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金曜日、今日もみんな平気な顔して生きている

大人になって「自分」が分からなくなるのは、ありのままとか素をなかなか見せられなくなるからかもしれない。

誰かの顔色を伺ったり、自分の立場を気にしたり、数少ない心を開ける友人と気づけば疎遠になっていたり。

だから、こうして平気な顔をして生きている。何事もなく、いや、何事もなかったかのように一日を過ごし、あっという間に一ヶ月、一年と経過している。

時には、「平気じゃないんだよね」ということさえ、平気な顔して言ってみたりする。

そうしているうちに、段々と分からなくなっていく。

「自分がどうしたいのか」
「自分がどうありたいのか」
「自分は今何を感じ、何を思っているのか」

「毎日死んだ顔して満員電車に揺られるのが嫌だ」なんて、どこかの誰かのサクセスストーリーにありがちだけれど、むしろ、死んだ顔して自分を保てるくらいならその方が良いのかもしれない。

本当は死んだ顔でもしたいくらい、心も体も疲弊している時に、平気な顔して過ごしたり振る舞ったりする方がよっぽど辛い。

大人になって、自分じゃない自分を見せるのが上手になった。
大人になって、弱さを見せる強さが欲しいと思うようになった。

無理していると実感する時、同時に、大人になったことを実感する。

「早く大人になりたい」

金曜日の帰り道、あの時思い浮かべた“大人”と“大人になった自分”を重ね合わせる。


僕には、「生きているだけで凄い」と言えるだけの人生経験もなければ、誰も傷つけることなくそれを伝えられるだけの表現力もない。

だから、今日もどこかで平気な顔して何かと必死に戦っている人がいることを、忘れないようにこうして書き残しておきたい。

欲を言えば、せめて金曜日の夜くらいは平気じゃないあなたでいてほしい。


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