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何故ダメな上司は人の意見を聞けないのか? 

どういうわけか、トランプ前大統領を支持する日本人が存在している。
だが、彼は白人至上主義団体との繋がりも深く、日本との外交関係も軽視していて、とてもではないが日本にとって好ましい人物ではなかった。
彼は、会社によく居る強欲でダメな上司の典型例でしかないのであって、彼の部下たちには心の底から同情している。
筆者は彼の性格を考察することを通して、日本社会の病魔を考察することにしようと思う。

ドナルド・トランプ前大統領の性格について

ドナルド・トランプ前大統領は、部下の意見を聞くことが出来ない人間であった。
彼は、自分と意見が異なった部下を更迭し続け、その結果として大統領の職務の遂行に支障をきたした。

アフガニスタンにおける米軍の撤退とタリバンの躍進はバイデン大統領に責任があることは事実だが、トランプ前大統領にも責任がある。
アフガニスタンからの米軍の撤退を決めたのはトランプ前大統領であって、ボルトン大統領補佐官はこの決定に反対し、結果としてトランプ前大統領に解任されることとなった。

そして、ボルトン大統領補佐官の前のマティス大統領補佐官も、トランプ前大統領と意見の不一致によって更迭されているという事実がある。
トランプ前大統領は、自らと意見が異なるものと意見の調整をすることが出来ず、自らの意見に従わない者を更迭することしか出来ない。

つまり彼は、民主主義的な議論を行うことが不可能であるということであって、民主主義国家の政治家として最も相応しくないなのだ。
彼にとっての交渉とは自らの意見を押し付け押し通すだけのことを意味している。

これは、敵対関係にある相手との交渉においては有効である場合もあるが、友好的な関係の相手との交渉においては極めて有害なものだ。

アメリカの経済社会とは、「万人の万人に対する闘争」が前提の競争社会であって、全ての交渉相手が敵である前提が存在するのかも知れない。
そうした敵との出し抜き合いは、相手に損害を押し付けて自らだけが利益を獲得するゼロサムゲームであることは事実だろう。
しかしながら、民主主義の議会においてはそれが成立するわけもなく、彼は味方と交渉して全体の利益を増やすことは出来なかった。

第45代アメリカ合衆国大統領は、ディープステイトなるものと戦っているのではない。
単に己以外のすべてと戦っているのである。
彼にとっては、己が絶対善であり、他の全てが絶対悪なのだ。

言論とは、単に声を出すことではなくて、言葉で論理を造ることであることを忘れてはならない。
彼は、中華共産党との対決において世界的な連盟を造ることが出来るわけもなく、西側のトップとしての役割を果たすことが出来るわけもない。
彼は価値創造が出来る政治的なリーダーではなくて、人から盗むことだけを考える単なる強欲な商人でしかなかったのだ。

何故ダメな上司は人の意見を聞けないのか?

ダメな上司は個人の利益だけを考えて居て、全体の利益を重んじる思考を全く持っていないが故にだ。
彼は、彼個人の利益のためには躊躇いなく嘘をつくし、事実を重んじることも無ければ、事実に基づいた他者の意見を尊重することもない。
視野の狭い彼は、自らの利益以外には全くにおいて興味を持てないのであって、他者や事実に関しては徹底的なまでに無関心なのだ。
公平性という言葉とは、彼は全く無縁な存在である。

こうしたダメな上司達は、ダメな上司の利益を重んじる部下のみを登用するのだが、そうした部下も部下個人の利益を重んじるが故にダメな上司に従っているだけに過ぎない。
こうして生まれる「個人利益共同体」は、この共同体以外に対しては徹底的なまでに敵対的であり、他者に被害を押し付けて自らだけが利益を獲得するゼロサムゲームに邁進する。
それはつまり、社会全体の利益を破壊し続けるというわけでしかないのだ。

「個人利益共同体」においては真の連帯など存在せず、何らかの事態で利益が壊れた瞬間に、「個人利益共同体」は確実に崩壊する。
その後に新しい「個人利益共同体」が出来たとしても、それも簡単に瓦解するものであって、組織の成立と崩壊が恐ろしい速さで繰り返されることになるのだ。

>「我々が食事を手に入れられるのは、肉屋や酒屋やパン屋の善意のおかげではなく、彼らが自分の利益を考えるからである」と経済学の父アダム・スミスは論じた。
https://book.asahi.com/article/14521938

つまり、アダム・スミスの経済学は最初から「個人利益共同体」以外を想定していなかったということである。
ルネサンス時代の万能の天才とは異なって、彼は視野の狭い人物であったという評価を免れないだろう。

トランプ前大統領も、会社の愚かな上司もアダム・スミス経済学に忠実であった。
日本に毒の入った食材を輸出する中華の企業もまたアダム・スミス経済学を信仰する存在であることは間違いがない。

こうした個人利益主義者を監視して、法律に反する行動を抑止する社会装置を創らなければ、社会は確実に破綻する。
そのための抑止装置の公平な運用に、全ての者は注意を払う必要性がある。

全体主義社会の独裁者について

彼等は個人の利益以外には何ら興味がない。
彼等に従う部下も、個人の利益以外には何も興味がなく、個人の利益のためだけに他者を犠牲にし続けることを繰り返す。

ロマン主義者のヒトラーは、自らの妄想を実現させるために動いていたが、そうした現実の無視は、国家全体の利益の無視である。
ナチスはゲルマン「民族」主義を唱えて、「国家」主義を否定していたのだから、最初からゲルマン民族のための「個人利益共同体」に過ぎなかった。
彼等が国際協調主義を否定していたが、そもそもとして国内における協調すら否定していたのだ。

実は、全体主義社会とは、支配者とその徒党以外の利益を無視する社会に過ぎない。
その徒党に参集しない人間のことを奴隷にするか、社会から排除するか、物理的に抹殺することを繰り返す。

現代日本の社会の在り方について

結局のところ、戦後の日本もアメリカの影響によってアダム・スミスの経済学の価値観が浸透し、個人の利益しか考えない者が増えた。
むしろ、そうした人間こそが好ましいと考えられるようになり、トランプ前大統領のような嘘つきが好まれるようになったのだ。

自らの利益のために他者を犠牲にすることに躊躇いを持たず、己の有利のために嘘をつくことを繰り返す。
他者と自らで露骨に扱い方を変えすぎる不公平。
これこそがまさに不正義というものであるが、こうした指導者が率いる組織はとにかく弱いものだ。
近江商人は「買い手よし、売り手よし、世間よし」という「三方よし」を唱えていたが、こうした日本の価値観はアダム・スミスの経済学とは対照的であることは言うまでもない。

マックス・ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、資本主義とはプロテスタントにおける独善的な思考から発生したものであると批判したことを覚えておくべきだろう。


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