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ダニエル・ベル

ダニエル・ベル

ダニエル・ベルのThe Cultural Contradictions of Capitalism が出てきた。大学院生の時にゼミで読んだ。ポストモダンの社会学的説明はベルからも考える必要があるでしょう。

リオタールの『ポストモダンの条件』もダニエル・ベルのポスト産業社会論に着想を得ていることは指摘しておきたい。ポストモダンが広まったのはリオタールのフレドリック・ジェイムソンによる英語版序文。マ

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ポストモダンと日本の思想のメモ

ポストモダンと日本の思想のメモ

吉本隆明と80年代についてのメモ

 80年代はファッションとして思想に連続したものがありそうだ。それはポスト68年としての消費社会であろう。吉本隆明にそれは顕著。
 戦後思想とポスト68年の思想というか70年代以降の思想に断絶線を引くことは意味があろう。それは加藤典洋『ふたつの講演』を読んで思いを新たにしたことである。
 つまり戦後思想は第二次大戦の戦争体験とその言説を中心にして構成されていたと

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カナダ大使館

カナダ大使館

10年前にカナダ大使館に招待された。

私の謎 柄谷行人回想録⑫のメモ

私の謎 柄谷行人回想録⑫のメモ

私の謎 柄谷行人回想録⑫のメモ

柄谷行人は、ソシュールの議論も援用しながら、交換やコミュニケーションから価値形態論を考えていたということか。コミュニケーションは現在では情報が交換されるということになるだろうが、実体というよりもイメージが交換されるので、それはある意味で吉本隆明の『マス・イメージ論』からというかポストモダン論とも近接している。ポストモダン論は、リオタールは知識の問題を扱っていた訳で

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今日の読書『フーコー・コレクション』『群像』など 20240314

今日の読書『フーコー・コレクション』『群像』など 20240314

新書を書きつつ、フーコーの論考「科学の考古学について」から言説形成体が気になって読んでいる。今月の『群像』は古川日出男を読みつつ、工藤庸子の大江健三郎論を読む。先月の『群像』の蓮實重彦インタビューも読まないと。

パフォーマティヴな言語行為についてのメモ

パフォーマティヴな言語行為についてのメモ

今日の研究。
パフォーマティヴの理論と言語行為論は、ジュディス・バトラーが身体をめぐる行為(行動)にまで広げていることと関連して言語が実践の問題として応用されているということも含めて理解されるべきであろう。

バトラーは身体性、物質性ということを強調しているが、『ジェンダー・トラブル』はむしろ言語、言説という上部構造の問題をパフォーマティブに実践するという方法ではなかったかと思われる。

私は、修

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図書新聞(3148号)の書評(原山哲氏)

図書新聞(3148号)の書評(原山哲氏)

2014年のFacebook

今日読んだ図書新聞(3148号)の原山哲氏(フランス社会学)の書評が秀逸だった。詳しくは読んでもらうとして、ブルデューの界の理論を一元的階級構造から説明していて目から鱗。つまり界とは階級分化された集団の謂でもあったのだと。要するに集団の相互行為の痕跡として現れるということか。

学生時代の大学院の社会調査論の授業で社会移動論が取り上げられ、階層移動が出来る社会が開か

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マクルーハンから視聴覚文化へ

マクルーハンから視聴覚文化へ

マクルーハンはメディアとの関係から時代について考えていた。哲学者、アンリ・ルフェーヴルは、「空間」の問題を「空間的実践」「空間の表象」「表象の空間」という概念から考察していて、ここで「空間的実践」を視覚優位の近代社会における「知覚されるもの」「知覚された空間」と認識していたが、マクルーハンは現代(1960年代)を電気メディアの時代と捉え、この時代から「グローバル・ビレッジ」という新しい部族村につい

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ノート 大阪万博と日本の前衛芸術家たち 戦後文化の歴史社会学その1(吉田秀雄記念事業財団助成研究の別バージョン)

ノート 大阪万博と日本の前衛芸術家たち 戦後文化の歴史社会学その1(吉田秀雄記念事業財団助成研究の別バージョン)

2017年のFacebookの投稿から。

1970年の大阪万博において芸術家が多く参加していたことはよく知られている(例えば、椹木野衣『戦争と万博』)。ここでは多くの芸術表現が見られた。音楽に関しては、戦後日本を代表する前衛音楽家が多数参加している。

そして万博における芸術家たちの活動を考察する上で、日本政府館に音楽作品を提供し、鉄鋼館のスペースシアターの前段階で構想され結局は頓挫した「大原立

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ヘリテージ『ガーフィンケルとエスノメソドロジー』のメモ

ヘリテージ『ガーフィンケルとエスノメソドロジー』のメモ

ガーフィンケルに関する書籍を読む。ガーフィンケルが在学したハーヴァード大学の社会関係デパートメントは、いくつかの社会科学分野が合併したものだった。パーソンズの『行為の一般理論に向けて』はそのような環境の中で書かれたということ。

John Heritage.Garfinkel and Ethomethodology.1984.第2章、7ページ

ゴフマン『行為と演技』についてのメモ2

ゴフマン『行為と演技』についてのメモ2

昨日の続き。
ここでゴフマンが「アメリカの中流階層」と言った時に問題もある。想起されるのが、ハーバーマスの公共圏への批判としてのナンシー・フレイザーの「サバルタン公共圏」である。それは、ハーバーマスの公共圏はブルジョアに限られていたという批判。
ここからひとびとの行動様式から、集団が形成される空間へ問題がシフトすることになる。

ゴフマン『行為と演技』についてのメモ

ゴフマン『行為と演技』についてのメモ

現在近くにあるのが誠信書房版のゴフマン『行為と演技』(石黒毅訳)なのだが、最初に読んでいた頃から気になっていたのは、ゴフマンは相互行為の記述において「アメリカの中流階層」というように範囲を限定して分析していることである。これはゴフマンの博士研究が、シェットランド島のフィールドワークだったのと関係があるだろう。つまり地域の集団を分析単位としていて、その特徴の範囲と説明の限界も織り込まれているというこ

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鶴見俊輔とレイモンド・ウィリアムズ

鶴見俊輔とレイモンド・ウィリアムズ

ノート
鶴見俊輔とレイモンド・ウィリアムズ コミュニケーションとコミュニティーについて
著書『限界芸術論からの文化研究』第1章 限界芸術論の文化社会学 3節 鶴見と文化研究 4大衆文化と日常を考えるために より

鶴見のコミュニケーション論は、例えば市井三郎によれば記号や言語とまとめられるものであり、ウィリアムズのような「コミュニティ」とのつながりは強調されていない。しかし鶴見はロバート

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