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実家が全焼して絶望したところを近所の方々に救われた話。

どうもずーみんです。


今回は、後に、僕の情報発信の軸となる出来事。


実家が全焼した。


という普通に生きていては、なかなか経験しない出来事について話していきます。


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大学卒業寸前。


冬の寒さが残る中、

新生活に向けての準備を考え始めていたとき、


唐突に祖母から電話がかかってきた。


実家はたまに帰省するくらいで、

普段は全くと言っていいほど連絡をとらない。


何事かと思って電話を取ると、


「たいへんたいへんたいへん!」


と、変態とでも聞こえそうなほど、

年甲斐もなく大きな声で祖母が叫んでいた。


今まで生きてきて祖母がここまで大きな声で叫んだのは聞いたことがなかった。


「なになに?一体どうしたの?」


と聞き返した後に祖母から帰ってきた一言。


「実家が全焼した・・・」


この言葉を聞いたときに背中に走った衝撃。

今でも鮮明に思い出せるほど覚えている。


「・・・は?・・・はあああああああああああああああああああああ!?!?!?!!?」


授業の合間の休憩時間中に受けた祖母の電話。

受けて1分足らずで、陰キャとは思えないほどの大声を出すことになろうとは誰が予想しただろうか。


だっていきなり祖母から電話がかかってきたかと思ったら

実家が全焼したっていう連絡だよ?


ちびまる子ちゃんの永沢くんじゃあるまいし。


そこから何分か祖母と話したとは思うが正直記憶がない。


実家が全焼したというインパクトがあまりにも強かったから。


最初はたちの悪い冗談かと思ったが、

祖母は超がつくほどの真面目な人間。


こんなしょうもない嘘は絶対につかないことは、

孫の僕が一番よく分かっている。


僕はいてもたってもいられなくなり、学校に事情を説明して早退。
(教授がリアルに椅子から転げ落ちていたのを覚えている。)


実家のある広島へ戻ることにした。


「一体なんでこんなことに・・・」

「家族は無事なのか!?」

「火災保険って入ってたっけな・・・」


なんて考え事をしながら、車を走らせること2時間。


年末以来、3ヶ月ぶりに帰った我が家は祖母の言うとおり、無惨にも焼け落ちていた。



生まれた時から高校を卒業するまで、ずっと人生を共にしてきた我が家が。


亡き母と一緒にクレヨンしんちゃんをみていた居間も。

毎日兄弟喧嘩しながらも最後は同じ飯を食べていた台所も。

学年が上がるたびに背が伸びては印をつけていた家の柱も。


全て、全て燃え尽きてしまっていた。。。


空いた口が塞がらない。


という言葉は何度も聞いたことがあるが、

まさか自分がリアルで経験することになろうとは。


本当に思いもしなかった。


放心状態で焼け落ちた我が家をみつめること数十分。


近所の家にかくまってもらっていた家族が姿を表した。

良かった。どうやら全員無事のようだ。


「一体なにがあったの?」


聞かない理由がない僕は父に火事の原因を聞いた。


父は気まずそうな顔をしながらも、

出火の原因を淡々と話してくれた。


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広島の山のてっぺんにある我が家の地域は、

2月になっても雪が積もるほどの寒冷地。


そんな我が家の温もりは、

となりのトトロに出てきそうなまきストーブだった。


その日、父はいつも通りまきストーブに薪の木をくべて温まっていた。


もう寝ようかと火を消そうとまきストーブの扉を開けた矢先、

友達から飲みのお誘いの電話が来る。


酒好きの父は二つ返事で快諾して、

車を走らせてその友人の元へ向かった。


ここで父は致命的なミスを二つしたのだ。


一つが薪の火の消し忘れ。

そしてもう一つがまきストーブの扉の締め忘れであった。


運悪く、父が家を去った後に、

道行く人が立ち止まるほどの強風が吹いた。


こんな悪い意味での神がかり的な偶然が3つ重なったことでどうなったのか?


想像するに難くない。


強風は煙突の中を通り、

燃えたぎる薪の木を解き放たれた扉の向こうへと追いやったのだ。


さらに運の悪いことに、

その先には父の仕事の書類がどっさりと・・・


燃えたぎる薪の木は、

無情にも書類に燃え移っていった。


木造の我が家にとって火は天敵中の天敵。


あっという間に火は燃え広がり我が家を包んでいった。


近所の人が異変に気づいて119番したが時すでに遅し。


実家は懸命の消火活動もむなしく全焼してしまった。


というわけだ。


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・・・こんなことってあり得るの?


話を聞いた僕はそう思うと同時に、

よく誰一人として死ななかったなと安堵もした。


幸いその日は父以外の他の家族も出かけていて誰もいなかった。


だから誰も死ななかったのだ。


そして何よりも幸運だったことがある。


よく見て欲しい。


これは、別角度の全焼した実家の写真。


隣に何が写ってると思いますか?


・・・そう、ガソリンスタンドです。


強風は幸いにもガソリンスタンドとは真逆の方向に吹いていました。

そのため火が迫ることはなかった。
(反対方向には何もなかったので被害ゼロ)


もしも風が反対の方向に吹いていたらどうなっていたことだろう・・・。


考えただけでも恐ろしい事態になっていたことは間違い無い。


小さいながらも今回の火事は、当時の新聞にも載る自体にもなった。


最後の最後で運に救われた我が一家だったのだ。


・・・が、こんな呑気なことをいって終わりなんてことはない。


なにせ家兼仕事場が無くなってしまったのだ。


就職先が決まり、行く先が決まっている僕はともかく、

残された家族はこれからどう過ごしていけばいいのだ???


就職は諦めて地元にとどまって、

残された家族のための家探しをした方がいいのではないか?


なんて考えも頭によぎった。


「一体どうしたらいいんだあーーーーーーーーーーーーー!!!」


心の中でそう叫ぶ中、

資材を積んだトラックが数台、我が家にやってきた。


「いや〜。これはずいぶんと燃えたね〜。」


トラックの運転手(以下、Bさん)は全焼した我が家をみて言った。


なんだなんだ野次馬か?

これは見せ物じゃねえぞ!


そう言おうと思った矢先に、


「よし!それじゃあずーみん父の家を建て直していきますか!」


と、Bさんが言ってきた。


そう、Bさんは大工である父の同業だったのだ。


しかも、ただの同業じゃないですよ。


Bさんは父と同じ地域にいる大工であり、

常に父と仕事の奪い合いをしていました。


言ってしまえば同業他社。ライバルなわけです。


僕は最初不思議で仕方なかったです。


だってライバルですよ?


Bさんからしたらライバルである父の実家兼仕事場が全焼したというのは、

またとない朗報のはずです。


住む家の無くなった父は仕事どころではなくなり、

Bさんは仕事、いわば利益を独占できるわけですから。


なぜそんな敵に塩を送るような真似をするのか・・・


さっぱり理解できないと思っていると、Bさんはこう言ってくれた。


「普段は仕事を取り合う関係だけど、同時に最高の仲間だとも思っている。」

「仲間が大変な目にあってるのに助けない理由がないけえ。」

「それに俺一人じゃ仕事さばききれないしw」


と言ってくれたのだ。


・・・


素敵やん。

なんてかっこいいんだ・・・!


男が惚れる男とはBさんのような人のことなのだと。


僕は肌感覚で感じることができた。


幸い火災保険にも入っていて、

家を立て直すだけの予算は十分に確保できた。


こうして無惨にも燃え去った我が家を立て直すプロジェクトが発足した。


住む場所がなくなった家族に対しても、


「うちに住めばいいけえ!」


と近所の人が自らの家を提供して住まわせてくれた。


「こっちはわしらでなんとかするけえ、ずーみんは安心して東京に行きんさい。」


父と大工仲間は僕にそう言ってくれたのだ。


改めて感動した。


自らの生活で精一杯なご時世の中、

見返りも求めずに人助けをしてくれる人がいたことに。


しかも、新しい家の建築という長期間にも及ぶ出来事に対してだ。


ましては普段は仕事を取り合うライバルに。


僕は、自分にできるだけのこと(瓦礫の撤去)をした後、

卒業に向けてのラストスパートを切るため大学に戻った。


新しい家の建築は僕が大学を卒業して東京で働いている間も続いた。


新築の進捗状況を聞きながら日々の仕事をこなしていくのが、

僕の日課になっていったのだ。


距離は離れていようと心は一緒。


そう感じ取れた。


そしてプロジェクト発足半年後。


全焼した我が家は見事再建した。


再建の連絡は、全焼のときと同じく祖母からだった。


「家、建て直ったよーーーー!」


普段、感情を表に出さない祖母の嬉しそうな声は今でも覚えている。

電話越しで聞いた僕も幸せな気持ちになるほどのものだった。


10年近くたった今でも、帰省するたびに、

実家の再建の話が出るほどずーみん家にとって思い出深い出来事となった。


そしてBさんと父は永遠のライバルでもあると同時に、

最高の仲間として今も仕事を続けている。


・・・


今回の件で僕が学んだのは、

人を救うために実際に行動を起こせることがどれだけ素晴らしいかということだ。


「人様を救いたい!」という言葉を口にするのはとても簡単だし、

耳タコなほど聞いた人もいることだろう。


だが、口にするのは簡単な故に体現できる人なんてそうそういない。


そんな救いとも呼べるべく行動を体現してみせた

ご近所さんやBさんには感謝以外の何物もない。


僕はこの恩を一生忘れることはないし、

救ってもらった分、人様に恩返しをしたいと固く決意することができた。


あのときの貴重な経験こそが、

僕の情報発信における軸になっている。


「このまま一生社畜として過ごしていくのか・・・」


と絶望しているふちにであったのがネットビジネスであり、

そのネットビジネスに僕は絶望していた人生から救われた。


人を救う仕事って素晴らしい。

助けてあげることって素晴らしい。

これだけ僕は人様に恩を受けてきたのだ。

だからこそ、もらってきた恩を返していけない人生を送るなんてこと。

僕にはとても耐えられない。


ましてや、

「自分だけが稼げればいいw」

なんてゲスとしか言いようがない考えで、

商品やコンサルを売ったらそれっきりなんて詐欺師もいる。


ブロガー界隈なんていまだに、

「とにかく100記事書きましょう!」

なんてトンチンカンなことを言う輩もいる。


マジで許せないし、ブロガー界隈の人たちを救いたいって心の底から思ったね。

せっかくネットビジネスという無限の可能性を秘めたものに足を踏み入れたのに、詐欺まがい的な情報で搾取する輩が多いこと多いこと。

絶望してる人から搾取してる人がいるのはわけがわからない。


絶望している人に差し伸べる手は救い。


そうじゃないとおかしいんだ。

だって今まで僕が絶望してたときにも、

多くの仲間に救ってもらったんだから。


だから、今度は、僕が救う番だ。

そんな思いを込めて、僕は今日も情報発信を続けています。

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