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どこでも生きていける人には、どんなスキルがあるんだろう?

だれとでもすぐに仲良くなってしまう人たちがいる。
高校生になったばかりの頃、新しいクラスでぼくが周りの様子をうかがっている間に、初対面なはずの同級生数人がすでに和気あいあいと盛り上がっていた。

ぼくはというと、後日聞いたところによると「こわい顔をしていて近寄りがたかった」らしい。いや、こわかったのはぼくのほうなのだが。

ぼくと彼ら(すぐに仲良くなってしまう人たち)はなにが違うんだろう。

『深夜特急』で有名な沢木耕太郎の『天路の旅人』を読んだ。

『天路の旅人』で描かれているのは、西川 一三(にしかわ かずみ)という実在した男性。日中戦争時、今のモンゴルや中国、チベット、インドを密偵(!)として単身で旅をしていた人だ。

旅といっても現代では考えられないような旅だ。まず、西川の旅は観光ではなく潜入だった。当時敵対していた中国の西域(満州国よりも西の地域)は日本にとって未知の土地だった。当然スマホもインターネットもない時代。情報の希少価値がずっと高かった時代だ。

西川には「これからの日本にとって中国西域の情報は貴重なものになる」という大義があった。と同時に、西域に行くことは西川個人の夢でもあった。

だが、現代のように「自分が行きたいときに行きたいところに行ける」ような時勢ではない。西川が向かおうとしているのは今まさに戦争している敵対国の深部である。また、視力が悪いために徴兵を免れたものの、西川がそう考えていたように、「御国のために働くことが大義だ」と信じられていた。

そこで彼はツテを伝ってなんとか国からの命令をもらい、内蒙古と呼ばれていた場所からラマ僧(チベット仏教の僧侶)に扮して敵地の奥地に潜入する旅へ出ることになる。

もし、敵地で日本人だとバレたら死が待っている旅だ。今ぼくたちが気軽に口にする「〜できるなら死んでもいいわ」のようなただのレトリックじゃない。現実的な死が道端で手まねきしている旅である。

西川はゆく土地ゆく土地でさまざまなトラブルに巻き込まれながらも、出会ったたくさんの人たちの協力を得ながら、ついにチベットのラサに到達する。当時ラサに到達していた日本人はたったの7人と見られているくらいの偉業だ。道中の飢え、寒さ、強盗、詐欺、、、一歩間違えれば死んでいた可能性も十分にあった。

運が良かっただけだろうか?そうかもしれない。しかし、西川の冒険を読み終えたぼくは、『天路の旅人』の冒頭で西川本人が口にした以下の言葉に、彼が生き抜くことができた理由の1つともいえる知恵が凝縮されているような気がした。

自分を低いところに置くことができるなら、どのようにしても生きていけるものです

天路の旅人

これは、彼が帰国後に構えたお店をあえて汚いままにしてある理由を説明した言葉だ。西川いわく、汚くしてあったほうが人は安心するのだと。

西川が旅の道中で現地の数人の連れと列車に無賃乗車していたとき、荷物検査をうけるシーンがあった。荷物検査をうけてしまうと、西川の持ち物から日本の密偵であることがバレるかもしれない絶体絶命の危機だ。だが、西川が取り出した荷物は車掌にとって「汚すぎ」た。車掌は西川の汚すぎる荷物を見て、「もういい」とあしらった。西川は荷物検査を免れたのだ。

また、西川がチョルケイ・スムドゥというチベットと中国との国境の地に至ったときのこと。「待て!」と国境警備隊に呼び止められたが、そのとき同行していた木村という日本人が、その兵隊の横柄な態度が気に入らずに無視して通りすぎようとした。その反抗的な態度で腹を立てた兵隊によって、木村と西川は役所まで連行されてしまう。役所で尋問を受けたが、その兵隊は西川と同じデプン寺出身のラマ僧だったことが分かり、話が丸く収まろうとしていた。しかし、そこでまた木村が余計なことを言ってしまう。「木村は、ついお前たちのような下っ端の官吏や兵士に威張られる筋合いの巡礼者ではないということをひけらかすために、チャムドではラサの中央政府から派遣されている総督に会ってきたと言ってしまったのだ」。タイミング悪く、木村と西川がチャムドを出発した直後にチャムドでは一部のラマ僧による反乱が起きており、自分の優位性をひけらかすようなラマ僧はその残党ではないかと疑われたのだ。木村と西川はその土地で2週間の足止めをくらった。

だれだって、というか、ぼくは他人から下に見られるのがイヤだ。ましてや、公衆の面前でむげに扱われるのは辛すぎる。いや、正直にいうと自分が知っている人、それも内心では自分よりも下だと思っている人から下に見られるのもキツいかもしれない。

『天路の旅人』で見た西川の旅は、そんなぼくのナルシストがいかに生き抜くために不利になるか教えてくれる。西川が敵地で密偵だとバレずに旅ができたのは、運もあるだろうが、人から助けてもらったおかげも大きい。

西川が日本人であることがだれにもバレなかったというと、そうではない。道中を共にした何人かの人たちには正体がバレている。だが、彼らは西川を売ったりせず、むしろ彼の密偵活動に協力してくれた。それは彼らが西川を嫌っていなかったからだろうし、西川が嫌われなかったのは彼の「人よりも低いところに身を置く」人柄のおかげだったかもしれない。

人から好意をもたれることの重大さだ。「お偉い人だ」と思われるよりも、まずは「助けてあげたい」とか「信頼できる」と思われたほうがいい。見知らぬ土地で生き抜かなければならないなら、なおさら人の助けが必要だからだ。

そんな生死を分かつ教訓が、西川の冒頭の言葉に詰まっているような気がした。


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