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人間は空の上でコンソメスープを飲める日が来るんだよって、1000年前の人に言ったらなんて返ってくるんだろう

飛行機の機内で飲むコンソメスープが、他のどのコンソメスープよりも好きだ。

初めて飲んだ時まだ私は小さかった。飛行機爆酔いの果てにCAさんに勧めていただくまま飲んで、染み渡るような優しい暖かさと少し強めの塩分でみるみる元気になったのがきっかけだったと思う。以来コンソメスープというものをとても好きになった。

なんならスーパーでJALのコンソメスープを買って家で飲んでたこともあった。が、やはり身動きの取りづらい機内で紙コップからいただくあのコンソメスープがことのほか美味しく感じる。お祭りの焼きそばみたいに場所とセットで美味しいものって少なくない気がするが、私にとっては機内のコンソメスープもその中に入るのだろう。

さて、なぜ急に旅情エッセイのようなことを言い出したかというと、こたび遅めの夏休みをいただいてかねてより憧れていた屋久島に旅行に行ってきたのだ。その道中の機内で飲んだコンソメスープに改めて愛着を覚えた次第である。

なぜか昔から屋久島に憧れを持ち続けていた。スピリチュアルな理由とも自然への憧憬ともジブリへの愛とも少し違くて(とはいえそれらもそれぞれにまんべんなくある)、縄文杉に向かう10時間の登山って一体どんなんなっちゃうんだろうと思ったのだ。そんなに素晴らしいものを見てみたい、若いうちに行かないと、ああでも若いうちっていつまで?そんなことを思いながら過ごしていた。

「いつか」という概念は遠いようで、思い立った瞬間呼び寄せることもできる。カレンダーを眺めながら、繁忙期を過ぎた頃シルバーウィークを迎えることがわかった今年の春に思い立ってしまったのだ。そうして早割のチケットを勇気を出して買い、ガイドツアーに申し込み、数ヶ月かけてゆるゆると体を鍛えながら屋久島に向かった。

結論から申し上げると素晴らしい場所だった。単に豊かと言うにはあまりにも膨大な、気が遠くなるほどの緑、緑、緑。その一つ一つが異なる色や姿を持っているのに、ひっそりと共生している。見上げれば雄大な山々、眼下には広い海、そして一番心ときめいたのはあらゆる様相の豊かな水だった。滝、雫、湧水、川、沢、雨、どこもかしこもなんだかみずみずしくて物凄く気持ちがよかった。歩いても車に乗っててもひたすら良い気持ちでいた。

そして挑んだ縄文杉トレッキングは、たしかにものすごく大変ではあったものの絶対にやってよかったし、自分の体はこんなふうに山道を動けるんだ…という驚きがあった。自然たちは感動を越えてもう畏怖に近くて、岩も木も水もとにかくもうひたすらかっこよかった。たくさん神様がいそう、と思った。

けれど、一番感じさせられたのは「人間」の存在だった。それも、この先出会うことのない人たちである。山道に向かうまで実に8.5㎞にも及ぶトロッコの線路を歩くのだが、一体こんな深い山にどうやって?と思うくらい果てしない長さの線路は大正時代から作られ使われていると言うのだ。そして、屋久杉たちは切り株や試し切りの跡も多く、聞けば江戸時代に屋久杉を切って暮らしていた人たちの仕事の跡だという。山道を歩くと心臓破りと言って差し支えない急な階段が続くが、よくよく見ると歩幅は小さめに設定されていて優しい。途中で新しい道が作られていて、倒れてしまうおそれのあると判断された大きな大きな杉を迂回すべく作られたルートだったりして。ガイドさんのお心遣いやホテルに用意してもらったお弁当も、人の手の温もりだ。

あぁ。たくさんの人に、時間を超えてこの山道を歩く思い出を作っていただいた、と思った。自然の豊かさはもちろん、暮らしの糧の跡や、訪れる人々への思いやりを感じてありがたかった。屋久杉というのは樹齢1000年からの木の呼称なのだそうだ。縄文杉にいたっては諸説あるが樹齢7000年近いらしい。
私は1000年生きることはできないけれど、この木々が見つめてきた多くの人々の足跡の先に今日があるんだと思った。自分が人間であることを良くも悪くも思うことがあるが、少なくともこの山の中で、私は確かに小さな人間であった。

帰りの飛行機でもコンソメスープを飲んだ。相変わらず美味しいし、筋肉痛の体に染み渡る。よく考えれば空の上で飲むコンソメスープなんて、不思議だ。当たり前のように飲んでいるけれど、1000年前には当然そんな出来事はないわけで…これもまた、沢山の人々から受け継がれたものであることよ、と味わった。

引き寄せる未来、訪れる未来、飛び込む未来。さまざまな未来が続く今日からの日々、せめて優しい人でありたいと改めて思った。

コンソメスープ、大好き。

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