感情のはけ口と芸術
夏目漱石の小説「草枕」のなかで、主人公が、腹が立ったとき、悲しいときに俳句(「十七文字」)を作ることの利点を述べています。
「まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否やうれしくなる。涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自分になる。」
芸術には、こういう面もあると言いたいのでしょうか。
漱石らしいユーモアを交えている感じもあります。
私には、腹が立ったときに俳句が作れる自信はないですけれども。
そうですね。自分のできること、私ならピアノ曲にして、弾いてみることぐらいなら、できるかもしれません。
他人に、自分の苦境を分かってもらうように話すことは、なかなか難しいことです。
相手がきちんと理解できなかったり、うんざりされたりすることもあるでしょう。
そもそも話す気力さえ起きないことだって、ありますよね。
そんなとき、その思いのたけを、抽象画に書いてみたら。
俳句や短歌、詩にしてみたら。
歌や曲にしてみたら。
紙工作で表してみたら。
何かしら、感情のはけ口になる自分なりの芸術を持てるようにすると、いいのかもしれません。
もちろん、上手くなくっていいのです。
感情のはけ口ですから。
そうしているうちに、他人に見せても良いと思う作品が、生まれることもあるかもしれません。
趣味として、人生を楽しむ手段になるかもしれません。