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人の感受性がうらやましい

感受性が強いと悩みが増える気がする。

私は感受性が強いと言われたこともあるし、多少は強いのかなと自覚している。だから自分が感じたことに関して誰のためでもなくこうしてnoteにわざわざ残そうとするのかなと思う。

人に話すことですっきりする人もいるのかもしれないけれど、私がnoteに書いているようなとりとめのないことって誰かと話すきっかけもないし、作って話したところで相手が返答に困るだろう。

いきなり心の奥底で渦巻いているどす黒い感情とか、うらやましさとか、自分の心情とか語られても、ねえ。

だったら他愛もない天気の話とか、昨日見たテレビ番組の話とか、美味しいグルメの話をしている方がよっぽど健全だ。

でも、やっぱりとりとめのないことを書きたくて、自分と向き合いたくてnoteを書いている。読むのも好きだ。


人の日常に対して興味はないはずなのにnoteで書いている誰かは何を感じて日々過ごしているのだろうなんて思いながら読み漁る。なんだか矛盾しているようだけれども。

人の感受性に興味があるのかもしれない。そして、自分にはない感受性をいいな、うらやましいなと思うことがある。

いや、正しくは自分の感受性を巧みに言葉で表せる人のnoteに私は圧倒されたいのだ。

SEOを意識した誰かの役に立つブログを書くことにつまらなさを感じていた私は真っ白で自由に書けるnoteが心地よいと思っている。とりとめのないことを書いても許される安心感みたいな感覚に寄りかかっている。

いろんな人の感受性の集まりがぎっしりつまっているnoteの世界は不思議と苦しくない。普通はこれだけいろんな意見や思いが載せられていたらお腹がいっぱいになってしまうだろうに。

そんな私もnoteという感受性の海でぷかぷか浮いているひとりの物書きとして存在していたい。


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書いているとエネルギーを使うのか、甘いものか揚げ物が欲しくなるんです。 健康を害さない程度につまみたいと思います。