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『記憶を語る,歴史を書く』刊行記念:「オーラルヒストリーの入口で」②

(①はこちら


『家(チベ)の歴史を書く』とのつながり

四竈 ここから前著の『家(チベ)の歴史を書く』(ちくま文庫)の話をしたいと思います。

朴沙羅さんは社会学者であり、歴史研究をされていて、その立場から本を書かれています。『家(チベ)』は、ご自身の家族の話ですよね。1人1章分ずつ、こってり話を聞いていって、最後にその話の中に出てくる済州島に、答え合わせじゃないですけれども、確かめに行くっていうような章で幕を閉じている。非常におもしろい本だし、読んでいくうちに、何回も感動しちゃうような、ちょっとウルッとくるような場面もあったり、くすっとくるようなこともあったりする。すごくいい本なんで、もし手に取られていない方は手に取ってほしいんですが、今回の新刊とも密接な関係があるわけです。
 というのも、両方を読むと朴沙羅さんがインタビューを通じて何をしたいかが、よくわかると思うんですね。『家(チベ)』の方が具体的な生活史の本だったとしたら、『記憶を語る,歴史を書く』ではそれを理論的に、方法論的にすごく詳しく解説されている。インタビューの内容を証言として、あるいは史料として、どんな意味で使えるのか、と。だから合わせて読むと、相乗的に楽しめますよ、ということがまず一つです。

朴沙羅 ありがとうございます。

四竈 そのうえで、『家(チベ)』について僕が読者として感じていたことをいうと、すごくおもしろい、生活史・歴史をまとめた本でもあると同時に、なにか過剰さのようなものも感じる。言い換えると、なんかやっぱり社会学者の本なんだなって言うことを終始感じさせる部分があるんです。昔の話を聞いて、それを歴史として書いていくっていうことにとどまらない。もちろん序章で方法論についてまとめていますけど、それに留まらず本文の記述でも、それがどういう意味なのかというかたちで立ち止まって、反省的に書かれているんですよね。
 文庫版の117~118ページでは、こんなことが書いてあるんです。ある事件について、伯母さんに聞いたんだと。聞いてみたものの、けれどもなかなかそれについてストレートに欲しい答えが返ってこない。そのとき、朴沙羅さんは、そこには5つの解釈がありうると考えた、と。〔〕で補足しつつ、箇条書き風に引用しますけど、

①「この人はきっと、〔その事件について〕自分には話したくないのだろう」
②「事件について覚えてないんだな」「たいしたことは起こらなかったのだな」
③「この人は何らかの虚偽意識を持たされている〔ので、話せない〕」
④「私の問いそのものが〔もしかしたら〕間違っているのではないか」
⑤「事件を体験し覚えているけれども〔それについて〕決して語らない」

『家(チベ)の歴史を書く』117~118ページより

 今回この本を読み返してみて、はじめて読んだときの感想をあらためて思い出したんです。事件について語られないことの解釈って、こうして5つの可能性が示されていたけれども、どうやって導かれたのかなって。そう思ったんですね。
 加えて今回もう1つ思ったのは、この5つが導かれる道筋みたいなものを、もう少し詳しく示したいっていう思いがあって『記憶を語る』を書くことになった、そんな流れがもしかしたらあるのかな、と。

朴沙羅 ありがとうございます。そうですね。この5つしか挙げてないんですけど、もしかしたらもっとあるかもしれないですよね。私が考えて、まあ5つぐらいこの場合だったらあり得るかなというものであって、一般化可能なものではないし、具体的な先行研究に基づいているわけでもありません。ただ、②③④に関しては社会調査なり、社会調査の方法論上で議論がされてきたところだと思います。たとえば『記憶を語る』の第3章、あるいは岸政彦先生の『マンゴーと手榴弾』(勁草書房)ではもっと詳しく書かれていますが、たとえば聴き手から見て、これは差別ではないかと思っても、相手が「差別されたことはありません」って言ってくることはあります。

四竈 うん。

朴沙羅 で、これにどう答えるかっていうのが、差別問題や植民地支配、戦争や虐殺、そういった不正義に関わる調査をしている社会学者たちのなかでは、避けて通れない問題だったはずです。四竈さんが本から引いてくださった中で、①はおそらく、最初に思うことですよね。「この話は私には話したくないのかな」と。私の場合は、これが一番多かったです。私ではなく別の、もっと付き合いが長かったり深かったりする人には話しているという場合が、一番多いと感じます。⑤はなんていうのかな、こちらで思いをめぐらしてみたというものです。②③④、特に②と③は割と議論されてきたことです。「差別はされたことがない」という人に対して、でもこちらから見たら「あったんじゃないか?」と思う場合、どういうふうにその回答を扱うのがいいのかというのは、難しい問題です。そのときのトピックにもよるし、相手とのやりとりにもよります。でも、社会調査のなかで、③の「虚偽意識を持たされている」と批判することって、かつてはありがちなことではあったと、批判されていますよね。

四竈 そうですね。専業主婦をめぐる論争とか、最近だと政党の支持層についての話題も連想しますが。

朴沙羅 それに対して、②を提案する。あるいは「主観性」というあの謎の言葉は、この③番にも②番にも行かないようにするためのタームなのかもしれません。虚偽意識ではなく主観性って言えばいいわけですから。

四竈 なるほど、そうですね。

朴沙羅 でもありがちなのは、①とか④の方かなと思うんです。調査者が変な問いをすると答えてもらえないし、変な問いをする人に大事なことを話したくないと思われるかもしれません。①かつ④みたいな状況ですね。そして、語り手たちが、その人たちなりの表現でたくさん表現しているのに、単にこっちがその表現を知らなかったり、慣れていないので見逃したり、気がつかなかったりするだけかも知れません。そういうことはけっこう多いんじゃないかと思うんです。カロリン・エムケの『なぜならそれは言葉にできるから』という本が、みすず書房から出ましたよね(2019年)。

この本を『家(チベ)』の原稿を書いていたときに読めていたら、引用できたのにって思いました。いろんな体験をしてきた人たちは、それをその人たちなりの言葉で喋っていたり、表現しようとしたりしているんだけれども、受け取る人がいないと、表現されなかったり、表現したところで誰も気がつかなかったりします。私自身も『記憶を語る』の第4章に出てくる伯父に、「就職差別はありませんか?」って聞いたら、「んなもんあるか」みたいに言われました。でも体験したことを聞いてみたら「それ就職差別やん」と思ったんですね。それは、私が思っている差別と、向こうが思っている差別が、違うからなんですね。

四竈 そこですよね。差別問題の端的な難しさ。

朴沙羅 私にとっては差別って日常生活のなかの異常事態で、だから「これが差別だ」って言える。けど、伯父にとっては差別こそ日常で、差別されないとしたらそっちが異常事態でした。その違いがあることに気が付いてなかったことは、書かないといけないと思いました。

四竈 書かれるべきことだったと思います。

朴沙羅 だから、問いが間違うときって、調査者にとっては恥ずかしいことなんですけれど、どうして問いが間違ってしまったのかを書くと、それは相手について、あるいはそのときの話題について、この場合だと差別について、情報を足せるんです。
 ちょっとややこしいんですが、同時に、私個人の話なんてどうでもいいんですよ。勘違いして恥ずかしかった、なんて話はmixi日記にでもこっそり書いておけばいい。そうじゃなくて「どうしてあの問いは相手にとって理解不能だったのか?」とか、あるいは「どうして相手がすでに表現していたことを、私は見逃したのか?」とかが大事です。聞き逃した状況や、聞き逃しが生じた原因について調べていくと、その問題がどう変化してきたのかについて、もうちょっとわかることがあります。そして、その変化の過程を反省的に追う作業は、歴史学ではやりにくいだろうなと思ったんです。相互行為を書くのは歴史学のメインの仕事ではないでしょうから。

四竈 研究会でもその分業は話題になりましたね。

朴沙羅 あの人たちは、あるいは私たちは、いったい何をしているのかという相互行為をできる限り細かくみていって、そこからもういっちょう情報を出していきましょう、みたいなやり方は、社会学の方が得意だと思います。だから『家(チベ)』が過剰だったり、歴史の本っぽくないとしたら、たぶんそういうことだと思います。インタビューを聞いて、たとえばこの背景はこういうことで、このとき話されてるこの事件はこれで、と肉付けしていくっていう方法は、『記憶を語る』でも引用した大門正克さんが『日本の歴史15 一九三〇年代から一九五五年 戦争と戦後を生きる』(小学館)でやられたことでもあります。でも、そのときに大門さんは、インタビューしたときの具体的なやりとりまで分析に含めてはおられませんし、調査しながら当初の問いとは異なった問題が出てきたとしても、そういうことは書いておられません。
 調査プロセスを振り返りながら、インタビューで話されたことを分析して、かつて起きたこのことはこうだ、それをいま思い出すとこうだ、このずれが生じたのは、私とあなたの間でこのような違いがあるからだ、昔と今とでここがこんなふうに変わったからだ、そこまで書くことに意味があると思ってもらえるのは、歴史学よりは社会学のほうだと思ったんです。

四竈 なるほど。そうですね、全員がそうとは言わないですけれども、社会学者の多くがやっぱり相互行為を一つの単位とか、分析の主要なところに置いていると理解しています。今ここでどういうことが起こっていて、こっちの人はどんなことを考えて話をしていて(行為をしていて)、それに対して聞き手(行為の相手)はこれくらいのこと(背景や状況など)を想定して理解している、とか。そこで何が起こっているのか精緻に記述していくのは、社会学の1つのスタイルですよね。エスノメソドロジーはそういう実践の記述の精緻化を目指していると思うんですが、この本(『記憶を語る,歴史を書く』)の中でも1つの落としどころみたいなかたちで、エスノメソドロジーの論文や本が引用されています。むしろそこに社会学としての強みが、歴史学とは違うところにあるのではないか、と。

「私たちは歴史になる」

四竈 ここまでしばらく、この2冊の本(『家(チベ)の歴史を書く』『記憶を語る,歴史を書く』)を関連させてお話ししてきましたが、もう一つ関連するポイントというか、アッと思ったところがあったんで、また私の方からお話しさせてください。
 『家(チベ)』の149ページ(文庫版)ですね。ここに「歴史的な事実」という節が設けられていて、「私はしばしば、ある人が自分の体験を、私の知っているほかの歴史的な出来事と関連づけて話してくれるとき、その人の個人的な体験を歴史の中に位置づけて理解できたように感じてしまう。そういう意味で、貞姫(ちょんひ)伯母さんの話をいつも、自分が理解できていないように感じる」と。そして「誰かの生活史を聞いて、何かを理解するというのはどういうことなのだろう。何かがわかったような気がするときと納得のいかないときとがある。しばしばそれは、どういう問いを抱いてインタビューに臨んだかによる」と、こう続けられていくんです。
 インタビューで得られた証言と歴史を結びつけるときに、そこにいろんな情報が織り込まれていること、それを我々はどう理解するべきなのか、ここで問題提起されていたと思います。ほかにも303ページには「私は彼女たちのデータの雑多さがいかに生じるか」を考えたい、とも書かれています。つまり、語られていることをどう聞くかということを、先程の繰り返しになるんですけれども、相互行為レベルで考えていくっていうことですよね。文脈の中で話を聞いていくということが、どういうことなのか、と。
 で、その話が、実は『記憶を語る』の後半や、核心部分とつながっていると思うんです。そうそう、少し脱線気味に触れますけど、「あとがき」に、すごく印象深く書かれていているのが、「私たちは歴史になる」っていうフレーズですね。これは、この本のメッセージでもありますけど、これを電車の中で突然思いついた、と。それで、興奮したまま電車を降りて、お連れ合いに電話して「ヘウレーカ!」って叫んだ、なんてことも書かれていますが。

朴沙羅 そうそう。超恥ずかしい。

四竈 研究者らしい感じ(?)のエピソードで、すごくよいです。

朴沙羅 連れ合いは私がそういうことを言うのに慣れているので、鶏が「コケコッコー」って鳴くぐらいの感じで聞いていると思います。

四竈 そんな「あとがき」ですけれども。ここでは、精緻に議論を深める前に、今回の本のオチのようなものを、直観として思いついていたわけですよね。それを「私たちは歴史になる」という言葉でそのとき指し示していたんだと思うんです。
 ただ、それが『家(チベ)』の方を読んでいると、なんだかすでに、それを感じられていたのかなっていうふうな、『記憶を語る』の結論と同じことをすでに考えながら、書いていたのかなって、思ったんですね。どうでしょう?

朴沙羅 いやあ、自分では全然わかってなくて。「あ、そうなんだ」みたいな感じです。いま言っていただけて、「わあ、すごい」と思ってます。私がすごいんじゃなくて、四竈さんがすごいです。

四竈 いやいやいや。

朴沙羅 本当に気が付いていなかったんです。単に相手が何を言ってるかもうちょっとちゃんと知りたい、この人にとってこれがなんであるのかを知りたい。それが私にとってもわからなくなっちゃったことも込みでわからないと、たとえば何度、四・三事件の話を聞いても「四・三事件」の話が出てこないというのは、どういうわけなんだろう、みたいな謎が解けないんです。
 『家(チベ)』はかなり編集したので、これでも意味がわかるようになっているんですけれど、本当はインタビューの文字起こしの9割ぐらい、私の質問とは関係のない話です。ときどき急に「ところでさっきの話な、」みたいに戻る、カオスなインタビューです。なので、歴史記述として読めるものになっていたら、びっくりするくらい嬉しいなあ。自分のことは何にも書きたくないんです。これも岸先生の受け売りですが、たとえば「四・三事件のオーラルヒストリー」と銘打った本を読んで朴沙羅の話ばっかり書いてあったら「それはちゃうやろ」って思いません? お前誰やねん、お前の話をするのに四・三事件を使うなよって腹立ちますやん。そうじゃなくて、この人たちが生きてきたことや体験したことの一部を私に話してくれたことが「なるほど、これってこういうことか」って、私はわかり直さないといけないんです。知らないから。それで、わからなくなったことに意味があるなら、そのことを書かないといけない。
 だって最初に伯父にインタビューしたとき、本当に四・三事件の韓国語の「サ サム サゴン」が何を意味しているのか全然わからなかったぐらいですからね。

四竈 なるほど、なるほど。

朴沙羅 それは私がその事件から距離をとって大きくなれたからです。私の父にとって、「四・三」って、彼の母親の前では言っちゃいけない言葉だったんです。言ってしまうと、いわばトラウマがフラッシュバックして大変なことになるからです。

四竈 たしかに。他方で、その当時だからできたという面もあるわけですよね。

朴沙羅 だと思います。伯父たちも伯母たちもまだ元気で、生きていたし、いろんなことを覚えていました。四・三の真相糾明運動が韓国で進展して、体験を語ることができるようになってきた、その直後でもありました。そういう時代的な状況も大きいと思います。

四竈 時代をはじめとした状況のなかで、「話を聞く」っていうことと「記憶を語る」っていうこと、その両方が「書く」という一つのことを通してそれぞれの文脈とともに位置づけられて、「歴史になる」わけですよね。まさに「私たちは歴史になる」ということはどういうことなのか。そういうことが書かれた本だと言えるんじゃないでしょうか。

朴沙羅 ありがとうございます。

次回に続く

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