見出し画像

「華金」と「お酒」とボク。

いよいよやってきた華金。

いつから華金って呼ぶようになったかな?

文化ってスゴイ。



華金って言うだけで、少しワクワクする。

ごめんなさい。

すっごくワクワクする。



それはまるで、運動会を明日に控えた

子供のように。



あ、華金にそんな大したイベントなんて

ないんだけどさ。



仕事が休みってだけで

こんなにハイになるなんて

どうかしてる。

いや、どうもしてないからこそ、

嬉しいんだ。

正常だ。



昔、読んだ本の

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」

※見城徹さんと藤田晋さんの共著です。

みたいだ。



この本のタイトルスゴイよね?

言い得て妙。

グサっときたよ。



そんな感じで、そりゃ休みは嬉しいよ。と。

そりゃ仕事は憂鬱よ。と。

でね、その憂鬱さってさ

責任の重さだと思うんだ。



責任があるから、やらなくちゃいけない。

やらなくちゃいけない事って

不自由だし、誰かの評価とか監視が入る。

それって疲れるに決まってる。



休みはいい。

家庭の事もそりゃあるけど、

仕事の責任とは、量も質も違う。

(あ、子育てが大変とかその辺りは置いといてね。)

その責任ってのがあるから

しんどいし、ツライんだよね。きっと。

だからこそ、その責任から離れられる

休みの前の夜を華金と呼ぶのは、

的を得ていると思うよ。うん。



仕事が好きとか嫌いとかじゃなく、

責任を背負いながら生きるボクたちは、

ほんのひと時。

華金という名の楽園に飛び立つのさ。

片手にビールを携えて。


この記事が参加している募集

noteでよかったこと

noteのつづけ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?