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笑いの仮面とマッチ棒

「なにスカした顔してんだよ」

喧騒の絶えない地元の安居酒屋。
均一料金の料理が机の上に立ち並び、馬鹿話をしながら騒がしく中学の同級生と一緒に飲んでいた。そんな折、少しの軽蔑を含んだ言葉が僕に向けられた。いつもの悪友同士のふざけた言葉の一つだが、その言葉の投球には小さな力が篭っていた。

 要因は様々ではあったが、昔の僕は人に弄られたりそうなる様仕向け人を笑わせ自分の在り方を確立していた。僕にとっての尊厳やプライドという言葉は他人の笑顔に点火されしばし燃え上がるマッチ棒の様なもので、確固たる火を燃やし続ける自家製のコンロは僕の心には備わっていなかった。
 他人の表情を伺う人の在り方は、相対的な価値観に生き続ける事であり心の安寧はどこにも存在しえない。一喜一憂のありかは贔屓球団の勝敗やライブのチケットの当落ではなく、ただ目の前にある全ての人の心の機微だった。
 自分がどうなりたい、どうしたい、どう考えたい。その主権は他の誰の物でもないはずなのに、全てを他人に明け渡す事で心を植民化し生きていた。
得てして、どの角度から見えても小綺麗に色を塗った笑顔の仮面は出来上がり、僕の表面にピッタリと張り付いた。

 大学3年生の頃、笑いの仮面が壊れる出来事が起きた。詳細は省くけれど、人生観を変える辛い事が重ねて起き、自分の心の悲痛な声が初めて大きく聞こえてきたのだった。その痛みは、誰にでもありふれた痛みで、早かれ遅かれ誰でも通り抜ける人生の通り道だった。しかし、その通り道を通る時さえも、人の為にあり続けようとした。どこまでも清廉で白く塗り固めた仮面の下では、今までに取り込んだ色達が混ざり合って、ドロドロした漆黒の感情となって仮面の隙間を探し続けていた。そして、仮面に小さな穴が空いて声が一際大きく聞こえたその時、ドロドロに汚れたドブ色の心に初めて相対し、愛おしく感じた。元からこんな色をしていたのか、知る由はない。
苦しみも、痛みも、後悔も、怒りも、全て紛れもなく心の動いた証拠出会って、全て僕自身の物だった。塗り固めた仮面は他の誰にとって価値があるかもしれないが、自分にとっては唾棄すべき寄生虫だ。そんな当たり前の心に、僕は20歳の時に初めて気付いたのだった。
 それからは、僕は僕自身の人生の在り方を探し続けている。走って転んで起き上がって途中で休んで、そうやって一歩一歩、誰の為でもない道を進み続けている。

中学時代の友人は、以前の僕を僕だと今も信じ続けている。だからこそ、「スカしている」顔が求めている役割と違っているからこそつまらない顔をする。それに対した僕は、肯定だった。スカしているし、つまらない。それは無理しなくなったからだ。
自分の評価基準は自分の中の絶対評価にある。だからこそ、もう他人の為に燃えるマッチ棒は全て捨て去った。そして一から作る自分の中の火種。それが僕で、やっと見つかった物だった。

だから、もし自分が見つからなくて苦しんでいる人がいたら、勇気を出してマッチを投げ捨てて欲しい。効率が悪くても、弱い火しかまだ起こらないとしても、それが他の誰の物でもない、貴方の火種だからだ。笑顔の仮面なんかは、その火の中に燃やしてしまえばいい。そして、それもまた火種となるのだ。
他の人の火を見て、こんなに大きくて明るくて、力強いと思うこともあるだろう。見るからに大きくて全てを焦がしそうな炎や、繊細に細く燃え続ける火もある。千差万別の火が、誰にでもあるし、貴方にもある。

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