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舞台 「12人の怒れる女」 観劇レビュー 2021/04/03

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【写真引用元】
江古田のガールズ公式Twitter
https://twitter.com/ekoda_no_girls

公演タイトル:「12人の怒れる女」
劇団:江古田のガールズ
劇場:下北沢「劇」小劇場
作:レジナルド・ローズ
演出:山崎洋平
出演:やまうちせりな、山田瑞紀、釜野真希、堤千穂、常松花穂、三上由貴、高瀬あい、丹下真寿美、柴田時江、田中あやせ、桑田佳澄、杉田のぞみ
公演期間:3/30〜4/4(東京)
上演時間:約110分
作品キーワード:法廷、会話劇、考えさせられる、戯曲
個人評価:★★★★★★☆☆☆☆


原作である「12人の怒れる男」は未読であるものの、江古田のガールズの公演はずっと観劇したいと思っていたので、「12人の怒れる男」「12人の怒れる女」の2パターンある内の「12人の怒れる女」の方のみ観劇。
脚本自体は、言わずと知れた会話劇の金字塔なので大変面白い内容で、裁判で取り上げられた証言や物的証拠から、何も知らない一般人に有罪・無罪の判決を決めさせるなんてやはり司法制度はおかしいと改めて思ってしまった。そういう意味では陪審員第7號の役に共感していた。
演出としては、設定が夏ということもあって大扉をガンガンに空けて上手く換気させている部分が上手いと思った。下北沢「劇」小劇場という非常に密な空間で換気が必要であるため、舞台の設定を逆手に取った演出は素晴らしかった。
そしてなんといってもキャスト陣の演技が素晴らしくて、印象に残ったのは陪審員長を演じたやまうちせりなさんの透き通るような綺麗な声と、陪審員第8號を演じた丹下真寿美さんの無罪を一貫して主張するぶれない芯の強さに圧倒された。個人的には、陪審員第10號を演じた田中あやせさんも美人であるにも関わらず、貧困層を卑下する偏見発言をするギャップにも惹き付けられた。
原作を知らない人にはオススメの作品で、原作を知っている人であれば、女性が演じるとどうなるのかといった観点で凄く観方も変わってくる作品なのではないかと思う。


【鑑賞動機】

2020年8月に上演予定だった江古田のガールズの「第2幕」を観劇する予定だったが、コロナ禍によって中止となったので暫く当劇団の作品を観劇出来る機会を伺っていた。そして、今作は「12人の怒れる男」という原作は未読ではあるものの、有名な作品で定評があったというのと、出演キャストも女性バージョンの方には複数名知っていたので観劇することにした。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

物語は12人の陪審員たちが、ずっと父親から虐待を受けていた少年が父親をナイフで殺してしまったと疑われる裁判において、少年が父親を殺したかどうか、有罪か無罪かを決めるために、一室へ案内された所から始まる。
先ほどあった同じアパートに住む老人の証言や、向かいのアパートに住む女性の証言から、多くの陪審員が少年を有罪だと思っているようである。以前、陪審員たちが容疑者を無罪と判決を出して大手を振って裁判所を後にした者があったらしく、間違って有罪の人間を無罪と判決してしまうと、また殺人を起こしかねないから恐ろしいという会話もなされていた。

陪審員長(やまうちせりな)が12人の陪審員の中での判決を決めようと、有罪か無罪かを書かせる紙を配る。そしてその紙に書かれた投票を開示した結果、11人が有罪、1人が無罪に票を入れたことが分かった。無罪に入れた人間は誰だと騒然とする中、陪審員第8號(丹下真寿美)が無罪に票を入れたと名乗り出た。
残りの陪審員が第8號に対して有罪であるとする根拠を主張してくる。少年は父親が刺殺されたとされるナイフをその日の昼に購入していることは認めており、そのナイフを夜中歩いている際にポケットから抜け落ちたと納得し難いことを述べている点がおかしいと主張する。また、少年は父親が殺された夜中の時間に映画を観ていたと証言しているが、何の映画を観たか覚えていないと答えている点も非常に不可解であると主張する。以上のことから少年の証言には色々と不可解な点が多くてアリバイがないのだと。

しかし、陪審員第8號は老人の証言に対して疑問を抱いていた。老人は父親が殺されたと思われる瞬間に「殺してやる」という少年の喚き声を聞いたと証言しているが、その時アパートのすぐそばを電車が走っていたことになっており、電車の音でそもそもそのような喚き声は聞こえたのだろうかと疑う。
そこへ陪審員第9號(柴田時江)の老女は老人の心境を察して、おそらくその老人は今まで75年間も生きてきて人目を浴びたことがなかったから、そういった証言を残すことによって新聞に掲載されたりなどして目立ちたかったのではないかと述べる。それは同じく歳を取った自分であるからこそ共感出来ることだと陪審員第9號は言う。
そこでもう一度、有罪・無罪の投票を取ると、有罪10人、無罪2人となっており、先ほどの陪審員第9號が無罪へと投票していた。老人の証言は世間から注目されたいという願望が込められていて事実ではない可能性があるという判断である。

さらに老人の証言にメスが入れられる。老人は「殺してやる」という喚き声を聞いてから15秒後に階段を降りていく少年を目撃したと答えていたが、果たして老人は15秒で起きて移動してアパートの階段を降りた少年を目撃出来たのかという疑問点である。
そこへ、事件の起きたアパートの間取り図が送り届けられる。正確な廊下の長さを再現して陪審員第8號が老人になりきったつもりで、起きて外に出るまで15秒で辿り着けるか寸劇を演じてみせる。寸劇を演じている最中、有罪主張側は陪審員第8號に歩くペースが遅いなどと豪語している。
結果、老人が起き上がって外へ出るまでの時間で39秒もかかっており、15秒では到底少年を目撃できる地点までは到達しないと結論付けられた。
これによって、再度有罪・無罪の投票をした結果、有罪が8人、無罪が4人となり、新たに無罪側に今まで意見を主張してこなかった陪審員第5號(常松花穂)と陪審員第6號(三上由貴)が加わっていた。

今度は、老人側ではなく少年が「殺してやる」と喚いてから、階段を駆け下りるまで15秒で可能かどうかを寸劇で演じた。寸劇を演じる際は少年役を、先ほどから論理的に有罪を主張している陪審員第4號(堤千穂)が演じた。
実際に少年を演じたところ、やはり15秒では階段を降りることは出来ず39秒かかっていた。なぜならドアノブに指紋がつかないように布巾で拭いたり、あたりを見回したりなど自分の犯行をバレないようにするための行動をしていると考えたからである。
これによって、老人が15秒で「殺してやる」の喚き声を聞いてから少年を目撃することは不可能だったことを裏付けた。つまり、15秒というのは老人の嘘であり、少年を目撃したという情報にも疑いが向けられて、老人は嘘をついているのではないかという疑いが生じ始めた。
これによって再度有罪・無罪の投票をした結果、有罪が6人、無罪が6人となり真っ二つに意見が分かれてしまった。ここでは、陪審員第2號(山田瑞紀)と陪審員第11號(桑田佳澄)が無罪に意見を変えていた。
また、感情的に少年を有罪だと主張し続けていた陪審員第3號(釜野真希)は、論理的に無罪を主張して次々と無罪へと陪審員たちの意見を覆させた陪審員第8號へ憤りを露わにし「殺してやる」と喚いてしまうが、「本気で殺してやろうと思ってなくても、殺してやると言う場合もある」と冷静に無罪の根拠となるような意見を述べていく。
陪審員第7號(高瀬あい)は、裁判の判決なんてどうでもよく不毛な議論をさっさと終わらせえて早く帰りたげにしていた。

その時陪審員第5號は、自分がとある事情でナイフを扱っていた経験があることから、父親へのナイフの刺され方的に慣れた人間の刺し方ではないと気づく。ナイフの使い方に慣れた人間なら、父親が刺されたような傷跡はつかなかったということに気付く。普段ナイフを扱っている少年だったら、そんな初心者のような持ち方はしないのではないかと。
そこへ、論理的に有罪説を主張する陪審員第4號が発言する。老人ではなく向かいのアパートの女性の証言を取り上げようと。彼女はベッドで眠りながら少年が父親を刺した姿を見ていると証言していた。この事実はあるのだから、やはり少年が父親を刺したのではないかと言う。
その意見を聞いて、陪審員第2號はやはり有罪側へと翻ってしまう。周りからはテニスボールのようにポンポンと意見を変える奴だと罵られる。
しかし陪審員第8號は、先ほどの裁判でその女性の鼻に眼鏡の後があることを主張する。その事実に関しては今ここにいる12人の陪審員全ての人間が確認していた。鼻に眼鏡の後があったということは、その女性は普段眼鏡をかけていることを示唆し、視力が弱いことを意味するのではないかと。そうなると、ベッドの中で寝ていたときはおそらく眼鏡はかけていないので、視力の弱い状態で少年が父親を刺したのを見たことになる。これは信ぴょう性があるのだろうかと。
これには陪審員第4號も反論出来ず、無罪に意見を転じることになった。

そこへ、今まで感情的に有罪説を主張してきた陪審員第3號と第10號(田中あやせ)が猛抗議し始める。陪審員第10號は、少年が貧困層だったということから、貧困層は自分らと違って平気で人殺しを起こしてしまうような人種なんだと主張するが、そんな偏見のある意見なぞ聞きたくもないと言わんばかりに、他の陪審員たちは顔を背けてしまう。
陪審員第3號も感情論的に有罪を主張してきたが、もうここまで論理で無罪を主張されてしまうともはや劣勢であり、無罪側に降伏する形になる。
ここで再度有罪・無罪の投票が行われ全員が無罪投票となったことによって討議は終了。無罪という結果を裁判側に提出することになった。
最後うなだれている陪審員第3號を陪審員第8號が気に止めてから立ち去るシーンがあって物語は終了。

私はこの作品で始めて「12人の怒れる男」の物語を知ったのですが、徐々に無罪側が優勢になっていく光景を目の当たりにして、物凄く突っ込みたくなる箇所が多いなと感じて苛立ちを覚えていた。陪審員第8號はたしかに論理的に与えられた情報から状況を整理しながら一つ一つ説明をしていたが、その中には思い込みや憶測も多分に含まれている。証言した女性が本当に視力が弱いかも断言出来ないし、少年が父親を殺してから階段を降りていくまでの行動だって想像が多分に含まれていて信用に値しないんじゃないかと思える。
自分が理系且つ論理的思考な人間なので、凄くフワッとした意見だったり主観が入った意見が多くて、それによって全体の意見も左右されていたので、非常に茶番にしか見えなかった。だからこそ、裁判って非常に難しい問題だしそれによって人の生死が決まってしまうって恐ろしいことだと思った。この辺りに関しては、考察パートで詳しく述べたいと思う。
とにかく、自分がこの12人の中にいたらウンザリして早く帰りたくなると思うので、陪審員第7號の役に共感していた。


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

今作品は、12人の陪審員がただただ討議する会話劇なので、これといった舞台装置や照明、音響はなかった。
強いてあげるなら、舞台装置というよりは、テーブルと12個のパイプ椅子が用意されているくらい。そして照明もラストのシーンで夕方のオレンジ色の日差しを現す照明が照らされる程度で、その他は特に演出はなかった。音響も最初に男性の声が流れるだけ(内容としては、これから12人の陪審員による議論が始まりますみたいなもの)で特に目立った演出はなかった。
ただ、衣装に関しては12人の陪審員がそれぞれオリジナリティあったので触れたいというのと、その他の演出で様々な工夫があったのでそちらについて述べていく。

まずは衣装だが、それぞれのキャラクターに合わせたカラフルなものになっていて好みだった。男性バージョンを観ていないから想像になってしまうのだが、「12人の怒れる男」では多くがサラリーマンだったりすると思うので、スーツ姿の人が多い印象で衣装的にはそこまで映えないかなと思っているが、女性側は皆ファッションにもこだわりを持っていそうなので、そこは女性バージョンのみのお楽しみポイントだったのではないかと思っている。
特に印象に残ったのは、陪審員第4號を演じた堤千穂さんの、あの赤いドレス。かなり論理的な発言をしながら有罪説を主張し続ける点は、無罪側の第8號からしてみればかなり厄介な相手だったと思うが、それを誇張するかのように赤色のドレスが物凄く良かった。そこに、インテリっぽい眼鏡も掛け合わせられていてキャラクター性が抜群だった。
また、個人的には陪審員第10號の田中あやせさんの、緑色のドレスも印象的だった。田中あやせさんのスタイルの良さと肌の綺麗さも相まって魅力的な女性に見えた。なのに、貧困層に対する偏見をぶつけてくるあたりのギャップが堪らなかった。

その他の演出部分でいうと、コロナ禍状況下での換気対策を劇中の演出として盛り込んでいる辺りが凄く良かった。序盤に12人の陪審員たちが入ってきた際に、上手側の大扉をガバっと開けていて、外はもちろん思いっきり劇場外なのだが、夏場であるというストーリー上の設定を上手く使って暑いから窓を開けたという演出がしっかりと換気対策になっていたのが面白かった。また、扇風機をしっかり回している演出も、同様に風通しを良くしていて良かった。
また、後半になって議論が白熱していく中で陪審員たちがヒートアップしていく演出が凄く良かった。例えば陪審員第10號が物を投げ出したり、陪審員第3號が本当に第8號を殺してしまうんじゃないかと思わせるほどのナイフの突きつけ方が怖かった。
そういうヒヤヒヤさせる演出も効果的だったと思う。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

12人の女性キャスト全員について触れたいくらい素晴らしいキャストばかりだったのだが、特に着目したい5人についてここでは触れる。

まずは、陪審員長役を演じたやまうちせりなさん。やまうちさんの演技は、キ上の空論の「脳ミソぐちゃぐちゃの、あわわわーで、褐色の汁が垂れる。」で初めて演技を拝見して、非常に2.5次元俳優のような綺麗なボイスに魅了されたのだが、今回の作品でも非常に透き通るような高く綺麗な声に魅了される演技だった。
また仕切り役というのもよくて、こんな美声だったら思わず従っちゃうだろうなといった感じの美ボイス。たしか陪審員長は作品中であまりとやかく言われないキャラクター設定のようだったが、こんな綺麗な感じの女性は口論とか批判とかたしかに似合わない。そのくらい役にハマっていたし、素晴らしく魅力的な女優だと改めて感じた。

次に、今回の作品のキーマンでもある陪審員第8號役を演じた丹下真寿美さん。T-worksという団体に所属して主に関西で女優活動をされている役者さんだそう。演技を拝見するのも私は今作が初めて。
スーツ姿の衣装も相まって非常に誠実で真面目な印象で、自分の中にある芯を貫き通そうとする強さもしっかり感じられる堂々とした演技で素晴らしかった。
台詞量も多くて且つ論理的で難しいものが多かったので、役作りは結構大変だったんじゃないかと思うが、そこをきっちりこなされていた。個人的には、寸劇で老人役を演じる滑稽さギャップが印象的だった。

次に有罪派で論理的に意見を語って無罪派を苦しめた陪審員第4號を演じた堤千穂さん。ケイエムシネマ企画所属の女優で、過去に劇団ロ字ックの「タイトル、拒絶」の初演時の主演を演じている経験などあるそう。演技を拝見するのは私は初めて。
真っ赤な衣装も相まって非常に迫力のあってインパクトのある役で個人的に好きだった。眼鏡を動かしながら、「〜ざます」と言いそうな小賢しくて鼻につくようなキャラクター性が、良い意味で第8號とライバルのようにも見えてきて、そして手強くてといった感じ。
終盤で、第8號に言いくるめられて降伏した時はちょっとばかり残念な気持ちになった。もっと粘って欲しかった。

同じく有罪派で感情に任せて発言していた陪審員第3號を演じた釜野真希さん。こちらスーパーうさぎ帝国という劇団に所属しているらしい。とてもお茶目な女優に感じられる。演技を拝見するのは初めて。
なんといっても怖いと思わせるくらい感情論で自分の意見をひたすらに突きつけてくる演技に、非常に圧倒された。後半になるにつれて徐々にエスカレートしていく演技が素晴らしい。凄くはまり役だと思った。

そして個人的に推したいのが、貧困層に対して偏見を抱く陪審員第10號の田中あやせさん。彼女の演技は、キ上の空論の「ピーチオンザビーチノーエスケープ」で初めて拝見しているが、あの時のナース役はあまり目立った役柄ではなかったので、しっかり演技を拝見出来たのは今回が初めて。
まずスタイルが美しかった。12人の女性キャストがいる中で男性である私はどうしてもあやせさんの方に目がいってしまう(反省)。そして緑色の衣装も凄く似合っていて美脚も素敵だった。
そして何といっても、力強く圧のある声。その美貌からは対照的に貧困層に対して偏見のある発言を述べる威圧感が凄く良かった。最後、偏見発言で他の陪審員に背を向けられてしまうシーンがなんとも感慨深かった。そこまでのことかなあと。


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

本来なら、原作の「12人の怒れる男」と比較して登場人物を女性にしたらどう印象が変わるかみたいな考察が出来たら理想なのだが、あいにく私は原作に触れたことがないので、初めてこの作品に触れて思ったことを記載する。

まずこの作品を観て思ったことは、やはり裁判って茶番になってしまうなと感じた点である。原作がアメリカで作られたものであるので、日本だけでなく世界中で法律の欠陥みたいなものは取り沙汰されているのだろうなと思っていたが、今作品を観て改めてそう感じた。
私的には、もし自分がこのシチュエーションに遭遇したらどう振る舞うだろうかと考えていたが、有罪側・無罪側どちらの意見を聞いていても議論することが馬鹿らしく思えてきて、結果的には陪審員第7號の人みたいにさっさと終わらせたい勢になるんだろうなと思いながら観劇していた。
有罪派の意見にも、無罪派の意見にも多分に憶測とフィーリングが含まれている。少年は人殺ししそうとか、老人は嘘をついていそうとか、女性は近視なのに眼鏡をかけずに犯行を目撃しただろうとか、今ある情報から想像を膨らませて述べられた根拠が多い。
そんな不毛な議論をしても結局無駄だと思ってしまうし、より裁判というものが持っている負の側面を赤裸々に炙り出せれている感じが否めなくて、少々呆れてしまったといった感じだった。
そもそも状況を判断するには情報不足なのである。その中で有罪か無罪かを一般国民が下して決定するのがルールとなっているなんておかしな話だと思ってしまった。

ただ面白いことに、有罪・無罪どっちに投票するかという観点で観ていると、ストーリーをずっと追っていけばいくほど無罪側に気持ちが傾いてしまう感覚もあった。これは不思議な話である。もちろん、そう観客を誘導させている演出も上手いと思うのだが、脚本自体がそのように作られており、優勢な側へ気持ちが傾いてしまうものだといったメッセージ性を、観客が作品に触れることで直接的に体験させているという点で、この作品の凄さが評価されているのだと感じた。
これは一種の同調圧力である。ある一人の人物がそれっぽいことを発言し始めて徐々にそちら側へ傾く人間が現れ始めたら、自分もそちら側へ行きたくなる。そういった人間の本質的な心理を突いているという観点で、色褪せることなく何度も上演されてきた作品なのだろう。
これは一般化すれば他のことにだって通用する心理性である。例えば選挙だって、特に自分の意見を持っていることがなかったら周囲に合わせて優勢なものに投票してしまいかねない。現職の立候補者に投票してしまいかねない。これも同調圧力の一種だと思っている。

こういった人間が持つ心理の普遍性を上手く炙り出して疑似体験させる「12人の怒れる男」という作品は本当に素晴らしいと思ったのと、自分の意見をしっかりと持つことの重要性も感じる事ができた。
何事にも自分の頭でしっかりと考えて、周りに乗せられないようにする。ただでさえ人間は同調圧力によって周囲に飲まれやすいので、そういった危険性をしっかりと熟知した上で日々の生活をしていこうと思えた。

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