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品切れメニュー、どう案内する?

先日、お昼に行った定食屋。

席につくと、店員さんがメニューブックを取り出し、ページを開いてくれた。

「こちらの〇〇定食と、□□定食は品切れです」

ページをめくって説明してくれた。

お目当ての定食があった訳ではなかったので、
「分かりました」と返事をし、別のメニューを見る私。

何にしようか悩んでいる間も、続々と入ってくるお客さん。
一組ずつ、メニューブックを開いて、品切れ定食を案内する店員さん。

それを聞いていて、思ったこと。

「品切れ」の表示をすればいいのに。

たとえば、メニューの上から「本日完売」などのシールを貼る。

メニューを見た人は「完売したんだな」と理解する。
それじゃあダメなのかな?

そんなことを考えていたら、先日読んだ本のことを思い出した。

鴻上尚史さんは著書「世間ってなんだ」の中で、以下のように書かれていた。

日本では「世間」との付き合い方は教えてもらえるが、「社会」との付き合い方を知らない、と。

世間
→会社、学校、友人など自分と関わりのある人

社会
→電車で隣に立っていた人、歩行時にすれ違った人など

だから
友だち(=世間)が困っていたら親切にできる。
でも、見知らぬベビーカー子連れの人(=社会)が駅で困っていても、すぐに助ける人は少ない、と言う。

******

これを品切れメニューに当てはめてみる。

仮に私が定食屋をやっていて、友だちが来店したとする。
品切れメニューがあったら、「本日完売」シールを貼るだろうか?

おそらく、メニューを開いて
「ごめんねー!今日これとこれ完売なんだよね」
と言う気がする。

本日完売シールを貼るということ
=友だちと会話したくない、質問しないでね、という分断になるのではないか?

そう考えると、定食屋の店員さんはすごい。

「こちらの〇〇定食と、□□定食は品切れです」

と、口頭で案内している。
これは、世間と社会を分けていない、良い例なのではないか?

実際に、店員さんとお客さんの会話を聞いていると…

******

店「こちらの〇〇定食と、□□定食は品切れです


客「あ、そうなんですか(残念そうな表情)」

店「こちら、数量限定なんです。開店のタイミングで来ていただければ、ご用意できますよ」

客「次回は早く来ます(ニッコリ)」

******

こんな会話が聞こえた。
素敵な会話である。

シールを貼ったらいいのに、と思った私。
この思考は、きっと「世間」と「社会」を分けている人間の典型的なそれなのだろう。

そう思うと、なんだか自分が寂しい人間に思えてきた。


もっと人と「対話」できるようになろう。

<あとがき>
でも、口頭で聞くと右から左に受け流してしまうのもまた事実。
シールを貼った上で、「ごめんねごめんねー」と説明するのが親切なのかも?と思ったり思わなかったり。
今日もありがとうございました。

▼鴻上尚史さんの本はこちら。


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