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「MASTERキートン」アニメ化の直後、原作絶版の謎

今回は、「MASTERキートン」について書いてみたい。
この作品は「20世紀少年」や「MONSTER」と並ぶ浦沢直樹先生の代表作のひとつだが、その特徴は長編ながらも1話完結スタイルをとってるところにある。
こういうの、漫画家としては描くのが凄く難しいと思うんだよね。
皆さんは短編と長編、描くのはどっちが難しいと思う?
私は、短編の方が難しいと思うんだ。
えぇっ、逆だろ、と思う人は多いだろうけど、創作経験のある方なら多少はご理解いただけると思う。
長編は足し算で、短編は引き算
クリエイターにとって、引き算は足し算より遥かに難しい。
だからこそ「ゴルゴ13」とか描いてきたさいとうたかを先生なんて凄い人だと思うし、ましてや、あれって作中の情報量がハンパないだろ?
聞けば、さいとう先生はほとんど作画をしてなかったとやら。
顔を描くだけで、他は全てアシスタントの作画だったらしい。
多分、先生は世界情勢の取材の方がメイン。
じゃ、「MASTERキートン」はどうだったのか?
これも、「ゴルゴ13」に負けないほどの情報量だよね。
なぜって、これの主人公キートンは考古学者で、彼の父は動物学者で、彼の母は数学者。
皆がアカデミックな設定になってるもんだから、必然的にその内容も学究的なものがテンコ盛りになってしまうわけね。

「MASTERキートン」

確か、考古学者キートンの学説は「欧州文明ドナウ起源説」だったっけ?
世界の古代文明は、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河などが有名だが(最近じゃ日本の縄文文明もそこに加える人もいるっぽい)、一方で欧州ギリシャやローマの繁栄は、一体どこの文明がルーツになってるのか?
そのへん、いまだよく分かってなかったりもする。
で、キートンは「ドナウ河周辺に、いまだ我々が発掘できていない古代文明があった」と考えているわけさ。
古代史ロマンだね~。
しかし、この学説は学界の少数派でスポンサーもつかないもので、それゆえキートンは学者ながらも考古学一本では食っていけない身。
やむなく彼は副業で保険調査員をやっており、その副業での活躍がこの物語のメインプロットとなっている。
なんせ、彼は元SAS(英国陸軍特殊空挺部隊)のサバイバル教官である。
よって見た目と裏腹に、実はめっちゃ強い。
身体能力や格闘スキルで強いというより、豊富な知識と判断力で強いというタイプだけど。
いや、だからこそ、この物語にはミリタリーに関する情報もハンパないほど込められてるのよ。
果たして、浦沢先生は一体どこから、こんな情報を引き出しているのか?

これは、「MASTERキートン」の初版本である。
ここでは、作/勝鹿北星、画/浦沢直樹となってて、つまり、この作品の膨大な情報量の源は、この勝鹿北鹿(かつしかほくせい)なる人物だったと推測できる。
この人、その正体は「ゴルゴ13」の元脚本スタッフだった、きむらはじめ先生らしい。
ああ、なるほど。
どうりでミリタリー要素も含め、色々と情報が豊富なわけだ。
まあ、さいとう先生のところは脚本スタッフだけでも延べ数十名いたらしいし(作画スタッフも延べ数十名いたらしい)、もはや漫画家というよりは、一種の工場なんだけどね。
当時、浦沢先生は並行して「YAWARA!」の連載もしてたわけだし、なかばきむら先生の言われるがままに作画してたんじゃないだろうか。
ところが、だ。
現在流通している単行本を見ると、こんな表紙になっている。

「完全版」の装丁

初版本の時は一番上に「勝鹿北星」の名前が表記されてたのに、現在では「浦沢直樹」の名前がまず表記されて、その一段下に少し小さなサイズで「勝鹿北鹿」、またその隣りに「長崎尚志」という名が新たに追加されている。
長崎尚志、これは担当編集者の名前だ。
普通、担当編集が制作に携わったところで、原作者として名を連ねることはほとんどない。
じゃ、なぜここで長崎さんの名前がいきなり出てきたのか?
これがちょっとややこしい話になってて、漫画に詳しい人ならよく知ってる有名な話なんだけど、実はこの作品、いつの頃からか浦沢先生と長崎さんのふたりだけで描いていた(つまり、勝鹿北星の脚本は採用してない)らしいのよ。
えっ?
じゃ、著作権はどうなるの?
そう、問題はそこ。
勝鹿北星の名前は最初に登録してる以上、たとえ現時点脚本を書いてようが書いてなかろうが、本が売れりゃ印税は勝鹿北星名義のきむら先生へ自動的に入るわけだ。
これはいかがなものかと、浦沢先生と長崎さんが手続き変更を申し出る事態となった。
そして話し合いの末、
印税は現状の折半のまま、ただし勝鹿北星の名前は増刷分の本から表記を小さくする
という落としどころになったらしい。
ところが、そこに某大御所の先生が割り込んできたのよ↓↓

海原雄山

そう、海原雄山先生・・じゃなかった、その原作者の雁屋哲先生が怒鳴り込んできたのね。
どうやら、きむら先生と雁屋先生は過去に共同で執筆をしたほどの仲だったらしくて(この人も「ゴルゴ13」の脚本書いてたらしい)、おそらく雁屋先生も義侠心から黙ってられなかったんだろう。

めっちゃ激怒の雁屋哲
朝は機嫌が悪い雁屋哲

いや、さすがに暴力はなかっただろうけど、雁屋先生は当時ビッグコミックスピリッツの看板「美味しんぼ」の原作者であって、また困ったことに長崎尚志はその時スピリッツの編集長という立場、浦沢先生もスピリッツにて「20世紀少年」を連載中の立場・・。
結果的に、「MASTERキートン」の重版は差し止めになったとのこと。
実質、絶版(現在流通している「完全版」の出版は、そこから約十年を経てからのことである)となった。
それでも、まだなお雁屋先生の怒りは収まらない。

結果的に、長崎編集長は小学館を辞めることになったらしい。
でも、この長崎さんもなかなかタフな人みたいで、すぐに小学館のライバル講談社で連載漫画の原作を書いちゃうし、あとは「ゴルゴ13」の脚本まで書いてたみたいだね。
あれ?と思うでしょ。
きむら先生は「ゴルゴ13」でかつて脚本スタッフだったというのに、その彼とモメた長崎さんを脚本スタッフとして受け入れた、さいとう先生の意図するところは何なの?
・・どうやら、長崎さんは昔「ゴルゴ13」の担当編集をしてたこともあるらしい。
で、本来なら「大御所とトラブルを起こしたら業界でホサれる」がセオリーだろうに、なぜか長崎さんは全くホサれることがなかった。

長崎尚志原作小説のドラマ化「闇の伴走者」は元編集長が主人公の話なんだが、めっちゃ面白いよ

あと、このゴタゴタが起きてた頃、きむら先生はもう既に病気で亡くなってしまっていた(つまり、雁屋先生がひとりで騒いでたのね?)、という現実もある。
一応、きむら先生の名誉の為に言わせてもらうが、彼はちゃんと「MASTERキートン」の脚本をずっと書いてたんだよ。
ただ、浦沢先生と長崎さんがそれを採用しようとせず、勝手にふたりきりで物語を作っていったらしい。
それを踏まえて、きむら先生は「原作者を降りさせてくれ」と自ら申し入れていた、とも聞く。
あぁ、それはちょっと彼が可哀相だわ・・。
聞けば、序盤のうちは確かにきむら先生の脚本は採用されてたっぽいのに、でも、どこかのタイミングから双方に「方向性の違い」が生じたということだろう。
バンドでいうところの、「音楽性の違い」か?

ドリカムにせよ、Every Little Thingにせよ、いきものがかりにせよ、みんな3⇒2は宿命なんです

で、浦沢先生と長崎さんは今でも蜜月の関係ですわ。
逆に、このコンビを強固なものにしたのが間違いなく「MASTERキートン」の原作騒動であり、それを踏まえた上で、一度「MASTERキートン」アニメ全39話を見てほしい。
どこかのタイミングで物語のクオリティが上がるとか下がるとか、「ここで勝鹿北星が降りたな?」と把握できるようなものがあったかというと、それは全く感じさせないんだよね。
終始安定して面白く、むしろ「ハズレ回は一個もなし」と言っても過言ではないほどさ。
1話型完結型サスペンスで、これほど完成度高いものは他にないと思う。
これは、絶対に見ておくべきアニメである。
なんなら、敢えて「美味しんぼ」とセットで見るべきアニメかも?


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