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【休職】ラッキーかアンラッキーかは自分で決められる

適応障害で休職5ヶ月目の50代男です。

会社を休職中につき、休みの過ごし方や、気付いたことなどを日々ゆるっと発信しています。

今回は、自分の人生、選択、岐路、などにおいて、ラッキーだったか、アンラッキーだったかは、自分の考え次第ではないかな? という気付きについて書こうと思います。
別の表現だと「運が良かった/悪かった」と言い換えることもできます。

関連記事は、以前書いた以下の記事。
今思えばラッキーだった」というセンテンスが複数回、出てきています。

ラッキー/アンラッキーは表裏一体

上記の過去記事から引用します。

20代~30代の働き方について、以下のように書いています。

◎ポジティブ例(実際の記事)
若かりし頃の仕事が楽しかった、オン/オフともに充実していた、というのは、令和の時代ではなかなか難しいので、今思えばラッキーだったと思います。

これは、以下のようにネガティブな表現に言い換えることもできます。

◎ネガティブ例(架空の言い換え)
若かりし頃は、仕事は確かに楽しかったし、オン/オフともに充実していたのですが、いくら深夜残業しても残業手当は出ませんでした。残業が200時間を超えても、土日とも休日出勤しても、給料はさほど変わらず。
その頃、現在のように残業手当がきちんと出ていれば、相当お金が貯まっていたはずなのに。アンラッキーとしか言いようがありません。

どうでしょうか。同じ状況を説明しているはずなのに、ネガティブな思考・書き方に持って行くことができるのです。

同じく、40代の働き方でも、「実績を積むことができ、年収も上がってラッキーだったと思う」と書いていますが・・

◎ポジティブ例(実際の記事)
働き盛りの年代で、お金も何かと必要なときに、会社の業績に連動して年収が上がったこと、そしてリーダー職に抜擢され、大変だったけどマネージメントの実績を積むことができたことは、今思えばラッキーだったと思います。

こちらも、ネガティブに言い換えるとどうなるでしょうか。

◎ネガティブ例(架空の言い換え)
リーダーに指名され、その頃は社員全体の年収も少しずつは上がっていたのは確かですが、役職手当はないので、その責任の重さに反して、報酬は部下と同じか、むしろ私の方が低い場合もありました。
その頃からモヤモヤした気持ちが蓄積し始め、徐々にメンタルに影響が出始めました。それなら、1メンバーとして責任が軽い業務を担っていたほうがお得じゃん、って思います。今思えば貧乏くじ。不運でした。

と、いうような記述にもできます。
やや作為的に書き換えている感はあるものの、フィクションでも捏造でもなく、「事実としては1つ」です。
思考の方向次第で、どちらにも受け取れるということですね。

そして、50代で結局体調を崩し、「適応障害」と診断されて休職に入ります。
以前の記事では以下のように書いています。

◎ポジティブ例(実際の記事)
取り返しの付かない状況になる前に、人生を休むという選択ができたのは、今思えばラッキーだったということかもしれません。

これは、本音でそう思っています。

・会社を休職しなければならなくなったこと
・収入やキャリアも諦めざるを得なくなったこと
・今後の人生が不安に満ちたものになったこと

を、「とても悪いこと、ネガティブなこと」ととらえ、会社を批判する文脈で語ることは、いくらでもできると思います。

◎ネガティブ例(架空の言い換え)
取り返しが付かない状況になる前に、休職するできたから、まだ良かったものの、ひとつ間違えたら再起不能まで追い詰められたかもしれません。
まだ人生これからというときに、収入もキャリアも途絶えてしまった。ホワイトの皮を被ったブラック企業め、許さん。これからどう生きればよいというのか。この恨みはらさでおくべきか。

ちょっと調子に乗りすぎました。すんまそん。

考え方を別の角度から試してみよう

ここまで、休職に至ったまでの会社員人生について、節目となった出来事が、ポジティブにもネガティブにも解釈できる、ということを書きました。

もう少し過去にさかのぼってみるとどうでしょうか。

大学受験のこと

私は大学を国立大を2つ、私立大を2つ、合計4つ受験して、合格は2/4でした。
結局、国立の第1希望は落ち、国立大の第2希望の学部に進みました。
これは「受験失敗」と言えるでしょうか。

振り返ってみると、結果は「これでよかった。ベストだった」です。
浪人してまで第1希望にこだわっていなかったし、もし第1希望に合格していたら、学生時代は大変苦労した挙げ句に、あまり楽しめなかった気がします。就職には有利だった可能性はありますが、本当に好きなことだったか、というと疑問でした。

ただ、これも実際には経験していない、仮定の話なので分かりません。
想像するしかありません。

就職活動のこと

就職も同様ですが、「絶対にやりたい」という仕事はありませんでした。
興味がある業界をいくつか受け、希望が上位だった企業はことごとく落ちました。

結局、友人に教えてもらって、当時はまだベンチャー企業と言ってもよい会社になぜかスルッと採用され、現在に至ります。
ノーマークだったので、企業研究もろくにしていませんでした。
気合いを入れず、気楽に受けられたのが、逆にプラスに働いたかもしれません。
パソコンやプログラミングは未経験だったにも関わらず、技術職として研修を受けさせられ、研究・開発の部門に配属されました。
「いや無理」と思ったのに、フタを開けてみれば楽しい仕事でした。
私の人生の中でも、最大の「運が良かった」経験と言えるかと思います。

【結論】 運・不運は考え方次第

タイトルを「ラッキー・アンラッキー」と書いておきながら、ここでは「運・不運」と日本語にする意味は・・。
特にありません。

それはさておき、言い尽くされた言葉かもしれませんが、自分は運が良かった、ラッキーだった、という思考は、人生をポジティブに生きることに繋がる最大のポイントだと思います。

自分の場合、現在はメンタルと体調の不調のため、評価も給与も地に落ち、会社を休職せざるを得なくなった、という事実は変わりません。

それを脱落者だ、ドロップアウトだ、落ちこぼれだ、ポンコツだ、と自分を卑下することはいくらでもできます。
事実、休職が決まったときの一番の実感は、「落ちこぼれてしまった」でした。

しかし、考え方を切り替えて、「仕事の苦痛から、とりあえず脱出することができた」、「お金をもらいながら、自由な時間ができた」と見なすこともできます。
これは大変ラッキーなこと、と言えるのではないでしょうか。

幸い、ストレスのもとから距離を置いていれば、日常生活は普通に送ることができます。1日中寝込んでいる、とか、薬が手放せない、という症状までは達していません。
期間限定ではあるものの、スペシャルな休暇として機能しています。

会社に残っている社員の方々には悪いですが、その人たちはお金と引き換えに、命と時間をゴリゴリと削って、やりたいこともできず、家族との時間も取れず、挙げ句の果てに力尽きて会社に捨てられるかもしれません。
私のように、もうダメと思った段階で白旗をあげていれば、廃人にならずにすんだのに・・。
(※すみません。わざとブラックな書き方にしています。ご容赦を)

ほんとに結論、「自分は運が良い」と考えましょう。
その思考が、本物の運を引き寄せてくると信じています。

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