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現在、私の拗らせは改善されて、部屋を整理し、頭の中を整理する目的で、この文章を朝から書いています

おはようございます。

今日、模活はお休み、文章を書いてから、絵を描こうと考えています。
最近、体が重く、気持ちはそれほど落ち込まず、季節の変わり目、暖かくなってきて、寒暖差、雨による低気圧が主な原因だと思われます。
今日は、昼から父と郊外のリサイクルショップに車で出掛けて、棚を探す予定です。

Seriaで購入したパズルボード

作り終えたプラモデルを飾る棚、アトリエに設置しました。Seriaで880円(税込)。ちょうどいい塩梅です。
飾る場所が手狭になってきて、棚を置いたらいい感じだったので、寝室にも棚が欲しくなりました。寝室はルンバで掃除をするので、倒れないように、パズルボードではなく、4段の本棚が欲しいです。Amazonで検索したら、2600円以下でいい感じの本棚があったので、そちらを購入するかも知れません。

季節の変わり目、棚を買って模型の整理、昨日はCDアルバムの整理をしました。音楽CDを入れ替えてから、ジャケットの色に揃えて棚に収納。スッキリしました。
今の私は、新しい季節を迎えるにあたっての準備期間、整理をする時期なのかも知れません。

寝室の棚の上を片付けて、恐竜のプラモデル達を飾りました

最近、部屋に入ってくる陽光が明るくなり、プラモデルフォトが撮りやすくなりました。冬の時期は、家の中の日照時間が短く、光量が低いので明るい写真が撮りづらいのです。

BANDAIのポカブ
アオシマのギラン・ドウ
マスターボックスのハンナ
Seriaの日本の城

季節が変わっていく、それは、光が変わっていくことを意味します。

年始年末、私はプラモデル作りに対して、拗らせていました。言ってしまえばスランプのようなもので、どのように自身の拗らせを修正していけばいいのか、考え、取り組み、文章を認めました。
現在、私の拗らせは改善されて、部屋を整理し、頭の中を整理する目的で、この文章を朝から書いています。

近いうちに粘土で模型作りをしたいと考えています。ウッドクラフトを作ってみて、プラモデルにはない味わいを楽しみ(木の温もり、匂い)、私はプラモデルだけではなく、模型作りをしているのだな、と再認識しました。私にとって模型制作がホビーからアートにシフトしていく気配を感じていて、アートであるならば、より自分の世界を表現出来る手法、つまり、ゼロから作り上げる模型制作がしたくなったのだと思います。
自分で粘土を捏ねて、造形をしていく。多分、ヘンテコなモノになるでしょう。このヘンテコさを楽しみたいのです。
調べてみたら、100円ショップで粘土細工に必要なツールは揃いそうですし、コストもあまり掛からないようです。プラモデル、ウッドクラフト、粘土。色々と取り組んで、楽しめれば良いと考えています。

棚が欲しくなったのは、自分で作った粘土の模型を飾る場所が欲しくなった、というのもあります。私の中で、粘土細工はアート作品になります。それはホビーと分けて飾りたい。また、飾る場所を増やせば、心置きなく積みプラを作って飾れます。ドシドシ作れるわけです。

話は変わり、SNSの反応について。

現在、私は、X、Instagram、スレッズ、pixiv、note、ミラティブをやっています。
音楽に関しては、SoundCloud、Bandcamp、YouTube、Spotify、アップルミュージックなどにアップしています。

1番反応が薄いのはXで、プラモデルフォトをアップしても反応がなく、正直、つぶやく気が起きません。タイムラインを見る分には、暇つぶしになるし、情報収集になります。
pixivでは鉛筆画をアップしていて、そちらも反応は乏しいですが、然程、気にしていません。私にとって、鉛筆による模写はアート寄りだからです。
スレッズは、めっきり反応が減りました。元々、スレッズはプラモデルフォトをアップしているInstagramに連携させて、副産物というか、制作報告や、買ってきたプラモデルを写真に撮って載せています。Instagramのプラモデルフォトが完成作品であるのに対して、完成させるまでの日々の営みを公開している感じです。
まぁ、スレッズは、今後も模活日記的に続けていこうと考えています。

ミラティブで配信をしていて、こちらもめっきり、リスナーが減りました。配信は、朝、模型作りのついでにしているので、誰も来なくても構わない感じです。どうして配信をしているのか、私のマインドをオープンにする為です。家の中で1人、黙々と過ごすだけではマズイのではないか、と考えていて、毎朝配信をするのではなく、気が向いたら配信をするようにしています。
心がオープンな時もあれば、クローズドな時もあって、どちらも大事だと思います。

音楽関連に関しては、私が制作している曲がアンビエントミュージックで、ウケが良くないのは分かっているので、反応が少なくても気にしていません。

今、noteで書いた文章が1番反応があります。このことに私は驚いています。何故ならば、私はモデラーだけに向けて文章を書くのを辞めたからです。モデラー向け、というのは、プラモデル関連、特にプラモデル制作、プラモデルキットやツールのレビュー、購入報告などで、私はそれらをメインに書かなくなりました。
写真、音楽、絵などのクリエイトと、模型制作を同列的に考えて、私の中にある創作思想を主軸にして書くようにしました。
それは、私の中で、プラモデル作り、延いては模型制作が、ホビーではなく、アート寄りになったことを意味しています。

アートとは何か、私的には、独創的で、他者ではなく自分の内にあるテーマ、世界を作品を通じて表現することです。
この自分の中にあるテーマや世界を掘り下げ、内面性を深めていくことで、普遍的なものを扱うことになるだろう、と私は考えています。

内面世界。

人それぞれに生きている世界があり、内面があります。例えば、喜怒哀楽といった感情があり、精神構造における認識や理性があります。ドキドキそのものは人類に共通するものだと思いますし、生きている辛さ、喜び、虚無などの原始的、或いは、原理的なもの、そのものは普遍的だと、私は捉えています。
恋をする。その恋の相手、恋の仕方は人それぞれでも、恋という状態、恋そのものにそれほどの差はないのではないか、美味しいものを食べてハッピー、とか、その幸福感、気持ちそのものは。

noteの私の文章は、分かりやすく書こうとか、ウケることを書こうとか、そういう風には書かれていません。
まず、コンテキストを意図的にズラしたり、変な繋ぎ方にしています。これは、私の考え方や在り方の性質であり、つまり、私が変わった人間だからでしょうが、分かりやすい文章をあまり面白く感じず、自分がしっくりくる文章を書こうとすると、こうなるだけでのことです。
ただ、批判は控えよう、とは考えています。批判をせずとも、批判を内包させて文章を書くことが出来ます。これは「文章内のメッセージ性を表立って書かない」という手法です。従って、これをやると、どんどん分かりにくく、文章が長くなる傾向があります。

私のnote記事、モデラー向けを辞めて、ウケが良くなりました。では、私は誰に向けて文章を書いているのか、その時々で違うし、ほとんど考えてもいませんが、小林秀雄さんの「考えるヒント」に近いかも知れません。
アートについて考えることは、私の場合、在り方について考えることで、例えば、自分の在り方、世界の在り方、人生の在り方なども含まれます。在り方に分かりやすい答えなどありません。在り方とは多層的であり、多様性を許容しつつ、1つしかないものです。
「私」は多層的で多様的ですが、1人です。様々な私が心の中でひしめき合い、パラレル的に在るのかも知れませんが、私の自意識は継続的に在って、現世界で私の存在、表象は1つです。
例えば、作品とは表象です。様々な解釈、批評が可能ですが、作品自体は1つです。

写真やプラモデルに関する記事で、私のようなアプローチで書く人をほとんど見掛けないので、やはり、私は変わり者なのでしょう。私からしたら、どうしてこのようなアプローチで考えないのか、謎です。
写真と言えば、カメラ、構図などのハウツゥ、写真の楽しみ方、などで、プラモデルについては、キットやツール、制作日記が多いのではないでしょうか。
写真やプラモデルをホビーとして捉えれば、これらが妥当であり、真っ当なことだと思います。なので、ホビーではなく、アートとして捉えてしまう、というのが、そもそも、ややこしく、面倒なのでしょう。
そして、私は、ホビー的な在り方を卑下していません。本来、私はプラモデルをホビーとして楽しんでいました。ホビーは気楽でいいな、ぐらいに考えていました。しかし、私の中で、プラモデル作りが模型作りになり、私にとって、模型というのは、アートだったようです。
例えば、建物をアートとして見る。ロダンの彫刻はアートでしょう。ロダンの「考える人」をホビー作品として捉える人は稀有で、模型とは、立体作品、もしくは、立体そのものであり、プラモデル作りを1年ちょっと続けて、立体の在り方、模型の在り方が、私の中で、今までと変わりました。公園の彫刻作品をマジマジと見る、なんて、プラモデル作りをしていなければしていませんし、あまり興味もなかったでしょう。今は、街の中に置いてある彫刻やオブジェを興味深く見てしまうのです。

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