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自分らしい文章を書けない理由。

毎日noteを書き続けているわけですが、気にくわない文章・内容の日が多いんです。

本当なら公開したくないレベル。しかし、毎日更新すると公言しているわけなので、気にくわなくても公開しなければ継続できません。

あまりにも気にくわないときは、ctrl+Aを押して、deleteしちゃっていますけどね。まあ、稀です。

ほとんどの記事は「せっかくここまで書いたんだから無理やりでも公開しちゃおう」となってしまうわけですよ。サボりマン。

内容がイマイチなのはブログだと許されませんが、noteに関してはアリなのかなと思っています。「多様性」の意味を都合よく解釈しているだけなんですけどね。

ただ、文章が気にくわないときはイライラしてしまいます。書いているのは自分なんですけど、どうも自分らしくなくて。

これは感覚なんですけど、どんな内容の記事を書く場合でも、リズムよく書けるときは「自分らしい」文章を書けているつもりです。

それが最近はほとんどない……。

過去のことばかり振り返ってしまうのはよくないことでしょうけど、昨年の6・7・8月が一番文章を書いていて楽しかったような気がしてなりません。


……やや過剰な発言をしていたようですが。w

この頃の文章は個人的に好きです。自分の書いた文章に好きとか言うとナルシストなのかと思われそうですが、好きなんです。

自分の思ったことをストレートに。それでも簡潔に言語化しているのがこの頃。今は言語化するところでフィルターがかかっている感覚があってモヤモヤしているんです。

やっぱり、知らない人が集まる場所って落ち着きます。
埋もれられるから精神的に楽なんですよね。
そりゃ、誰も来ない山奥に行けば完全に一人になれます。いや、独りか。
でもね、一人と独りって何か違うんです。誰かいて欲しいけど誰もいて欲しくない。そんなどうしようもないわがままな感情。
そんなわがままを叶えてくれるのが、人がたくさん集まるカフェやショッピングモールというわけ。スタバやマック、イオンといったところですね。
そこで何かをするというわけでもありません。ただひたすらボーっとしています。
それだけでも精神的な体力が回復する感覚なんです。これは大切。
【引用】過去のブログ記事(https://gen-fu.com/tokai-hitori/12709/


今、この文章を書けるかと言われたら書けないでしょう。

誰かいて欲しいけど誰もいて欲しくない。そんなどうしようもないわがままな感情。

我ながら自分の感情を上手く言語化しているな、と思います。本当にその通りですからね。

なぜ今は自分の感情を言語化できないのか……?リズムよく文章を書けないのか……?


おそらく、「欲張りすぎている」からでしょうね。


もっと読まれるような文章を!もっと検索に引っかかるような文章・内容を!

そんな感じで「文章」に対して欲を出している。


もちろん、ブログを「事業」としてやっているので欲張らないといけません。

しかし、自分の能力が及ばないのに欲張るのはいかがなものかと。

(通算2287打席目で人生初ホームランを放った)日本ハムファイターズの中島卓也選手が、毎打席ホームランを狙って打席に立ったらどうでしょう?

力がないと馬鹿にしているわけではありませんが、おそらく打率はみるみる下がって、得意の俊足も活かせず、軽快な守備もあまりの打撃不振のせいで起用されなくなり、戦力外通告を余儀なくされることでしょう。

中島卓也選手はホームランを狙うというより、なるべく相手投手に球数を投げさせ、単打や四球で塁に出て、盗塁し、軽快なショートの守備でチームに貢献する。それが能力なんだと思います。


そのうえでホームランを狙いたきゃ、トレーニングをして力を付けるしかありません。

中島卓也選手は、今のままが好きですけどね(笑)


大好きなプロ野球の方向に話が行ってしまいましたが、わたしは能力がないのにホームランを狙い、ヒットを打てなくなったせいで精神的に疲れ、打席に立てなくなった。そういう状況下にいるようです。

……というか、文章は好きに書いていりゃいいし、それを1人にでも読まれたら万々歳だし、その中で共感してくださる方がいたらそれはもう歓喜の舞。

ヒットとかホームランとかそういうものではなく、打席に立って1人でも姿を見てくれたらいいし、1人でも声援を送ってくれたらもう最高。


なーんだ、そうだったのか。

自分でこの文章を書いていて、自分で気づかされました。

文章っておもしろいよね。


🌞末次ゆう(@ysgenfu

いつもありがとうございます。 また読みにきてくださいね(^^)