに奔放で手に負えない存在なんですねー。

 また、去年のクリスマス作品では、「年間幸福消費量に上限のある世界で、期末(年末)の過剰消費=クリスマスのやりすぎによる12月25日の消失」という、ちょっとSFみもあるネタをやりました。これは「幸福」を魔力と同様、目に見えない資源やFuelのように扱ったと言えます。資源というよりは予算みたいな雰囲気ですけど(笑)
 中身ははしゃいだラブコメですよ?

 ほかにも、「魔力とは生得的に人間が保有するもの」(意図した使用・観測ができない。この設定も好きでよく使います)という設定を定量意識で盛り込んだ魔法少女モノは、人口依存ながらある意味総定量可能な世界観を下地にしていると言えますし、人間世界の魔力総量を直接的に増やす手段を提供することで、人類との取り引きに成功した異世界生命体が登場する作品も書いています。

 なお、「実質無限」という考え方はありますよね。たとえ有限でも宇宙の体積のように莫大な数字なら、どれだけ取ってもなくならない、という。FFなんかそれっぽい世界観多くないですか?
 とはいえ、その場合も有限性の意識は作者にはあるわけです。表面的には純粋な無限派と区別がつかないから気づきづらいし、気づく必要もそんなにないんですね。

 そう、これらはほとんどの場合無意識下の思想ないしは思考傾向だと思いますし、思想自体に優劣があるはずはないと思っています。なにより読者は関知しない部分でしょう(わかったてもだからなんだっていう)。だから自分や誰かがどちらだからと良くも悪くも気にしたりする必要もなければ、しいて自覚や反省をしなくてはいけない話でもないわけです。
 ただ、自覚を持ってみれば創作のバリエーションが広がる可能性はありますよね。そんな希望を踏まえて、この分析を面白がってもらえたらいいかなと思います。

  • ☟は、人間が使えない魔力を保有している例。人間が無理ならマスコットに渡して戦ってもらおうな魔法少女モノ(※スプラッタ)。

  • ☟は、有限な魔力総量の注ぎ足しを社会的義務にして異世界生物「マスコット」が人間界で生存権を得る魔法少女モノ(音楽青春モノ)。同じ異世界生物で魔力無限増の『天使』たちから魔力を回収する。【連載中★】


余談:非定量のハイファンタジー

 ところで、ここまで解説してきた定量有限的な「魔力」を、一方でハイファンタジーな物語には持ちこまない天邪鬼がヨドミバチでもあります。これは完全に余談ですよ。意識的なこだわり。

 そもそもローファンタジー、つまり現実世界ベースでファンタジー化するには「魔力」みたいなハイコンテクストが便利ってだけなわけです。とうからファンタジーなハイファンタジーで、そこの説得力に必死になる必要はないでしょう。せっかくの異世界なんですから、机の上で勘定をしてるみたいにせせこましくならず、もっと野放図に大胆にやりたい(自分が書くときの話です※)。

 現状は二作の長編ハイファンタジーを書いて、世界観は共有しています。別の時代、別の場所の話みたいな。
 基本的に魔法とかはなし。特殊能力などもなし。もちろんTVゲーム由来系の要素もなし。

 ただ、ほとんど量的要素に依存しない、現象に近い後天的異能としての《呪詛》が存在します。

 《呪詛》は、ごく単純に願いが叶うというもの。
 ただ、不可逆的な精神崩界・復元不可能な自我消失が発現のトリガーという過酷なものになっています。当然一回きり。鶏と卵の順序問題も明白で、《呪詛》の発現によって精神崩壊するのではなく、精神崩壊の余韻として《呪詛》があります。こんな設定ですから、せっかく発現した《呪詛》も制御不能で、願いを叶える事象としては当人の望んだかたちと異なることも普通です。

 ここまで来ると《呪詛》は災害であり現象、それも怪奇現象に近くなります。
 自然と人為の対立とはまた異なるアプローチでの、自然現象の対義語としての怪奇現象です。
 自然現象は科学的に解明可能ですからね(解明済みかは問わず)。《呪詛》は機序が明らかであるにもかかわらず、現象としては徹底して不条理。

 その不条理に、資源の不在も含まれます。
 言ってしまえば、たとえば「呪力」みたいな定量可能な要素があれば、それに応じたなにかしらの強弱や持続性が左右されたりする。そういうことが理不尽に省略されるわけです。

 別に古来の魔法の復権を狙ってるわけじゃないんですけどね。
 先にも書いたとおり、野放図に、大胆にやりたい。
 自然現象が解明可能だとすれば、最後の最後には人類にも制御できてしまうかもしれない。人類に不可能でもそれが矮小性に依存するなら、人類以上の存在が登場するだけで解決してしまう。フィクションですから。

 ワンダーに永遠性を求めたいなら、論理を排すること、人類の手の内から解放し、制御の可能性を彼方に追いやることだというのが、私が出した一つの答えです。

 まぁそんな大それた回答の具体例に《呪詛》がふさわしいとまでは思わないんですけどね。神様ではないので詰めが甘い。人類は賢いので、不条理を不条理のままパッケージングして制御する方法は見つけてしまいました。
 とはいえ、パッケージの中にはいまも宇宙があります。永劫に恐るべき怪奇の海。これを引き継いでまたファンタジーを書いてみたいですね。

  • 1作目:《呪詛》が潜む世界で医の心を問うハイファンタジー

  • 2作目:亡霊と《呪詛》の運び手たちが踊った空騒ぎの夜

  • 《呪詛》の設定に則った短編。


 はい、というわけで、半分自作紹介の形でやらせていただきました。ほぼほぼ自分語りですからね。ユルゥ~い企画として機会を頂けたことに感謝です!
 興味を持てた作品はお読みいただければ恐悦至極。もちろん応援・ファンアートなどは大歓迎!

 それでは、みなさまもメリークリスマス!!!


見出しイラスト:
・画像素材(背景):Clark & Company様『RPG用背景イラスト素材集』
https://clark.booth.pm/ ※購入者以外の利用・再配布禁止
・画像素材(剣):Midjourney


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