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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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2023年の舞台演劇の傾向と今後の展望(※年間65本観劇レビューを書いた一個人の考察)


【はじめに】

新年明けましておめでとうございます。Yu_Seと申します。
昨年に引き続き、今回も2023年の舞台演劇業界を振り返りつつ、私独自の視点で2023年の舞台演劇の傾向について考察したいと思います。
私の昨年(2023年)1年間の観劇レビュー投稿本数は65本(配信を含めて実際に観劇した本数は69本)と一昨年前(2022年)と比較して11本増えました。中には1年間の観劇本数が3桁を超える観劇者もいらっしゃる中で、65本は突出した本数ではないのですが、それでも65本都内で観劇していると傾向というものも見えてくるので、本記事でまとめさせて頂きます。
かなりの長文ですが、ご興味ある方は最後までお付き合い頂けますと幸いです。

2023年に私が観劇した65本の舞台のフライヤー
2023年に私が観劇した65本のリスト
2023年に私が観劇した65本のリスト
2023年に私が観劇した65本のリスト



舞台演劇の傾向の内容に関しては、私が2023年に首都圏で観劇した舞台演劇作品を考察しつつ、2023年の舞台演劇業界を騒がせたニュースに言及しながら、来年以降どのような方向に向かいそうかを分析したものとなっております。ただ、私は一観劇者であるというだけで、劇評家でもなければ業界の人間でもなく、あくまで個人的に感じた傾向を書かせて頂いておりますので、その点は予めご了承願います。
また、本記事の途中では以下の舞台演劇作品のネタバレに言及する場合がございます。気にされる方は、ご注意頂ければと思います。尚、章のはじめに、その章ではどの作品のネタバレに言及するかを記載して再度告知しております。そちらの注意事項を踏まえた上で、読み進めて下さい。また、どの作品のネタバレにも触れずに結論を知りたい方は、最後のまとめ章に飛んで頂くと、この記事で一番伝えたいメッセージがまとまっていますので、そちらをお読みください。


本記事でネタバレに言及する舞台演劇作品リスト

・ホリプロ×TBS『ハリー・ポッターと呪いの子』
・劇団た組『綿子はもつれる』
・ホリプロ ミュージカル『生きる』
・東宝 ミュージカル『SPY×FAMILY』
・悪童会議『いとしの儚』
・南極ゴジラ『怪奇星キューのすべて』
・大人計画 ウーマンリブ『もうがまんできない』
・城山羊の会『萎れた花の弁明』
・ダウ90000『また点滅に戻るだけ』
・あやめ十八番『六英花 朽葉』
・NODA・MAP『兎、波を走る』
・ゆうめい『ハートランド』
・ゴーチ・ブラザーズ『ブレイキング・ザ・コード』
・ぱぷりか『柔らかく搖れる』
・世田谷パブリックシアター『無駄な抵抗』
・キ上の空論『幾度の群青に溺れ』


【世界へ羽ばたく日本の舞台芸術】

この章では、以下の演劇作品のネタバレについて言及しています。気にされる方は次章以降にお進み下さい。

ネタバレに言及する作品

・ホリプロ×TBS『ハリー・ポッターと呪いの子』
・劇団た組『綿子はもつれる』
・ホリプロ ミュージカル『生きる』


2022年7月から赤坂ACTシアターを貸し切って舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』が上演されています。劇場周辺もハリー・ポッター色に染まり、まるで街の一部が舞台の上演に合わせて変わったという印象を抱きます。これは、日本だと非常に珍しいことだと思っていて、そもそも同じ演目を何年も同じ劇場で上演するということ自体が日本では異例のことだからです。
私も舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』は2度観劇していますが、まず驚いたのが客層の広さです。例えばミュージカルや2.5次元舞台だと女性客が多かったり、小劇場だと普段演劇に精通しているコアな観客が多いのですが、今作は高校生を含めて幅広い方が観劇している上、私が嬉しく思ったのは20〜30代の男性客も一定数いらっしゃったことです。20〜30代の男性に含まれる私ですが、普段劇場でなかなかお見かけする層ではないので、そういった方が沢山劇場に足を運んでいる光景を目にすると嬉しく思います。
舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』は、昨年(2023年)開かれた第30回読売演劇大賞で選考委員特別賞に選ばれ、第48回菊田一夫演劇大賞にも選ばれました。私も観劇していて思いましたが、今作は魔法を使う演出を舞台美術でしか表現できないような形に再現して披露する素晴らしさに加えて、ストーリーも非常に演劇向きでヒューマンドラマとして心動かされる点が素晴らしく、演劇賞を受賞するのも納得感がありました(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/nde2f8c78535f) 。
ホリプログループ会長の堀義貴氏は、今作を無期限ロングラン上演することによって、海外にも認めてもらえるような上演に成長させたいと語っています。『ハリー・ポッターと呪いの子』は、元々イギリスで生まれた作品ということもあり、日本人だけでなく世界の観光客が今作の上演を赤坂ACTシアターに観にきます。その際に、日本版の『ハリー・ポッターと呪いの子』が海外と引けを取らないくらい素晴らしいものにしたいという思いもあるそうです[1][2]。


筆者撮影


筆者撮影


筆者撮影


写真引用元:ステージナタリー TBS & HORIPRO present 舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」より。


ではなぜ、日本の舞台芸術のレベルを世界水準にまで上げたいと堀義貴氏は語っているのでしょうか。それには、今の日本のエンタメ業界が抱える課題が関係しています。今までの日本のエンタメは99.9%が地産地消でした。しかし、少子高齢化によって日本の人口が減少していくことを考えると、国内だけでなく世界で稼げるようにシフトしていかないと産業自体がシュリンクしてしまうからです[3]。
舞台芸術は一度大きなヒットを生み出すことができれば、継続的に興行収入を増加させることが出来ます。同じ演目を様々な国と地域で上演することで、継続的に収益を立てることが出来ます。逆に映像作品となると、Amazon Prime VideoやNetflixといった巨大プラットフォームで全世界で視聴してもらえるものの、そこから得られる収入はプラットフォーム側に多くを吸収されてしまいます。
日本がエンタメビジネスで今後も稼ぐ未来を考える上では、日本の舞台芸術のレベルを世界水準に引き上げること、そして日本の舞台演劇のオリジナル作品を世界に発信していくことが不可欠です。


2023年、昨年も日本のオリジナル演劇作品を世界で上演するという事例がありました。日本の若手劇作家の中で最も勢いのある方と言っても過言ではない、劇団た組を主宰する加藤拓也さんの作演出作品である『綿子はもつれる』です[4]。
『綿子はもつれる』は、昨年(2023年)5月に池袋の東京芸術劇場にて上演されました。そしてその後、同年10月には台湾でも上演されました。上演は日本語で行い、中国語の字幕が付いたそうです[5]。
あらすじとしては、安達祐実さん演じる綿子という女性とその周囲の人間関係を取り巻く話です。綿子は悟という大学の講師をやっている男性と結婚していましたが、綿子と悟の夫婦は冷え切っていて、綿子は木村というイケメンで遊び慣れていそうな若い男性と不倫しています。しかし木村は交通事故で死んでしまい、綿子はその辛さを押し隠したまま悟と暮らしていかないといけないという物語です。今作は、映画化もされていて門脇麦さんが主演を務める『ほつれる』というタイトルで製作されています[6]。
私も5月に今作を観劇していますが、冷え切った夫婦の会話がとてもリアルで、その台詞や演出一つ一つの意味を考えると、そこには男性と女性の価値観の違いや意見の食い違いがこれでもかというくらい鋭く描かれていて、凄く刺激的な観劇体験でした。たしかにこの作品であれば、台湾といったアジア圏では少なくとも共感してもらえるような作品だと痛感しました。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n6b30c2aa6a59
加藤拓也さんは、昨年(2023年)には『ドードーが落下する』で演劇の芥川賞とも称される第67回岸田國士戯曲賞も受賞されています。日本に限らず世界で活躍する劇作家として今後の動向も大注目です[7]。


劇団た組『綿子はもつれる』台湾公演のフライヤー


写真引用元:ステージナタリー た組「綿子はもつれる」より。(撮影:岡本尚文)


今年、2024年はもうすでに海外公演が決定している日本のオリジナル作品があります。それは、東宝製作の舞台『千と千尋の神隠し』です。舞台『千と千尋の神隠し』は、2022年2月から帝国劇場で初演されており、非常に国内で人気を集めた舞台作品となっています。私は、チケット予約を頑張って申し込もうとしたのですが、抽選からはずれてしまい観劇することが出来ませんでした。『千と千尋の神隠し』は、宮崎駿監督が手がけたスタジオジブリの代表作で日本だけに止まらず、世界でも人気を博しているヒット作品です[8]。
その『千と千尋の神隠し』が今年(2024年)の4月〜8月にロンドンコロシアムで上演されます。イギリスでは、同じくスタジオジブリの代表作である『となりのトトロ』を舞台化しており、昨年(2023年)は英演劇賞6部門を受賞するという快挙を達成し、シェイクスピアを超えたとも称されました[9][10]。
舞台『となりのトトロ』のイギリスでの大盛況ぶりを耳にすると、舞台『千と千尋の神隠し』もイギリスで大ヒットするのではないかと期待できます。もし舞台『千と千尋の神隠し』がイギリスでヒットすれば、日本の舞台演劇がイギリスで認められたことになるので、今後の日本の舞台芸術が世界で影響力が持てるようになるためにも、今回の上演の大成功を祈りたいです。私も、ロンドンまでは行けませんが、帝国劇場で3月に上演されるチケットを頑張って入手したいです。




最後に、私はこのミュージカルも世界で大ヒットするのではと感じている作品があります。それは、ホリプロ ミュージカル『生きる』です[11]。
ミュージカル『生きる』は、2018年に初演、2020年に再演、そして2023年に再再演された演目で、映画界の巨匠である黒澤明監督の映画『生きる』をミュージカル化した作品です。物語は、戦後直後の日本が舞台で、30年も欠勤なしで市役所に勤めてきた渡辺勘治が、末期がんと宣告されてから町に公園を建設して生きがいを見出そうとする物語です。今作は、昨年(2023年)の4月にノーベル賞作家であるカズオ・イシグロさんが脚本を担当して舞台をイギリスに置き換えて、『生きる LIVING』として映画化されたことも世界で大きな話題となりました[12]。
私もミュージカル『生きる』を昨年(2023年)の9月に新国立劇場で観劇したのですが、まさかあの黒澤明映画が、こんなに現代人に親しまれやすい形でポップにミュージカル化出来るものなのだと感動しました。黒澤明映画版『生きる』は、どちらかというと後半部分の映像演出が素晴らしくて、そのカメラワークや映像の見せ方の素晴らしさにフォーカスされている気がしましたが、ミュージカル『生きる』はそうではなく、ストーリーをしっかりと描くことで、その脚本が持つ魅力と普遍性をミュージカルに乗せて、特に中高年の方に生きる希望を持たせてくれる形で上演されていて素晴らしく思いました。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n897826e6a573
今作は、上皇夫妻も観劇されていたということもニュースで取り上げられました[13]。
私は『生きる』で描写されるような、単純作業に追われて生きる気力を失ってしまうような環境というのは、日本に顕著なものなのだと勝手に思っていましたが、映画『生きる LIVING』がイギリスでヒットしたということは、その現象は決して日本固有のものではなく、世界でも共通して起こっていることなのだと感じました。
仕事に忙殺されて生きる活力を見失いがちな人生だからこそ、こういった名作の存在が必要で、それが日本のオリジナルコンテンツとして世界の多くの人々の心を動かして欲しいと感じています。堀義貴氏も、『生きる』は英語圏向けに海外展開出来る日本のオリジナル作品だと語っています[14]。



写真引用元:ミュージカル『生きる』 公式X


以上のように、日本の舞台技術は世界へ向けて発信していこうと試行錯誤を繰り返している段階です。しかし、日本には世界で通用するであろうオリジナル作品が豊富にあります。そういった作品を世界の方に知ってもらい、日本の舞台演劇の未来を明るくしていけたら良いと私は考えています。


【2.5次元舞台は演劇産業の主軸の一つに】

この章では、以下の演劇作品のネタバレについて言及しています。気にされる方は次章以降にお進み下さい。

ネタバレに言及する作品

・東宝 ミュージカル『SPY×FAMILY』
・悪童会議『いとしの儚』


漫画・アニメ・ゲーム作品を舞台化した2.5次元は、数年前から一つのムーブメントになっていましたが、昨年(2023年)はそのムーブメントを多くの団体や企業が正式に受け入れ、演劇産業の一つの主軸と捉える動きが多く見受けられました
昨年(2023年)大ヒットを記録したアニメ『推しの子』(集英社)では、2024年4月から第2期として「2.5次元舞台編」が始まります。『推しの子』は、主人公の青年が死後に前世の記憶を持ったまま、推していたアイドルの子供に生まれ変わる転生もので、芸能界の闇を切り込んでいく様が非常にリアルで、私も第1期を楽しみました。アニメに詳しくない方にもおすすめしたい『推しの子』ですが、2.5次元舞台に関する描写が、メジャーアニメに登場するということは、世間的にも2.5次元が受け入れられたと言っても良いでしょう[15]。
また、日本劇作家協会では、昨年(2023年)から戯曲セミナーに「2.5次元脚本コース」が新設されました。新設された背景はもちろん、2.5次元舞台が日本のライブエンタメの一つの柱となっているので、その脚本家を育成することで作品の質の向上を狙う目的があるためです[16]。
さらに、昨年(2023年)6月には藤田晋さんが代表取締役を務める株式会社サイバーエージェントが、ミュージカル『テニスの王子様』を皮切りに2.5次元ミュージカル市場を切り開いてきた舞台制作会社株式会社ネルケプランニングを子会社化しました。こちらの背景も、2.5次元舞台の市場規模拡大に伴い、国内だけでなく海外展開も視野に入れるためにこのような体制へとシフトしていきました[17]。
このように、様々な団体、企業が2.5次元舞台の市場の成長を好意的に捉えて、日本の舞台芸術の大きな柱としてさらなる投資と協力を始めたと考えられます。


昨年(2023年)は、東宝や松竹を中心とした歌舞伎界といったエンタメ業界の大手企業が、2.5次元作品を大々的に上演したことも注目されました。東宝製作ですと、昨年(2023年)2月には帝国劇場で舞台『キングダム』が上演され、昨年3月には同じく帝国劇場でミュージカル『SPY×FAMILY』が上演されました。歌舞伎界は一昨年以上前でも2.5次元歌舞伎は上演されていましたが、昨年3月に豊洲にあるIHIステージアラウンド東京にて新作歌舞伎『ファイナルファンタジーX』が、昨年7月には新作歌舞伎『刀剣乱舞 月刀剣縁桐』が新橋演舞場にて上演され、歌舞伎と2.5次元のコラボもますます活発になりました[18][19][20][21]。
私は上記のうち、ミュージカル『SPY×FAMILY』のみ観劇しました。『SPY×FAMILY』はアニメを見て好きになった身なのですが、ミュージカル版では、私が一番好きなエピソードをしっかりと盛り込んでいて大満足でした。第一幕と第二幕に分かれて上演されるのですが、第一幕はロイドとアーニャとフォージャーが家族になるまでの話で、第二幕はアーニャをイーデン校に入学させる話でした。第一幕は、割とサスペンスアクションが多くて物語は知っているのに、ハラハラドキドキするシーンが満載、そして第二幕は家族の絆を深めつつコメディ要素も多くて沢山笑いました。
また、普段ミュージカルに慣れ親しんでいない方でも満足いくような演出としても仕上がっていて、ミュージカル俳優のソロパートで歌を見せるというよりは、サスペンス、コメディ、ダンス、ヒューマンドラマをバランスよく作中に盛り込んでいる点に親しみやすさを感じました。アニメで人気になった『SPY×FAMILY』を短いスパンでよくここまでミュージカル化出来るものだと、素人ながら感心させられましたし、その2.5次元舞台化のレベルの高さを感じさせられました(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n76366905ff3d)。



写真引用元:ミュージカル「SPY×FAMILY」 公式X


そして私が昨年2.5次元界隈で胸熱に感じた出来事は、2.5次元俳優として活躍されている方が、小劇場の魅力を広めるべく様々な企画を起こしたことです。
昨年(2023年)7月、2.5次元舞台を中心に活躍されている俳優の梅津瑞樹さんと橋本祥平さんが二人で演劇ユニット「言式(げんしき)」を結成しました。梅津さんは、鴻上尚史さんが主宰していた「虚構の劇団」に所属していましたが一昨年前の2022年に解散し、梅津さん自身が母体となって表現活動の場を作りたいという思いから結成されたそうです。昨年(2023年)10月に旗揚げ公演として『解なし』を博品館劇場で上演されて、2.5次元俳優が主体となってストレートプレイなどの演劇のフィールドを広げていくという事例が現れました[22][23]。


演劇ユニット言式『解なし』のフライヤー


また、昨年(2023年)7月には2.5次元の演出家として知られる茅野イサムさんと2.5次元舞台の制作会社であるマーベラスの創業者である中山晴喜さんが立ち上げた演劇ユニット「悪童会議」の旗揚げ公演もありました。「悪童会議」は、茅野イサムさんが最初に所属していた横内謙介さんの劇団である「善人会議(現・扉座)」から名前を取ったもので、現在では2.5次元舞台を中心に活躍されているお二人ですが、2.5次元舞台で演劇を好きになった方たちに向けて、2.5次元やグランドミュージカル以外を届けるというコンセプトで旗揚げした演劇ユニットとのことです[24]。
旗揚げ公演では、横内謙介さんが主宰する扉座の代表作とも言うべき『いとしの儚』が上演され、私も観劇しました。『いとしの儚』は、天涯孤独の博打打ちである件鈴次郎と、鬼たちが墓場から死体をかき集めて作った絶世の美女である儚のラブストーリーなのですが、私は今作を2021年3月に下北沢の小劇場であるザ・スズナリで観劇してから物凄く好きな作品で、そんなストレートプレイが若年層女性が多い2.5次元舞台ファンの方に届いた様子を劇場で目の当たりにして感動しました[25]。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n4596cc1fb086
『いとしの儚』は、無料で戯曲をネット上で閲覧できる「戯曲デジタルアーカイブ」でも公開されているので、興味ある方はぜひ読んでみて下さい(https://playtextdigitalarchive.com/drama/download/119)。
さらに、悪童会議旗揚公演の『いとしの儚』のスタッフクレジットにも驚きました。フライヤーデザインを手がけたのが藤尾勘太郎さんという小劇場演劇の多くのフライヤーデザインを手がける方であることに加え、その他小劇場で活躍する多くの方がこの作品の製作に携わっていて感動しました。それまでは、小劇場界隈と2.5次元界隈は割と隔たりがあるように感じていたのですが、こういった機会によってその二つのジャンルがお互いに歩み寄って、演劇業界が盛り上がっていく兆しを見せてくれたことが何とも嬉しかったです。


写真引用元:ステージナタリー 悪童会議 旗揚げ公演「いとしの儚」より。


こうして、2.5次元舞台という存在は、もはや一つのムーブメントに留まらず、一つの演劇業界の中心ジャンルとして確立し、古くからエンタメ事業を牽引してきた企業や団体もそれを受け入れ、より演劇産業を盛り上げるべく進んでいることが窺えると思いました。
こうした2.5次元舞台の上演によって、今まで舞台を観たことがなかった方でも観劇のために劇場に足を運べる敷居を下げることによって観劇人口を増大させ、ますます舞台演劇を盛り上げることが出来たらと考えています。


【増えゆく大劇場、減りゆく小劇場】

この章では、ネタバレする演劇作品はございません。


東京都心では再開発が進んでいく中で、劇場の閉館や開館、改修工事のための一時休館のニュースが後を断ちません。全体的な傾向として、ミュージカルや2.5次元を上演する商業演劇のための大劇場は増加傾向にあるのですが、これから活躍しようとしている若手の劇団や演劇ユニットが上演出来るような小規模の劇場は減少傾向にあると感じています。
まず、渋谷Bunkamuraは昨年(2023年)の4月10日を持ってオーチャードホールを除いて、東急本店跡地の再開発に伴い、長期休館となりました。私もBunkamuraの施設内にあった劇場であるシアターコクーンには観劇によく訪れていたので、2027年度まで休館するというのは少し寂しい思いがあります[26]。
その代替施設として、昨年(2023年)5月に開業した東急歌舞伎町タワーの複合施設内に、900席のキャパシティを誇る「THEATER MILANO-Za」という劇場がオープンしました。この劇場名は、かつてこの地に存在した映画館「新宿ミラノ座」から取ったもので、歌舞伎町の発展と共に盛り上がったエンタメ施設でした。THEATER MILANO-Zaでは、昨年5月にこけら落としとして上演された『舞台・エヴァンゲリオン・ビヨンド』を皮切りに、数多くの商業公演が上演されています[27]。
私は昨年(2023年)7月には舞台『パラサイト』を、昨年9月には劇団☆新感線『天號星』を観劇しました。THEATER MILANO-Zaは、劇場自体が建物の6階にあって、そこまではエスカレーターで行かないといけない不自由さはありましたが、劇場の見やすさは最高で客席が端でもステージ全体をしっかりと見ることが出来ました[28]。


東急歌舞伎町タワー 筆者撮影


東急歌舞伎町タワー 筆者撮影


東急歌舞伎町タワー 筆者撮影


長期休館するのは、Bunkamuraだけではありません。池袋駅西口にある東京芸術劇場も、今年(2024年)の9月30日から来年(2025年)7月まで設備更新工事のため一時休館になります[29]。
また、日比谷にある帝国劇場も、来年(2025年)からビルの再開発に伴って一時休館することが決定しています[30]。
これは私個人が思う勝手な想像ですが、こういった大きな劇場の一時休館が相次いでいるのは、そもそも建物が老朽化してきていて、耐震強度を保つためにも改修工事が必要であるという点と、昨今は2.5次元舞台など劇場で行われるライブエンタメも多用化してきていて、そういった多様性のあるニーズに答えるべく劇場そのものの改修工事が多いのではないかと感じています。


それほど相次いで劇場が休館するとなると、上演される公演も減ってしまうではないかと思われますが、大劇場に関しては今年(2024年)以降に開業する施設も多く、商業演劇は今後ますます盛り上がりを見せると思っています。
まず、後楽園にある東京ドームシティの一画に、IMM THEATER(客席数:約700席)という劇場が今年(2024年)の1月10日に開業します。IMM THEATERは、東京ドームシティと吉本興業が共同で建設したもので、劇場のDM(ドントマネージャー)に明石家さんまさんが就任しています。また1月10日からは、劇場のこけら落とし公演として明石家さんまさん主演の舞台『斑鳩の王子 ー戯史 聖徳太子伝ー』が上演予定です[31]。
また、今年(2024年)6月には、大井競馬場の第三駐車場跡地に新劇場のシアターH(客席数:約750席)が開業します。シアターHは、舞台制作会社の株式会社マーベラスを創業した中山晴喜さんが代表取締役として就任します。中山さんは今まで2.5次元舞台の制作に注力された方で、シアターHは2.5次元舞台も数多く上演されることと思われます。中山さんも、この劇場の開設の際に、ライブエンターテイメントの盛り上がりの中で、劇場の提供不足を少しでも解消したいという思いで建設されたそうで、今後の新しいエンターテイメントの発信地として盛り上がって欲しいと感じています[32]。
さらに、こちらは2025年に竣工予定ですが東京駅前八重洲一丁目東B地区にも、再開発事業で 劇場・カンファレンス施設が開設される予定になっています。こちらの施設に建設される劇場は収容人数が800名程度だそうで、ぴあ株式会社などのライブエンターテイメント企業が運営予定で、今後商業公演用の劇場はますます増えていく見通しです[33]。


写真引用元:お笑いナタリー 「IMM THEATER」のイメージ。


写真引用元:ステージナタリー シアターHの外観イメージ。


収容人数が500名以上の大きい劇場が増えていく一方で、収容客数が500名以下の小劇場は減少する傾向にあると私は感じています。
まず、昨年(2023年)6月に新宿シアター・ミラクルが閉館となりました。新宿シアター・ミラクルは、昨年(2023年)8月にシアタークリエで上演された『SHINE SHOW!』を生んだ冨坂友さんが主宰する劇団「アガリスクエンターテイメント」が愛用した劇場として有名な印象を抱いております。私も一度だけこの劇場で観劇経験があります[34]。
また、戦後の新劇ブームを牽引してきた六本木にある俳優座劇場も2025年4月を持って閉館することが決まりました。1954年に創設された当劇場は前後の日本を約70年に渡って劇団俳優座のホームグラウンドとして機能してきました。そして、『水戸黄門』の初代水戸光圀役でお馴染みの東野英二郎さん、黒澤明監督映画作品に多数出演した仲代達矢さん、人気テレビドラマ『家政婦は見た!』でお馴染みの市原悦子さんら名俳優を輩出してきました。劇場の閉館理由は、劇場の老朽化と収支の悪化で、収支の悪化がなければ再建もされたのかと思いますが、六本木という一等地で劇場を運営する経営の難しさを考えさせられます。私もこの劇場で一度だけ観劇経験があります[35]。


俳優座劇場 筆者撮影


さらに、私もかなりの衝撃を受けた劇場の閉館は、劇団「青年団」を主宰する平田オリザさんが芸術監督を務める「こまばアゴラ劇場」の2024年5月末での閉館です。こまばアゴラ劇場は、収容人数50席前後という非常に小さな劇場ですが、私自身も何度も観劇に足を運んだ思い出の劇場の一つです。昨年もこの劇場で、うさぎストライプ『あたらしい朝』とぱぷりか『柔らかく搖れる』を観劇しました。
閉館の理由は、この劇場の運営で多額の負債が残っており、その返済のために劇場を閉めるとのことです。コロナ禍や昨今の物価の高騰も閉館に拍車をかけたとされています[36]。
こまばアゴラ劇場は、3000円ほどで様々な若手劇団の公演を質の高い状態で観劇出来る稀有な劇場でした。特に、地方で活躍していた劇団が東京に初めて進出する際に、まだまだ都内で知名度がない中で上演する際に魅力的な劇場でした。こまばアゴラ劇場には劇場支援会員制度があって、これは劇場の年パスのようなシステムなのですが、そちらに加入しているシアターゴーア(演劇を沢山観る観客のこと)が数多く劇場に足を運んでいたため、この劇場で上演すれば面白い団体はシアターゴーアの口コミによって広まり、地方で活躍する腕のある演劇団体も名が知れるようなシステムが整っていました。
こういったシステムが無くなってしまうことは、今後の演劇業界の育成を考えると非常に危機的な状況だと私は思います。丸尾丸一郎さんが主宰する「劇団鹿殺し」や、杉原邦生さん・木ノ下裕一さんが中心に活動してきた「木ノ下歌舞伎」も最初は地方で上演していて、東京進出のきっかけがこまばアゴラ劇場でもあるのです。今商業演劇で大活躍している演劇業界の人々も、こまばアゴラ劇場によって支えられた側面も大きいと言えるのではないでしょうか[37]。


2.5次元の隆盛や、推し活文化の盛り上がりを考えると、大劇場で上演される商業演劇はますます盛り上がりを見せる一方、コロナ禍や物価上昇に伴って小劇場の運営は厳しいものになっているというのが、今の演劇業界の状況だと思います。
小劇場は、まだ売れていない若手劇団に上演の機会を与えてくれる貴重な空間であり、そんな空間がなかったら日本の演劇業界の多様性が失われ、それはやがて商業演劇にも大きな影響を与えることになるでしょう。さらに、若手の演劇人たちの活躍のフィールドも失われ、ますます演劇というものの存在が身近でなくなってしまう恐れもあります。そうならないためにも、小劇場をなんとしてでも存続させられるような仕組みやシステムが今後の演劇の盛り上がりを維持する上で必須だと考えられます。


【イマーシブシアターの夜明け】

この章では、以下の演劇作品のネタバレについて言及しています。気にされる方は次章以降にお進み下さい。

ネタバレに言及する作品

・南極ゴジラ『怪奇星キューのすべて』



読者の皆さまは「イマーシブシアター」をご存知でしょうか。イマーシブシアターはwikipediaによると、2000年代にロンドンから始まり、それ以降ニューヨークにも拡大して注目を集めている体験型演劇のことです。演劇とは「観客が客席に座り、ステージ上の演者を鑑賞する」ものであったという常識を覆し、「観客が自ら行動し、 演者と同じ空間に同居しながら物語の一部として作品に参加する」という形式に変換したのがイマーシブシアターです[38]。
コロナ禍前までは、日本ではSCRAPが手掛ける体験型ゲーム・イベント「リアル脱出ゲーム」などが流行っていました。しかしリアル脱出ゲームは、イマーシブ「シアター」でなく、イマーシブ「体験」であるという見方が強いです。イマーシブシアターは、「リアル脱出ゲーム」よりも物語性があって、登場する出演者も舞台出身の方が多いという特徴があります。


一昨年前までの日本におけるイマーシブシアターとしては、「泊まれる演劇」が有名かと思います[39][40]。
「泊まれる演劇」は、2019年に「HOTEL SHE,」という宿泊施設を運営していた花岡直弥さんが、ホテルを活かしたエンターテイメントとして立ち上げました。2020年6月に「泊まれる演劇」の初演作品『MIDNIGHT MOTEL』を上演予定でしたがコロナで延期になりました。そのため、zoomといったオンラインでも体験型演劇を満喫出来るような上演に切り替えたことが功を奏し、2020年に一気に知名度が上がりました。そして今では、イマーシブシアターを代表する人気シリーズとして成長しました[41]。
「泊まれる演劇」は、宿泊客である観客も出演者の一部となって物語を進行していきます。出演者と直接コミュニケーションを取ることによって、物語の真意に近づいていくというゲームらしい面白さと物語を楽しむ演劇らしさがあります。
過去には、劇団「悪い芝居」を主宰する山﨑彬さんが脚本・演出を務めるなど、演劇界隈で長年経験を積んできた方とコラボしてイマーシブシアターを作り上げてきた点も特徴的です[42]。



しかし昨年(2023年)は、「まほろば遊園地」「DAZZLE(ダズル)」「daisydoze(デイジードーズ)」とイマーシブシアターを手がける企画・団体が一気に知名度を上げた一年でもありました。
まず「まほろば遊園地」なのですが、こちらはリアル脱出ゲームを手がけてきたSCRAPが企画・運営するイマーシブシアターで、2023年6月に東京ドームシティで体験する物語project『黄昏のまほろば遊園地』として上演されました[43]。
さらに東京公演では人気を博してすぐにチケットは完売という大盛況だったので、それを地方にも展開して今年(2024年)1月6日からは、大阪ひらかたパークでも上演予定です[44]。
「まほろば遊園地」の創作に携わる方には、小劇場演劇出身のクリエイターや俳優も多く、脚本にはイマーシブシアターを創作する「ムケイチョウコク」の今井夢子さんが担当しています。



2つ目の「DAZZLE」なのですが、この団体は元々1996年に結成されたダンスカンパニーで、これまでダンスエンターテインメントの日本一を決める「Legend Tokyo」(2011)にて優勝したり、若手演出家コンクールで優秀賞を取るなど、ダンスと演劇の両軸で活躍していました[45]。
しかし、2017年以降からロンドンやニューヨークでのイマーシブシアターの人気を鑑みて、日本でもイマーシブシアターを上演すべく活動してきました。そして昨年(2023年)の4月28日から常設型イマーシブシアター『Lost in the pages』を上野にある「ABAB UENO」で今年の6月末まで上演しています。さらに、昨年9月からは白金台にある「シャレイ白金」で常設型イマーシブシアター『Unseen you』も上演されています[46][47]。
「DAZZLE」は元々ダンスカンパニーということもあって、イマーシブシアターを楽しむだけでなく、ダンスパフォーマンスも見られてしまうので非常に魅力的な要素も多そうです。



3つ目の「daisydoze」は、ダンスを中心としたイマーシブシアター制作団体で、東宝演劇部とタッグを組んで昨年(2023年)12月9日〜17日のうちの4日間限定で、「Anima(アニマ)」というイマーシブシアターを日本橋のBnA_WALLで上演しました[48]。
なんといっても、このイマーシブシアターの特徴は、東宝株式会社演劇部の協力があってイマーシブシアターに歌と芝居の要素が加わっていることです。キャストは、日本国内にとどまらず世界で活躍するダンサー陣、帝国劇場などで上演されるミュージカルや舞台を中心に活躍する俳優が集い、ハイレベルな演劇を体感できるイマーシブシアターとして話題となりました[49]。



このように、昨年1年間でこんなにもイマーシブシアターを手がける団体が登場して、それぞれの持ち味を活かして日本のイマーシブシアターのムーブメントを巻き起こそうとしているとは、筆者である私自身も一年前には想像もつきませんでした。
そしてさらに、今年(2024年)の3月にはなんと、お台場のパレットタウン跡地に、世界初となるイマーシブ・テーマパークとなる「イマーシブ・フォート東京」がオープンします[50]。
イマーシブ・フォート東京は、西武園ゆうえんちの全面リニューアルや、ハウステンボスとの協業を手がけた株式会社刀が企画運営に入っており、イマーシブシアターにまで大手企業が参入しようとしています。
このイマーシブ・フォート東京には、10個のイマーシブシアターの会場が設置され、その中には「東京リベンジャーズ」や「推しの子」といった大人気アニメコンテンツも含まれており、アニメの影響によってイマーシブシアターの存在を知って訪れる人もいるでしょう。そうなると、今まで演劇やイマーシブシアターとは縁が遠かった方にも、これを機に演劇の世界に触れられることが出来て、裾野が広がっていく可能性があります。
イマーシブシアターを企画運営していくのは、やはり今まで演技や舞台美術にこだわりを持ってクリエーションしてきた舞台演劇界隈の方に、一番のアドバンテージがあると思います。「DAZZLE」や「泊まれる演劇」もそうですが、「まほろば遊園地」も脚本演出や俳優は、小劇場で活躍してきた方が起用されています。
イマーシブ・フォート東京も、きっと舞台演劇で活躍してきた方に、今まで以上に活躍のフィールドを広げるチャンスを与えてくれるに違いないでしょう。




そして、小劇場演劇界隈でも、体験型演劇を作り出そうと活動している若手団体がいます。「南極ゴジラ」という団体です。
私は、昨年8月に上演された南極ゴジラの『怪奇星キューのすべて』を観劇しました。今作は、キューという「怖い」という感情が最も重要視される不思議な星にたどり着いた人々を描くSFなのですが、途中で客席を移動したり、上演されるステージがシーンによって変わったり。はたまた、今まで観客が観劇していたエリアが今度はステージに変わったりと非常に自由度の高い演劇を上演していました。今まで舞台上の役者を観劇するという概念を超えて、半ば体験型演劇に近い形で上演されました。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n034be7598e85
南極ゴジラは、今年(2024年)3月に王子小劇場で『(あたらしい)ジュラシックパーク』というタイトルで公演を実施予定ですので、気になる方はぜひチェックしてみてください[51]。
また、南極ゴジラの主宰であり作演出を務めているこんにち博士さんは、今年(2024年)1月19日から3月17日まで「HOTEL SHE, OSAKA」で上演される「泊まれる演劇」の『Moonlit Academy』で脚本演出を担当されています。こうして、イマーシブシアターが若手演劇団体が活動出来るフィールドの一つとして広がっていって欲しいと切に願っています[52]。
このように南極ゴジラのような体験型演劇を手がける若手団体も増えれば、演劇業界にはますます多様性が生み出されるのではないでしょうか。


写真引用元:ステージナタリー 南極ゴジラ「怪奇星キューのすべて」より。(撮影:松下奈央)


ロンドンやニューヨークではメジャーになっているイマーシブシアターが、ようやく日本でも知名度が上がりつつあり、大手企業も目をつけ始めた段階かと思います。もちろん、イマーシブシアターは日本では全く新しい取り組みなので、それに伴う困難は沢山あるかと思います。
しかし、そういった新しいものを積極的に受け入れて、トライ&エラーを繰り返していけば、日本人に最適な形でイマーシブシアターが定着し、2.5次元舞台の成功事例のように演劇業界全体を盛り上げることが出来ると思います。そんなポテンシャルを秘めたイマーシブシアターを、ポジティブな気持ちで見守っていきたいと思っています。


【コロナ禍を経たコメディ演劇の傾向】

この章では、以下の演劇作品のネタバレについて言及しています。気にされる方は次章以降にお進み下さい。

ネタバレに言及する作品

・大人計画 ウーマンリブ『もうがまんできない』
・城山羊の会『萎れた花の弁明』
・ダウ90000『また点滅に戻るだけ』


昨年(2023年)は、2020年から続いてきたコロナ禍が徐々に落ち着きを見せ、コロナ禍以前の生活が戻りつつあった一年となりました。
まず、昨年の5月に新型コロナウイルスは5類に移行しました。これによって、感染者や濃厚接触者の外出制限が緩和し、マスク着用の推奨も緩和されました。緊急事態宣言も無くなって、飲食店に対する営業時間短縮の要請も無くなりました[53][54]。
それに伴い、2020年から中止していたイベントが2023年から再開された所が多くなりました。隅田川の花火大会も復活し、京都の祇園祭も例年通りの日程で催されるのは2019年以来4年ぶりとなりました[55][56]。
また、会社の忘年会なども完全復活したのは昨年からという方も多いのではないでしょうか。私の所属する会社も、対面で人と会って大人数で忘年会を開催したのは昨年からとなりました。さらに、在宅勤務自体も徐々に解消されて出社するスタイルに戻っている企業も多いかと思います。もちろん、在宅勤務が不可能な業界、職種の方はそうではなかったかもしれませんが、在宅勤務可能な職場環境でも、コミュニケーション活性化のために出社を義務付ける、もしくは出社する日数を増やす制度を導入する企業も少なくなく、私の所属する会社もそうなりつつあります。


こうして、徐々にコロナ以前の日常に戻りつつある昨今ですが、それでもコロナ禍があまりにも長かったせいか、そこで蓄えられたストレスを発散したい、ガチガチに固められた堅苦しい決まりごとから解放されたいと思う方も沢山いるのではないでしょうか。2023年は、そんな感情の爆発を演劇作品に反映させているような作風に出会うことが複数ありました。そしてそれは、特にコメディ作品で強く感じました。


例えば、昨年4月から本多劇場で上演されていた大人計画のウーマンリブvol.15『もうがまんできない』がそうでした。
『もうがまんできない』は、宮藤官九郎さんが作演出を務める公演で、本来は2020年4月に初演される予定でしたがコロナ禍により無観客配信のみ上演された作品でした。3年ぶりに有観客での上演が叶った今作です。物語は「SAUNA」と書かれた看板のかかったサウナ用施設の屋上と、高級マンションの屋上で繰り広げられるコメディ作品です[57]。
私はこの作品を本多劇場で観劇したのですが、まずステージ上で上演される内容に割と衝撃を受けました。どう衝撃を受けたかというと、サウナに入りにきたということで全裸でかつ尻が完全に見える状態でステージ上に登場するキャストがいたり、女性キャストである中井千聖さんを男性キャストが引っ叩く演出があったり、そしてその中井さんが演じる女性というのは知的障害を持つ役だったりするのです。
こういった演出は、昔のテレビ番組なら往々にしてあり得たと思います。例えば、『志村けんのバカ殿様』や『はねるのトびら』がそうでした。しかし、令和のコンプライアンスを考えると、先述したような演出や描写はコンプライアンス違反となり、テレビでオンエアするのは難しいのではと思うものが沢山あって、だからこそ私は観劇していて凄く抵抗を感じました。
しかし、他の観客たちは、見まわした限り割と年齢層高めの方も多かったりするのですが、皆大爆笑して楽しんでいました。最初は若干の怖さを感じた私でしたが、舞台であればこういう演出もアリなのかと劇後半になるとそれらを受け入れている私もいて結果大満足でした。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n43838298e56b
これは、観客も出演者も昨今の厳しいコンプライアンスによる息苦しさに耐えかねて、せめて舞台上だけでは昔のままで大爆笑をしようというムードにも感じられて、結果的にコロナ禍によって長い間息苦しかった感情の発散によって巻き起こっている描写なのかと私は思いました。



写真引用元:ステージナタリー ウーマンリブ vol.15「もうがまんできない」より。(撮影:田中亜紀)



昨年12月に観劇した城山羊の会『萎れた花の弁明』でも同様の感想を抱きました。
この作品は、三鷹市芸術文化センター星のホールで上演された山内ケンジさんが作演出を務める演劇ユニット「城山羊の会」の新作公演なのですが、舞台を三鷹市芸術文化センターに設定し、そこでコロナ禍が徐々に明けてきたことを理由に性欲を発散させたい男性を中心に、岡部たかしさん演じる男性の不倫などを描く物語です[58]。
私が今作を観劇して思ったのが、『もうがまんできない』ほどの過激さはなかったのですが、やはり全裸になる描写があり、性欲の話を会話劇として持ち出してくるので、下ネタが苦手な方には耐えられない舞台空間なんじゃないかとソワソワしました。
『もうがまんできない』と同じく、やはり割と年齢層高めの観客が多かったのもあり、客席からは終始大爆笑が聞こえていて満足度は高い舞台作品だったのだと思います。
この作品の前説で、劇場の支配人を務める森元隆樹さん本人も登場し、コロナ禍で我慢しなければならなかったコンプライアンスに耐える生真面目さが求められる世の中だけれど、ふざけた芝居もやりたいという切実な願いも感じられて、これもきっと『もうがまんできない』で感じたものと同じ、演劇業界の人々のストレスの発散方法なのかもしれないと感じました。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n7c9edde4c625


写真引用元:ステージナタリー 城山羊の会「萎れた花の弁明」より。



コロナ禍による昨今のコンプライアンス遵守の堅苦しい世の中に一石を投じるようなコメディ作品を手がけるのは、昭和時代から平成時代を生き抜いてきたベテランクリエイターが多い一方で、若手のクリエイターはそうでもない印象を感じます。
若手のコメディ演劇団体を代表する存在として有名なのは、一昨年前に第66回岸田國士戯曲賞の最終候補まで上り詰めたり、2年連続ABCお笑いグランプリで決勝まで進出していて、演劇業界とお笑い業界の両軸で活躍する「ダウ90000」です[59]。
ダウ90000の作品は、一昨年前(2022年)1月に上演された『ずっと正月』以来毎公演観劇しています。そして、昨年5月に上演された『また点滅に戻るだけ』を観劇して、先述したコメディ作品の『もうがまんできない』や城山羊の会の『萎れた花の弁明』とは同じコメディ作品でも決定的に作風が違うことも目の当たりにしました。
『また点滅に戻るだけ』は、ダウ90000が初めて本多劇場で公演をした作品で、埼玉県所沢市にある郊外のゲームセンターにかつて同じ学校に通っていた幼馴染の20代後半の若者が集うコメディとなっています。
ダウ90000の作風として、基本的に人を引っ叩いたり全裸で登場するといったドタバタコメディは登場しません。脚本家の蓮見翔さんのワードセンスが光るウィットに富んだ会話劇で人を笑わせます。そのセンスが非常に今どきの若者あるあるが満載で、且つボキャブラリーセンスが凄く豊富なので、私も彼らが披露する会話劇を2時間飽きさせることなく観劇出来ました。正直、今回の『また点滅に戻るだけ』はダウ90000の過去作品の中でも極めて面白かった作品だったと感じております。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/nb8a89923246e
そしてダウ90000には、若者のファンが圧倒的に多くて、小劇場の演劇でもここまで若者で客席が埋め尽くされるのも珍しいものです。



写真引用元:ステージナタリー ダウ90000 第5回 演劇公演「また点滅に戻るだけ」より。



年齢層の高い観客に刺さるコンプライアンス違反系のドタバタコメディ、そして若年層に刺さる人を引っ叩いたり体を張らない会話で笑わせるコメディ。世代によって、笑のツボや好みというのは大きく違いがあることを昨年の観劇で私は大きく感じました。
これは決して世代のせいではなく、私たちが今まで触れてきたエンタメと社会情勢が大きく影響していると私は感じています。年齢層の高い世代はお茶の間で様々なドタバタコメディを見てきたから、やはりそういった作風をコメディや演劇に求めると思いますし、それをコンプライアンス違反として禁じようとする窮屈な世の中だからこそ、ウーマンリブや城山羊の会のようなコメディが刺さるのだと思います。
一方で若年層は、元々引っ叩いたり全裸みたいな体を張ることに対してコンプライアンス違反という意識が根強く、そういった描写に抵抗を抱く一方で、ダウ90000のような新たな形のコメディ作品を切望するのではないでしょうか。
両方のコメディの作風にそれぞれの面白さがあって、それがコメディ演劇の醍醐味だとも思います。私もどちらのコメディ作品も楽しめるような寛容なマインドを持ちつつ今年も観劇したいものです。


【生成AI・メタバースが与えた演劇への影響】

この章では、以下の演劇作品のネタバレについて言及しています。気にされる方は次章以降にお進み下さい。


ネタバレに言及する作品

・あやめ十八番『六英花 朽葉』
・NODA・MAP『兎、波を走る』
・ゆうめい『ハートランド』


昨年、日本だけでなく世界を騒がせたニュースは、OpenAIが開発したAIチャットボットである「ChatGPT」の大躍進だと思います。昨年(2023年)3月にOpenAIは、さらに高精度の「GPT-4」を有料版のChatGPT Plus向けに公開して、そのGPT-4の精度に世界中の人々が驚かされました。さらに、10月には画像生成AI「DALL-E 3」をChatGPTから利用出来るようになったことで、チャットで指示した内容を画像として出力出来るようになりました。
さらに驚くべきは、11月に新しいGPT-4「turbo」をリリースしたことです。GPT-4「turbo」は、学習データが2023年4月まで拡張されてコロナ禍以降の話題についても回答してくれるようになったことに加え、プロンプトの長さも最大128,000トークンと拡大し、本300ページ分の文章量を一度に投げることが出来るようになりました。また、画像、音声の入出力も可能になって、もはやChatGPTに目と耳まであるような状態となりました。さらに「GPTs」の登場によって、誰もがオリジナルでカスタマイズできる生成AIを作成出来るようになりました[60][61][62]。


このような脅威的な速度で進化し続ける生成AIですが、それによって今の自分の仕事が奪われてしまうのではないかという脅威を感じる方も少なくないと思います。そんな脅威は、エンタメ・アート業界にも影を忍ばせています。
昨年7月からアメリカ合衆国では、全米脚本家組合(WGA)と全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)が、ハリウッドのメジャースタジオ、テレビ局、配信会社を代表する全米映画テレビ製作者団体(AMPTP)に向けて大規模なストライキを起こしました。
ストライキを起こした理由は、NetflixやDisneyといった巨大エンタメ企業が、生成AIの技術開発に出資することによって、俳優をスキャンしてAI技術によって俳優に出演してもらわなくても低コストで映像作品が創れるようになってしまうことを危惧したことも大きな理由の一つです[63]。
昨年11月に脚本家と俳優の労働組合は、動画配信サービスの急速な拡大を受けた報酬の引き上げと、AI技術の進化によって脚本家や俳優の仕事がなくならないような法整備を要求する形で製作会社側と合意し、ストライキは収束しました[64]。


しかし、そんなストライキを起こすハリウッドの脚本家、俳優たちを想起させるような演劇作品の上演が、昨年8月に劇場「座・高円寺」でありました。堀越涼さんが作演出を務める劇団「あやめ十八番」の『六英花 朽葉』です[65]。
『六英花 朽葉』は、大正・昭和時代を生きた活動弁士(無声映画を上映中に、傍らでその内容を解説する専任の解説者)であり映画女優でもある根岸よう子という女性の生涯を描いた物語です。今作は私も観劇しましたが、この時代は無声映画からトーキー映画に移り変わる時代で、それによって活動弁士の仕事も無くなっていっていく時代に抗おうとする人々の姿が丁寧に描かれていて心動かされました。
その作品単体だけでも十分見応えのある演劇だったのですが、やはり私は観劇中に、どうしてもハリウッドでストライキを起こしている脚本家や俳優の姿を思い浮かべざるを得ませんでした。演劇人にとっても、生成AIに代表されるAIの技術力による脅威はあって、でもそんな脅威は時代を問わず普遍的で且つ世界中で起きていることだから、一緒に戦って抗い、自分たちの権威と仕事を守っていこうという姿勢に感じられて心動かされました。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n7bd861249a03



あやめ十八番『六英花 朽葉』フライヤー



俳優だけでなく、長年演劇業界に居座ってきた劇作家でさえも、生成AIの出現に恐怖していることを演劇作品を通じて感じました。
それは、野田秀樹さんが作演出を務めるNODA・MAPの『兎、波を走る』を観劇して感じました[66]。
『兎、波を走る』は、不思議の国のアリスを下敷きに、日本人が忘れてはいけないある事件を描く物語です。たしかに今作で一番のメインメッセージとして描かれるのは、その忘れてはいけない事件のことについて(事件についてはネタバレなので言及しません)なのですが、その過程で生成AIに言及していると思われる描写も登場します。
今作には、野田秀樹さん自身が演じるブレルヒトという、劇作家ブレヒトから取ったと思われる作家が登場します。そんなブレルヒトの前に初音アイという名のVtuberのような脚本家も登場します。初音アイはブレルヒトに対抗しようと脚本を書き始めます。同じくブレルヒトも初音アイに負けじと脚本を書きます。しかし、初音アイは結局人間ではなくAI(人工知能)であることが分かり、初音アイは過去に蓄積されたデータを学習して脚本を書くに過ぎない存在でした。ですがブレルヒト自身も、結局は自分が学んだことや体験したことを元に脚本を書くので、初音アイと変わらない存在ではないかということに気がつくのです。
このブレルヒトのたどり着いた結論は、そっくりそのまま野田さん自身が感じていることなのではないかと感じましたし、『兎、波を走る』の公演パンフレットにもそのように記載されていました。野田さん自身は、『真夏の夜の夢』などシェイクスピアに登場する戯曲をアレンジさせて上演する腕に長けています。これは、そのまま生成AIが過去のデータを学習してオリジナリティあるものを創作する過程と非常に似ているのではないかという脅威です。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n135dc5bb0632



写真引用元:ステージナタリー NODA・MAP 第26回公演「兎、波を走る」より。(撮影:篠山紀信)



写真引用元:ステージナタリー NODA・MAP 第26回公演「兎、波を走る」より。(撮影:篠山紀信)



『六英花 朽葉』にせよ、『兎、波を走る』にせよ、劇作家や俳優たちが思い描いているAIへの印象は、自分たちの仕事を奪いかねない脅威的な存在で、それに立ち向かっていかないといけないという姿勢を感じました。どちらの作品も、AIは彼らの敵のような存在として描いていて、それはハリウッドのストライキなども強く影響しているのかもしれません。
しかし、生成AIに代表されるAI技術は消えてなくなるものではなく、むしろこれからの時代は私たちの身近になっていき、共存していかないといけない存在だと思います。演劇業界の人々がAI技術とどう向き合っていくのか、それはまだすぐに結論が出るものではないと思いますし、じっくり考えながら徐々に演劇作品に消化されて表現されていくのかなと思います。
2024年以降のAIに関する演劇創作の現場がますます楽しみになっていきました。


一方で、AIではないですが最新技術を受け入れていくスタンスで演劇創作をしていると感じた団体にも出会えました。
それは、昨年4月に上演された池田亮さんが作演出を務める演劇ユニット「ゆうめい」の『ハートランド』です[67]。
『ハートランド』は、「ハートランド」という名前の、山奥にあるプレハブ小屋のような駆け込み寺を中心に進んでいく2023年春を舞台にした物語です。「ハートランド」は現実世界に存在する駆け込み寺です。しかし、その駆け込み寺には台湾からやってきたユアンという女性が暮らしており、彼女はずっとARゴーグルをかけて暮らしています。それはなぜかというと、ユアンには歌が物凄く上手い姉がいて、そんな姉とずっと比較されながら育ったユアンは家出してこの駆け込み寺にやってきました。そして、ARゴーグルで見えているメタバース空間で、現実世界で他にも居場所を失っている人たちに自分の歌を披露して楽しませているのです。
この設定は物凄く素晴らしいなと私は感じました。それは、VR演劇のようにVRを一種のツールとして演劇をするのではなく、メタバース空間が出現したことによって巻き起こるヒューマンドラマを演劇に上手く落とし込んでいるからです。さらに、この作品はメタバース空間を否定する作品でもなく、むしろ共存する姿勢を見せている作品という点でも素晴らしかったです。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n7c209b9bdf52



写真引用元:ゆうめい 公式X


しかし、『ハートランド』に対する観客の感想をSNSで見てみたのですが、難解すぎるといったコメントが数多く、まだまだ世間一般的にこの作品の素晴らしさは受け入れられていないように感じました。もちろん、NFTなどの専門用語も多く登場して、情報量が多くて観客を混乱させたというのはあると思います。しかし、100%理解が追いつかなくても、メタバース空間にも優しさに溢れた駆け込み寺があるということが伝われば、凄く心動かされる気がしていて、それはライブ配信などで感動を得たりと、デジタルネイティブなエンタメの楽しみ方をしている人ほど刺さるような内容になっているので、そこがまだ現実世界での演劇を求める観客には刺さらない部分なのかと個人的には感じました(あくまで私一個人の憶測ですが)。

最新技術に関しての演劇業界全体の感度は凄く高くて、それをまだまだ恐怖と捉える側面もありつつ、『ハートランド』のように受け入れる創作も出現してはいるものの、まだまだ観客がそこに気がつけていない場合もあるので、創作者としてはそこの匙加減を上手くすることで、観客に受け入れてもらいながら適切に速度の速い時代にフィットした作品を創作出来たら素晴らしいことなのだろうと感じました。


【性の多様性理解と演劇創作】

この章では、以下の演劇作品のネタバレについて言及しています。気にされる方は次章以降にお進み下さい。


ネタバレに言及する作品

・ゴーチ・ブラザーズ『ブレイキング・ザ・コード』
・ぱぷりか『柔らかく搖れる』


性の多様性という言葉は、日本でも徐々に浸透してきているように思いますが、まだまだ法整備に関しては日本はかなり遅れていると感じます。大阪市で行われた調査、電通ダイバーシティ・ラボ、LGBT総合研究所「LGBT意識行動調査2019」などの調査によると、日本ではおよそ3〜10%の人がLGBTQ+であるとされています。しかし、日本において同性婚は認められておらず、一部の地方自治体や企業の取り組みで同性パートナーを認めるに留まっています。このように同性婚が認められていないのは、G8の中では日本とロシアだけのようです[68][69]。
それは、日本のLGBT教育の遅れが影響している部分も大きいと思います。私自身もLGBTQ+に関しては、学校の授業で習ったことがなく、恥ずかしながら大人になってから詳しく知った世代です。だからこそ、映画や演劇からLGBTQ+に関する作品に触れて、そしてそれらに対する他の方の感想などを読みながら、徐々に理解していった一面があります。だからこそ、自分自身の古い価値観のアップデートを図るためにも、様々なジャンルの芸術鑑賞は重要だと思います。


日本社会全体がLGBTQ+への法整備や理解に遅れている一方で、演劇業界に関してはどうでしょうか。昨年一年間でも、LGBTQ+に言及した作品は数多くあったように思います。そのうちの素晴らしかった2作品をここでは紹介します。
まずは、昨年4月に世田谷区にあるシアタートラムで上演されたゴーチ・ブラザーズ主催の『ブレイキング・ザ・コード』です[70]。
今作は、現在のコンピュータや人工知能開発の礎を築いたとされている、同性愛者でもあったイギリスの数学者アラン・チューリングを主人公に据えた物語で、前章で記載しているChatGPTに代表されるような生成AIとも通じる物語になっていて、二重でタイムリーな物語だと感じながら観劇していました。
今作は元々1987年にブロードウェイで初演された戯曲で、その当時にあまり高く評価されなかった理由としては、まだ人工知能が今のように日常社会にまで浸透していなかったことに加え、LGBTQ+に対する理解もアメリカでも進んでいなかったからではないかと思っています。
今作のタイトルである『ブレイキング・ザ・コード』というのはダブルミーニングになっていて、アラン・チューリングが自身で開発したマシーンを使って暗号解読をするという意味と、ロンという男性と性行為をしたことで当時の法律を犯したという意味の2つが込められています。
当時は同性同士で性行為することが、法律違反であったことが強調される物語となっていて、これは性の多様性が謳われる現代社会において、観客からも物凄く称賛の声が上がりました。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n273045ac8a38



写真引用元:ステージナタリー 「ブレイキング・ザ・コード」より。(撮影:杉能信介)



写真引用元:ステージナタリー 「ブレイキング・ザ・コード」より。(撮影:杉能信介)



もう一つの作品は、劇作家の福名理穂さんが作演出を務める演劇ユニット「ぱぷりか」の『柔らかく搖れる』です[71]。
『柔らかく搖れる』は、2022年に行われた第66回岸田國士戯曲賞を受賞した作品でもあり、昨年は兵庫、東京、広島の三都市で今作が上演されました。
物語は、小川家という広島の田舎の家族を中心に描かれます。この小川家の姉である樹子は、自分が育った実家を離れて別の住まいで愛と一緒に住んでいました。しかし、彼女らは同性愛であるということを小川家の家族にはカミングアウトしていませんでした。愛はそろそろ自分を愛人として家族に紹介して欲しいとお願いすることで、樹子は家族に紹介する決意をします。しかし別の描写で、樹子の弟にあたる良太の妻の志保は、結婚しても子供が出来ないことを良太の親から愚痴を言われて離婚してしまいます。
この物語は、田舎であればあるほど男女で結婚して子供を産むべきだという価値観が強くて、それによって女性が翻弄されてしまう様が描かれています。今の日本の田舎のリアリティを象徴的に描いていて素晴らしい作品で、岸田國士戯曲賞受賞にふさわしい作品でした。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n0b86f2e4d900



写真引用元:ステージナタリー ぱぷりか 第7回公演「柔らかく搖れる」より。(提供:豊岡演劇祭実行委員会)(c)igaki photo studio



写真引用元:ステージナタリー ぱぷりか 第7回公演「柔らかく搖れる」より。(提供:豊岡演劇祭実行委員会)(c)igaki photo studio



性の多様性という切り口で、上記2作品のように秀逸に描いている演劇作品もあれば、LGBTQ+を描いているにも関わらず、その描き方に賛否両論が巻き起こる作品もありました。
例えば、一昨年前の12月に上演された新国立劇場がプロデュースした舞台『夜明けの寄り鯨』や、昨年2月に上演された東京演劇道場がプロデュースした舞台『わが町』は、どちらもLGBTQ+が登場する作品だったのですが、その描き方に賛否両論がありました[72][73]。
賛否両論が上がるということは、まだまだ性の多様性への描き方が上手く行っていなくて、逆に人を傷つけてしまうこともあるのかもしれません。やはりそこには、LGBT教育が今まで十分に行き届いていなかった点が影響しているのかもしれません。
性の多様性に関する創作を続けて的確なレビューや講評を受けることによって、ますますこういった分野への正しい理解が深まっていくことを望むばかりです。私自身も性の多様性に関しては勉強中で日々精進したいと思います。


【旧態依然とした組織に蔓延るハラスメントと業界転換】

この章では、以下の演劇作品のネタバレについて言及しています。気にされる方は次章以降にお進み下さい。


ネタバレに言及する作品

・世田谷パブリックシアター『無駄な抵抗』
・キ上の空論『幾度の群青に溺れ』


昨年(2023年)は、ジャニーズ、宝塚と日本のエンタメを牽引してきた巨大組織が相次いで窮地に立たされる出来事が起きました
昨年3月、イギリスの公共放送BBCで、ジャニーズ事務所を立ち上げた故ジャニー喜多川氏の性的虐待問題を報じました。それによって、同年4月に、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏がジャニー喜多川氏から性的行為を受けたという告発会見がありました。それによって、ジャニー喜多川氏の性加害が一気に表面化しました[74][75]。
ジャニーズ事務所の社長である藤島ジュリー景子氏は、ジャニー喜多川氏の性加害を容認し謝罪をした上で社長を引退することになりました。そして、社長は東山紀之氏が就任することになり、社名も「SMILE-UP.」に改名し、被害者への補償業務に専念したのちに廃業することが決まりました[76][77]。
つまり、ジャニーズ事務所では以前から故ジャニー喜多川氏による性的虐待が横行しており、ジャニー氏は絶大的な権力を誇っていて訴えることなんて出来ない存在だったため、それが顕在化されない状態になっていたということです。そんな性的虐待が横行する事務所によって日本の芸能界が支えられていたと考えると、非常に胸が苦しくなる思いです。


宝塚に関しても騒動がありました。昨年9月に宝塚歌劇団「宙組」に所属する劇団員が宝塚市内のマンションで自殺しているのが発見されました。亡くなった劇団員の遺族は、労働時間が400時間を超えるなど長時間労働が行われていたほか、上級生からのパワハラが原因で自死に至ったと訴えました。
しかし宝塚歌劇団側は調査の結果、長時間の活動などで強い心理的負荷がかかっていた可能性は否定できないとする一方、いじめやパワハラは確認できなかったと公表しました[78]。
結局、劇団員が自殺した真相は分からないまま時間だけが過ぎようとしています。


宝塚歌劇団内部がどういった組織構造を持っていて、劇団員にどれほどの心理的負荷がかかっているのかは、外部の人間である私は分かりかねますが、少なくともジャニーズ問題に関しては、旧態依然とした組織構造によってハラスメントが蔓延っていたことは否定出来ないでしょう。
ジャニー喜多川氏のような、絶大な権力を持っていた人間から性的虐待を受けて苦しい思いをしても、相手が権力を握った人間だから訴えることが出来ない苦しさと、それが蔓延る組織構造には、そういった性的虐待を容認してしまう、いわば感覚麻痺のような状態もあるかと思います。


昨年11月に上演された世田谷パブリックシアターが主催する『無駄な抵抗』は、まさにジャニーズ問題を想起させるような圧倒的権力による性加害と、それにずっと苦しんできた人々を描く作品となっています[79]。
『無駄な抵抗』は、ギリシャ悲劇である『オイディプス王』を下敷きに、電車が停車せずに通過するようになってしまった寂れた駅前の広場を舞台として描く現代劇です。
この作品の舞台となっている町には、山鳥吾郎という権力者がいました。彼はこの町の人々から慕われていて能力の高い人間で、高齢だがまだ生きています。山鳥吾郎の孫である山鳥文はそんな祖父のことが好きでした。しかし、その山鳥吾郎はかつて山鳥芽衣という娘と内密に性行為をして子供を授かっていたことが発覚します。山鳥芽衣は、最初は山鳥吾郎が優しい存在だと思っていて何をしてきても気を許してしまいます。しかし、子供を授かってしまった時、その子供を自分の手で育てないといけないと思い、産んで孤児院に預けたそうです。
山鳥芽衣は、その山鳥吾郎の行動が明らかに性犯罪であることを知り訴える決意をします。
なんとも心苦しく、酷い話だと思ってしまいますが、これはどこかジャニーズ問題とも似通っています。ジャニー喜多川氏という圧倒的な権力に逆らえず性的虐待を受けていたジャニーズJrは、ジャニー氏が亡くなってBCCが告発するまで声をあげることができませんでした。力を持たざるものが権力者に翻弄され何も抵抗出来ない現状への批判が痛烈になされています
『無駄な抵抗』の劇中では、駅を通過する電車が圧倒的権力者のメタファーとして描かれています。その電車に抵抗して大きな石を置いて電車を横転させようとしても、次々に電車はやってきます。これが、弱き者が抵抗し続けても社会は一向に変化することのない暗喩のように感じられました。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n2ebf8409ae41



写真引用元:ステージナタリー 「無駄な抵抗」より。(撮影:田中亜紀)



ジャニーズ事務所は事実上なくなりましたが、今までジャニーズのファンであった方々がジャニーズを見捨てて、他のアイドルに切り替えることはあるでしょうか。おそらくないと私は思っていて、今まで以上にジャニーズのファンたちは、自分が推していたアイドルを強く推し続けるのではないかと思います。
しかし、そこには一種の危険性があると感じていて、それは昨年7月に上演されたキ上の空論『幾度の群青に溺れ』でも描かれていました[80]。
『幾度の群青に溺れ』は、「ピーネイン」という架空の宗教団体を題材にした物語です。この「ピーネイン」という宗教団体は、世間には知られていない極秘の宗教団体であり、信者は「浄化液」と呼ばれる人の唾液が入ったペットボトルを飲み続けていました。
しかし、「ピーネイン」に酷い目に合わされた人々も一定数いて、彼らは被害者の会を立ち上げて、「ピーネイン」がやっていたように信者を誘拐して尋問をするという行為をしようとするのです。
ここで描かれていることは、「ピーネイン」にしろ被害者の会にしろ、傷ついた感情を癒すために集まってきた人々の集団であり、その感情が度を超えて間違った方向に向かってしまうということです。ネタバレをすると、物語終盤では「ピーネイン」はオウム真理教がやったような地下鉄サリン事件に近いようなことを実行してしまいます。
最初は良い人たちだと思って近づいた団体が、いつのまにか宗教のような状態になってしまうというのはオウム真理教しかり過去にもあった事実なので、それに対して警鐘を鳴らしている作品のようにも思えました。(観劇レビュー:https://note.com/ys17134526/n/n06940dcfdb3e



写真引用元:ステージナタリー キ上の空論 10周年記念公演「幾度の群青に溺れ」より。



今は推し活という言葉も流行っている通り、アイドルでもアーティストでもスポーツ選手でも劇団でも俳優でも、彼らを応援することが生きがいになっているというのは、もちろん素晴らしいことだと思います。私自身も、そういう時代がありましたし、自分たちが応援することによって推しが自分の知らない世界に連れて行ってくれたり、自分が想像していなかった嬉しい知らせを与えてくれたり、ワクワクさせてくれることは沢山あると思います(今の自分の推しは特定の劇団や俳優ではなく、演劇というジャンルそのものである気がします)。
しかし、推し活によって盲目になってしまうと危険は伴うと思っています。何かを好きだと強く推す感情が過剰になって、それを受け付けない人や否定する人に対して過激に反発してしまう時は危険なのかもしれません。
人は皆違う価値観を持っています。自分が好きだと強く思うものが嫌いであるという人だっています。それを客観的に受け入れられる心の余裕も大事だと私は思っています。
そのためには、複数のコミュニティに属して、複数の好きがあると良いのかもしれません。そうすれば、自ずと自分の今の推しや好きが客観視しやすいような気がしています。


また、今回のようなジャニーズの問題が今後起きないためにも、運営する組織自体がアップデートしていかなければいけないと思います。隠蔽された犯罪を持つ組織が提供するコンテンツを楽しんでいたと考えると、享受される側も大変心苦しく感じます。
そうならないためにも、皆が心地よい環境で演劇を始めエンタメを楽しめる社会を築くために、組織を浄化していく必要もあると考えています。


【まとめ】

かなりの長文となりましたが、ここまで読まれた方はいかがだったでしょうか。
以上のことをまとめますと、2023年の舞台演劇の傾向と今後の展望は以下のような内容になると思います。


1.世界へ羽ばたく日本の舞台芸術
少子高齢化に伴う日本の人口減少を鑑みて、今まで地消地産だった日本の舞台演劇を世界で上演して発信すべく準備が進んでいる。そのために、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』など日本国内や海外でも人気の高い舞台作品をロングラン上演することで、日本人の観劇文化を根付かせる取り組みや、外国人にも日本の舞台芸術を鑑賞してもらうことで日本の舞台演劇のレベルを世界水準に引き上げる試みがなされている。

2.2.5次元舞台は演劇産業の主軸の一つに
2.5次元舞台の市場成長を考えると、もはや一大ムーブメントに留まらず、日本の舞台演劇の一つの主軸として機能しつつある。そして2.5次元舞台というジャンルを、今まで演劇産業を牽引してきた多くの企業・団体が好意的に受け入れ、投資・協力していく方向性が窺える。また、2.5次元舞台を中心に活躍する俳優・クリエイターたちが発起人となって、2.5次元舞台以外の舞台演劇を2.5次元舞台の観客に広めるべく様々な取り組みがなされている。

3.増えゆく大劇場、減りゆく小劇場
東京都心の再開発によって、客席500名以上の大劇場が改修工事のため相次いで閉館しているが、今後の2.5次元舞台の興隆を鑑みて大劇場のニーズは増大すると考えられ、東京都心の至る所で大劇場がオープンしている。一方で、建物の老朽化やコロナ禍、昨今の物価高騰によってキャパシティ500席以下の小劇場は相次いで閉館を余儀なくされている。小劇場は、まだ評価の定まらない若手演劇団体が上演出来る稀有な環境であるため、今後の演劇産業の多様性の担保や若手クリエイターの育成を考える上でも早急な対策が求められる。

4.イマーシブシアターの夜明け
ロンドンやニューヨークでは既にメジャーになっている「イマーシブシアター」を上演する団体が増え始めており、2024年3月には株式会社刀が企画・運営する世界初のイマーシブ・テーマパーク「イマーシブ・フォート東京」が開業し、イマーシブシアターがメジャーになると予想される。イマーシブシアターの脚本家や俳優には小劇場演劇で活躍してきたクリエイターが抜擢される事例も多く、彼らの活躍のフィールドを広められるという点でもポテンシャルがある。

5.コロナ禍を経たコメディ演劇の傾向
特にコメディ演劇作品において、昭和・平成時代を駆け抜けたベテランクリエイターほど、コロナ禍による長い自粛生活によって溜まったストレスや、昨今の厳しいコンプライアンス遵守の窮屈さに耐えかねて、コンプライアンス違反の体を張ったドタバタコメディの作風が特徴的である。一方で、ダウ90000に代表されるZ世代を中心とした若者が楽しむコメディ作品は、体を張った作風は求めず、ウィットに富んだ会話で人を笑わせるコメディ作品が人気である。

6.生成AI・メタバースが与えた演劇への影響
ChatGPTに代表される生成AI技術の驚異的な進化速度によって、多くの人々が自分の仕事を代替されるのではないかという恐怖を抱いているが、演劇業界のクリエイターの多くも同様の危機感を感じており、その危機感を反映した演劇作品が生み出されている。一方で、急速に進化する最新技術との共存の仕方を模索する演劇作品も登場しており、今後ますます最新技術への感度とそれにフィットした演劇創作の試行錯誤が求められる。

7.性の多様性理解と演劇創作
性の多様性理解に関する日本の現状は、世界と比較してLGBT教育の遅れなどから法整備が遅れている。しかし、演劇業界においてはLGBTQ+を題材とした作品が数多く上演され、多くの日本人がLGBTQ+の理解を深めるための一役を担っている。一方で、LGBT教育の遅れなどから演劇創作者の中でもLGBTQ+に対する描き方に賛否両論が巻き起こる事例もあり、舞台芸術に対する適切なレビューや講評が重要である。

8.旧態依然とした組織に蔓延るハラスメントと業界転換
ジャニーズ問題に代表されるように、圧倒的な権力者による性加害やハラスメントなどが水面下で行われてしまうような旧態依然とした組織構造が顕在化し始め、それによって翻弄される弱い立場の人間を描く演劇作品も登場している。今後の日本のライブエンタメ業界を浄化する上でも、そういった性加害とハラスメントは撲滅していく必要があると同時に、それに伴って生まれた負の感情が宗教化しないように、自分の感情を客観的に捉えられるようなセルフマネジメントも求められる。


舞台演劇は、その時代の世相を反映して上演されるものも多く、演劇を観劇したり、その演劇作品の感想、レビュー、劇評を読むことで今の社会情勢を深く理解出来たりします。かつて学校で習ったことを必ずしも正とはせずに、今の時代の潮流に触れることによって価値観をアップデートしていくことは非常に重要だと思っていて、そういった意味で観劇は私にとって特別な意味があります。
性の多様性や性加害、ハラスメントに関連する内容は、学校の授業で習ってきた訳ではないので、こうやって演劇として上演されて意義を訴えていくことは重要だと思いますし、生成AIやイマーシブシアターといった最新のトレンドを理解することによって、ますます世界に羽ばたいていけるような日本の舞台芸術が生み出されていくと思います。
それらを支援するためにも、私は今年も観劇を続けていこうと思いますし、レビューを書き続けていこうと思います。
長くなりましたが、2024年も日本の舞台芸術界隈において、素晴らしい一年となりますように見守っていきたいです。

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