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映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』レビュー 〜気高く誇り高き、守られるべき尊厳の物語〜



『国』という括り(くくり)の中でしか生きられない私たち

2016年11月、英国下院議会の首相質疑応答で、労働党の党首が英国の生活保護受給者・失業保険受給者の実情を示し、

“メイ首相は、カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した『わたしは、ダニエル・ブレイク』を鑑賞すべきである。”

と答弁したそうだ。

確かに、本作『わたしは、ダニエル・ブレイク』を観終えた時、強烈な社会への不信感や政治への不信感に見まわれ。、今生きている自分たちの社会を振り返りたくなる。

私たちは、地球という星で生きているが、正確に言えば『国』という最大単位で括られている。

戸籍を持たなければ最低限の人権は保障されない。
逆をかえせば、帰属する国の仕組み(システム)に従い、生活をすることを余儀なくされている存在なのだ。

運良く、平和で豊かな日本という国に帰属する私たち。
しかし、『先進国』と呼ばれる日本国であっても、貧困や生活苦という言葉は、過去も現在もいっこうに無くなる様子はない。

他の国から見たら、『日本の貧困なんて….』と鼻で笑われるかもしれない。

しかし、『貧困』という定義は幅広く、個々が希望を持ち最低限の生活を送れなければ、それは『貧困』と呼ばれるのではないだろうかと思う。そして、そこには当然のごとく、人としての尊厳も守られなければならない。それが脅かされる事態に見舞われたら、それはやはり『貧困』と定義されるのだろう。

本作、『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、2016年のカンヌ映画祭でパルム・ドール(最高賞)を受賞した傑作である。一度は引退を発表した名匠・ケン・ローチ監督が再びメガフォンをにぎり、『貧困』と『人の尊厳』を見事な映像表現でつづった作品である。

ケン・ローチ監督が引退を撤回してまでも訴えたかったのは何か。

『日本に貧困はある、貧困は無い』の論議を、今一度観直し、人々が政治への関心を高めるためのキッカケとなる一作でもある。

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皆保険制度があるものの、自己責任社会

本作のパンフレットに書いてあったので初めて知った事実がある。


現在、英国では200万人相当の失業者に溢れ、世界で5番目に飢えに苦しむ人が多い国なんだそうだ。

『えー?英国の失業者200万人って多くない?』と思ったが、調べてみると、実は日本の完全失業者も200万人弱いるので、日本も人事では無い問題だったのか....と気付かされる。

飢えに苦しむ人々の数に関しては、ちょっと調べきれなかったので、今ひとつ分からないが、英国が5番目という事は、かなり衝撃的である。

戦後、日本も英国も国民の社会保障を支える国民皆保険制度ができた。しかし、英国は、サッチャー政権による緊縮政策で、弱きものを支える社会保障部分がカットされ強烈な『自己責任社会』へ進んでいった。

これが、国民の未来不安を増強させ、いわゆる格差社会を生み出したのである。


これは、日本も大差ない。
国民皆保険制度は確立してはいるものの、社会保障制度は破綻しかけているし、未来の若者の負担増を考えると、日本もまた『自己責任社会』が蔓延していると言い切れよう。

日本でも、『自己責任社会』から脱却するとして、民進党が民主党政権時代に税と社会保障の一体改革を打ち出したが、結局、中途半端に失敗となり全てが棚上げになった。

自分の事は自分で責任を負う。自分の未来は自分が養う。未来のために貯蓄はかかせない。だから、今は消費できない。

昔も今も、私たちは『自己責任社会』の中で萎縮しながら、まだ見ぬ不安定な未来に怯えながら生きている。まさに、英国にも同じ事が起きていることに、親近感を感じながら同情してしまう。

なのに、票が欲しい政治家は、国民が痛がるような大胆な政策は打ち出せない。まさに、未来への負のスパイラルが進行中なのである。

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守られるべき尊厳と、誇り高い人間のプライド

本作は、そんな英国における『貧困』と『格差』、行政(政治)への警鐘を、一人の中年男性であるダニエル・ブレイクの姿を通して、リアリティに溢れた物語として綴っている。

物語は、長年、大工一筋で真面目に仕事をしてきたダニエルが心臓病でドクターストップがかかってしまうことから始まる。国からの雇用支援手当を受けようとするが、あまりにも事務的すぎる役所の対応に思うように手当が受けられなくなってしまうというストーリーである。

そんな中、たまたま役所で出会ったシングルマザーとの人間交流を交え、様々な立場から国の社会保障制度の矛盾を映画の中で訴えている。

英国と日本の社会保障システムは若干異なるが、大体想像できるため、話は非常に分かりやすい。日本の雇用保険の給付システムも近からず遠からずなので、ダニエルとシングルマザー(ケイティ)の苦しみは容易に感情移入できる。


決して、無計画に生きてきたわけではないのに、ちょっとしたボタンの掛け違えで軌道修正できない社会への不信感や矛盾感の表現は、ダニエルを通して観ているこちら側までリアルに届き胸が震えてしまった。


まさに、監督であるケン・ローチの怒りであろう。


いや、ケン・ローチ監督のみならず、真摯に社会に貢献し他人を愛する事のできる普通の男性が、社会の不条理にさらされる姿は誰もが怒りを覚えるはずだ。

そんな不条理な社会に立ち向かいながらも、人間の尊厳を確認することの重要さをあらゆる人々に問題提起してくれる。そこが本作の素晴らしい所である。また、普段は光の当たりにくい、貧困を影で支えてくれる様々な団体の活動にも関心を向け、より多くの人びとの支援を呼びこむためにも本作は一躍担っている価値ある作品である。

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映画収益の50円が寄付される

また、『わたしは、ダニエル・ブレイク』本映画を通じて得られる収益は貧困に苦しむ人々を支援する団体に寄付されるそうだ。(有料入場者1名につき50円)

本作を公開するために関わった制作チームの、この社会問題を提起することへの意欲が感じられる。

また、『わたしは、ダニエル・ブレイク チャリティプロジェクト』として基金を立ち上げているのだそうだ。この基金は、劇場興行から得られる収益だけでなく、二次利用以降の収益を含めた全収益の一部から、貧困に苦しむ人々を援助する団体を助成することを目的とした基金なのだそうだ。

映画をキッカケとし、今、社会に起きている『貧困』『格差』という問題を、より積極的に考える事のできる非常に有意義な取り組みだと思う。

本作にも登場するが、『貧困』などをサポートする様々な団体や活動がある事を知ることで、より社会情勢に関心を持たなければならないのだと実感させられる。

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政治家という職業はいらない、国を動かす『人』でいて欲しい

私たちは、いつも政治の現場から遠い所にあるように感じる。

生活そのものは、政治と深く密着しているにもかかわらず、無関心でいても何も問題なく日々を過ごしていけるからだ。

しかし、常日頃から、政治に無関心でよいのか?と思う。

よく分からなくても、知ろうとすること。
理解できなくても、理解しようとすること。

今の政治と私たちの関係は、まるで手放しで運転可能な自動運転のようだ。

しかし、本当は私たちの明日を委ねている政治の手放し運転させてはいけない。

決して、政治に無関心で良い訳が無いのである。

だから、『政治家』という職業は必要ないのと思う。国を運営する『人間』であって欲しいし、血が通っていて温かい体温の感じられる人工知能(AI)では決してできない『人間』であって欲しい。


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