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どんなに愛おしい今日も、明日には過去に変わってしまう

東京。無慈悲に見下ろすビル群、煌々と光る眠らない街。

この街で育ったわけでもないし、この街に救われたわけでもないし、この街に恩を返したいなんて間違っても思わないけれど、出会いも、別れも、あなたの喜んだ顔も、切ない顔も、いつも背景はこの街だった。

「今を大切に生きたい」と願って止まないけれど、いつも「今」を掴み切れない、するりと手から抜け落ちてしまう。

思わずガッツポーズをしてしまうような喜びが込み上げる瞬間、気心の知れた友人と顔を赤らめるひととき、ずっと前から待ち遠しく生きがいになっていた今日、儚くも、そのどれもが程なくして「過去」に変わってしまう。

大切な瞬間や大切な日ほど、それを「大切だった」と実感するのは、“過去へ変わってから”だったりする。

一夜明けても余韻が冷めない時、すっかり戻ってきた日常に何とか非日常を見出そうとした時、一年経ってふと恋しく感じられる時、大切な記憶が一つ増える。

たいそう理屈っぽく、つまらなく表現してしまえば、「今この瞬間を大切に生きよう」と願う時にはすでにその今は過ぎ去っていて、そうこうしているうちに、後ろを振り返ってみると数多の過去が積み重なっている。

だから、過去を大切な過去として記憶できる僕らは、きっと幸せだ。

喜びに満ちたあの感覚、悲しみが溢れた感覚、もうそれらをそっくりそのまま思い出すことはできないけれど、“あの時の今”が何度背中を押してくれただろうか、道標となってくれただろうか。

過去を変えたくて、「どうしてあの時あんなことを」と青すぎた自分を悔やんだり、「誰かタイムマシンを」と未来の誰かに他力本願になった日もあった。

もちろん、過去は変えられないけれど、僕らは過去の認識を変え続けることで前に進み、時には立ち止まってじっくり後ろを振り返ったりする。大切な過去の記憶に背中を押され、自分を見失った時もまた、大切な過去の記憶を掘り起こし、自分らしさを確かめる。

今を大切に生きている実感を持てなくても、いつか今を振り返った時に「あの日(々)があったから」と思えたなら、それで良い。

どんなに愛おしい今日も、明日には過去に変わってしまうけれど、今この瞬間が自分にとってどんな意味を持つのか、未来の自分に期待して委ねてしまえば良い。

たとえ、恐ろしく平凡な日々でも、お世辞にも前進したとは言えないような日々でも、いつかそれを大切な過去として、愛おしい日々として記憶できる日が来る、今はただそう願って止まないのだ。

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