やりたいことの見つけ方(価値観)2
こんにちは、こんばんは。ゆうさんです。
今回も前回記事の続きです。
Q2 幼い頃や思春期にあった、今の自分に大きな影響を与えている出来事or経験は何ですか?それらが自分の価値観にどう影響を与えましたか?
パッと思い出したのは、自分の父親がラーメン屋さんの店員さんに怒鳴りつけていたシーン。
店内が満席で順番を待っていた際、店員さんが僕たちの後から入ってきたお客さんを間違って先に案内しようとしてしまい、それに対して父親が店員を怒鳴りつけてしまっていた。
おそらく、僕が10歳くらいのときだったと思うのだけれど、ものすごく鮮明に覚えている。
「そんなに怒ること??」
シンプルにそう思っていた。10歳の自分が。
その思いは今でも変わっておらず、そんな思いから考えてみると自分は「礼儀正しさ」を重んじており、また「温厚さ」も大事にしていきたいと考えているのかなぁと、自分の価値観に触れれたような気がした。
質問を考えてみて、、、
自分は他人に対して大きな怒りをあまり感じない人間なんだと思う。
なぜなら大抵のことは「仕方ないよね」で済ませるし、他人の失敗に対しても「そんなときもあるよね」と次回以降は失敗しないようにお願いするくらい。
根底にあるのが「他人は自分の思い通りにならない」という諦めの気持ちがあるのかも。それか、他人の失敗を許すかわりに、いつかする自分の失敗も許してもらおうというズルい考えも見え隠れ、、、
・人によって持っている才能は千差万別
・最初からずべてを首尾よく行える人はほとんどいない
・それでも努力すればできるとこはどんどん増えていく
他人に対して上記3つのような気持ちで接しているので、相手に対して過度な期待は持ちません。それを「優しい」というのか「ドライ」と表現されてしまうのか?どちらになるかは自分ではわかりません。
それでも、形振り構わず怒りを周囲にぶつけていく人にならなくて良かったとは心から思っています。それが僕の価値観であり大事なことだということが改めて確認できました。
Q3. 今の社会に何が足りないと思いますか?
・語り合う場
・勉強する場
・思いやり
・考える時間
・ルールを知る機会
・自分と向き合う時間
・幸福を考える機会
これくらいですかね。
見返してみると「目に見えないものについて考える機会・時間」が今の社会に足りないと感じているようです。
急にスピリチュアルな感じになってきましたが、僕はこの「目に見えないもの」についてもっとフランクに周囲の人々と語り合えるようになればなぁと考えています。
なぜかというと、人に対して怒りや憎しみを感じてしまうのは、この「目に見えないもの」を蔑ろにしていることが大きな原因だと感じているから。
少し話せば解消するような些細な問題だとしても、相手との真剣な対話を放棄して、自分の中で負の感情を増幅させてしまう。その燻りがどんどん大きくなり、相手のやること為すことすべてが気に食わなくなり憎しみすら感じてしまうようになる。
必要なのは対話。
それでも大切な対話をほとんどの人は避けてしまう。なぜなら大抵の場合で対話は自分を傷つけるものだから。自分だけではなく相手も傷つけてしまう。そんな傷つくことがわかっている対話をするには、相当な覚悟を持ってない限りは極力避けてしまうのも無理はないかもしれません。
この記事を書いてみて
この記事を書いてみて、自分は『対話』に対して物凄く興味があることが判明してきた。かっこよく表現すると『ダイアローグ』というものになりますが、この分野についてもう少し掘り下げて勉強していきたいとワクワクしています。
早速やりたいことが見つかりそうな予感(笑)
さようなら。ありがとう。
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