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劣等感と自己肯定感

アメリカに留学の経験がある僕は、「アメリカどうだった?」と聞かれるたびにこう答える。「日本の方が快適だし、やっぱり日本人が好きだよ。」と。飲み会なんかではアメリカの悪いところをあげつらったり西欧人とのうまくいかなかったエピソードを話すこともある。

公共施設のトイレが清潔で、安くてうまい飯屋がそこかしこにあって、人どおりの少ない道を何も警戒せずに歩ける日本が好きだ。銃社会で、ホームレスが多く、大麻で頭がおかしくなってしまった人がいるアメリカは、自由を堪能するための負担がかなり大きいのだ。

人に関しても僕はあまり合わなかった。距離感を図らずにグイグイ来る人が多い欧米人よりも、適切な距離感を持って接していける日本人の方が僕には心地よかった。

それは確かに事実なのだが、いつの間にかアメリカの悪口ばかりを言っている自分に気づいた。ネガティブをまといながら20数年間生きてきたので、ポジティブなことを言う方が珍しいっちゃあ珍しいのだけれど、アメリカに関しては執拗に悪口ばかり言っていることに気づいた。


いつからアメリカや西欧人の悪口を言うようになったんだろう?

嫌いなものに自分から飛び込んでいく人間はいない。僕も最初からアメリカや西欧人に対してネガティブな感情を持っていたわけではない。小学校の頃からなんとなく決めていた、アメリカ留学。最初はアメリカという国に対しても、人に対しても、フラットな目線をもっていたと思う。

僕はアメリカ留学中、日本にいたときのように振舞えなかった。英語文化にはツッコミの概念がない。かねてからツッコミにアイデンティティを見出していた僕は留学早々にして自己の確立ができなくなった。ボケるにしても英語が拙いことに加えて、元々ツッコミばっかりしていたからどうすればいいかよくわからない。

日本人によくあるタイプで文法や読解の成績だけはやたらよかったからハイレベルなクラスに所属することになり、周りは既にめちゃくちゃ英語喋れるやんけと思わずツッコミたくなるような人ばかり。授業中もなかなか発言できず、フラストレーションがたまっていた。


正直、八方ふさがりだった。

八方ふさがりだったけど、弱音は吐けなかった。

高い留学費用を親に負担してもらった手前、親に「アメリカ生活が楽しくない」なんてことは口が裂けても言えなかった。プライドが邪魔して日本にいる友達にも生活がしんどいと相談することはできなかった。日本で待ってくれていた彼女にも、自分の弱い部分を見せるのが怖くて必死で楽しんでいるふりをした。

今思えばそれがよくなかったのだけど、そうする以外どうしようもなかった気もする。


そんな環境にあって、僕は常に劣等感にさいなまれていた。

英語力が他人と比べて低いという劣等感。

西欧人に比べて背や鼻が低いという劣等感。

西欧人に比べて社交的でないという劣等感。

こういう劣等感を、限界が来るまで感じ続けると、人は歪む。世界の見方がゆがむと言った方が正確かもしれない。

キャパシティを超えて劣等感を抱えると、なんとか自分を肯定するために、周囲を否定しだすのだ。

僕はとにかく周囲を否定し始めた。フランス人はプライドが高すぎるとか(人による)、西欧人はトイレの使い方がなってないとか(人による)。周囲をどんどん下げることによって自分を相対的に上げ、どうにかしてプライドを保とうとした。そんなことをしても、根本的な解決にはならないのだけれど。無意識だから止めようがなかった。

とにかく彼らのいいところから目を背け、悪いところにばかり注目していた。

悪いところばかり見るようになれば、仲よくする努力を怠るようになる。仲良くできない自分に劣等感を覚える。劣等感が世界の見方をゆがませる。以下その繰り返し。


僕に必要だったのは、等身大の自分をそのまま認め、肯定することだったと今更ながら思う。英語が満足に喋れない自分、パーティでうまく立ち振る舞えない自分、ジョークが言えない自分、人見知りな自分。それらを真正面から受け止めて、しょうがないしょうがない!と肯定できていれば、もう少し留学生活を楽しめたんじゃないだろうか。

自己を肯定することは他者を肯定することにつながる。他者を肯定するためには、まず劣等感を消し去らなければいけないからだ。劣等感がある限り、プライドを守るために他者を低く低くみようとする心の動きは止まらない。

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