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「自分は特別じゃない」と気づくまでの10年間

14歳で不登校になったとき「自分だけが特別に生きづらい」と思い込んでしまった。

「自分は特別に優れた存在だ」と思う人は、言わずもがなヤバい。でも、「自分は特別に劣った存在だ」と思うことも、同じくらい偏っていてヤバい。

当時の私はそんな「自分は特別病」にかかっていたのだが、自覚はなかった。


専門学校生のとき、村上龍の『共生虫』という小説を読んだ。

引きこもりの主人公・ウエハラが選民意識を抱いて犯罪に走る描写が気持ち悪すぎて、激しい憎しみが湧いた。

それを学校の友人・るみ姉(ルミネのキャラに似ている)に話すと、

「あー、でもそういう選民意識ってあるあるじゃない?」

とサラっと言われた。

「私は『共生虫』読んで、あるあるだなぁって思ったよ。ああいう謎の選民意識って多かれ少なかれ思春期には誰もが持つものだし。それこそドストエフスキーの頃から描かれてるわけで、普遍的なものなんだと思うよ」

衝撃だった。選民意識って、誰もが持ってるものなのか。るみ姉も、感じたことがあるのか。

なーんだ、私だけじゃないのか。

私だけが特別に「自分は特別」と思ってるわけじゃないのか。

私はそのとき初めて、「自分は特別病」であることを自覚した。

◇◇◇

たぶん、私が『共生虫』の主人公・ウエハラに抱いた腹立たしさは、競争心と同族嫌悪だ。

「はぁ? 自分が特別って、何言っちゃってんのムカつく!」という感情の裏には、「特別なのはあんたじゃなくて私よ!」という幼い競争心があったのだろう。

なんだか嫌だった。

私自身が「自分は特別病」であること。

それが「みんなが多かれ少なかれイニシエーション的に罹患する病」で、つまりはちっとも特別じゃなかったこと。

だけど、こじらせると破滅に向かうおそれがあること。

不遇によってこじらせやすいこと(『共生虫』のウエハラは引きこもりで、『罪と罰』のラスコーリニコフは貧困だった)。

それらのことがすべて、なんだか嫌だった。

◇◇◇

その数年後。私が24歳のとき、秋葉原通り魔事件が起きた。事件を起こした加藤智大は、私よりひとつ年上だった。

朝の情報番組で、加藤被告が携帯サイトに書き込んでいた文章が何度も読み上げられた。彼の文章からは「自分は特別に劣った存在だ」という頑なさが漂う。めったにテレビを見ない私が、あのときばかりはテレビに釘付けだった。

『共生虫』のウエハラにしても『罪と罰』のラスコーリニコフにしても、「自分は特別に優れた存在だ」という選民意識から犯罪を犯した。

しかし、加藤被告の「自分は特別に劣った存在だ」という思考もまた、ある種の選民意識に感じられる。

なぜか、嫉妬に似た怒りを感じた。私は彼に、「自分だけが特別だと思うなよ」と言いたくなった。

自分が特別ブサイクだとか、特別に可哀相とか、特別に生きづらいとか、思ってくれるな。あんただけじゃない。あんたみたいな人はたくさんいるんだ。あんたは特別なんかじゃない!

一方で、可哀相だとも思った。可哀相だと思うのは傲慢だと自覚しつつも、思ってしまった。

テレビで事件の報道を見ている私の隣に、恋人(今の夫)がいること。報道を見て泣いていると、「どうしたの?」と尋ねてくれること。

これらは、加藤被告にはもたらされなかったのだ。ありきたりな言葉だけど、心底、「私が彼だったかもしれない」と思った。

私と加藤被告を隔てたものは、そこまで大きくない。ほんのわずかな差異だ。

私の分岐点は、23歳のときに山小屋で働きはじめたことだと思う。そこで14歳から抱えていた「自分だけが特別に生きづらい」という誤解を、少しずつ手放すことができた。

たられば話をしてもしかたないけど、もしも私が山小屋という選択をしていなかったら。その先の人生で、事件を起こす可能性は充分にあったと思う。

◇◇◇

今の私は、自分が特別じゃないことを知っている。

私は平凡だ。この先の人生で有名になることはないだろう。もちろん、後世に語り継がれないし教科書にも載らない。

今はメンタルの不調で療養中だけど、それだって特別なことじゃない。そういった人はたくさんいる。

特別じゃなくても幸せだし、特別じゃないからこそ、幸せだ。

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