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#その先が見たい

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変化する自分を、記録するところ。
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じぶんの声を聴くこと。

「じぶんの声を聴く」って。。。 なんか、スーパーにある「お客様の声」みたいだなと思いながらも、考えを深めていこうと思います。 この頃、「じぶんの声」を聴くことが度々あります。というのも、オンラインで友達とつながっている時は、イヤホンから自分の話した声が聞こえるから。デジタルのフィルターを通した自分の声が耳に入って来るわけです。 そして今日は、とある課題で「自己紹介を音声で録る」ということに取り組んだんです。 iPhoneを口元に寄せるようにして話す時、ちょっと気恥ずかしい

暗中模索と、五里霧中。

2019年の終わりの頃から、3月中の開催を目指して小さなイベントを計画していました。参加者を募って、当日の内容を案内したり、開催場所を予約したりしていました。 あとは開催日を待つだけの状態でした。 しかし、そのタイミングと同じくらいの時期から、今でいうところの「三密」は避けたほうがいいという流れになりました。 イベントは延期としました。 延期としたのはいいですが、一向に開催の見込みが立たない…… ということで、オンラインでの実施に切り替えようということになりました。 こ

おだやかな日に、風を吹かせる。

毎日が淡々と過ぎていきます。正直、少し焦ることがあります。 まず、時間の使い方がこの一ヶ月で変わりました。合う約束をする代わりに、オンラインミーティングの時間を調整をしたりしています。 実際に会う場合は、待ち合わせ場所と時間を決めますよね。時間帯によって、ランチかもしれないし、カフェでお茶かもしれないし、夜飲みになるかもしれない。電車の時間を調べたり、前後の予定を確認したり。何を着て行こうか迷ったりします。 こういったことは全てなくなりました。せいぜい、画面に映る上半身だ

明日で150記事をむかえる、noteのこと。

本日もnoteを書こうと思ったら、この記事で149記事だということに気づきました。 どうせなら150記事目にnoteを続けてみた感想を書けばいいのに、あえて今日書いてしまいます。 すっかり毎日の習慣になり、タスクと化したnote毎日更新。とりとめのない文章から、やや前のめりな文章まで書いてきました。 私はどちらかというと男性性の強い人なので、文章も固くて強い文章になりがちです。 最近、久しぶりに私のnoteを読んでくれた友達から「です・ます調になったね」とコメントをもらい

時間の使い方は、生き方そのもの。

とにかく外出していません。少なくとも、この2週間は一歩も家の外に出ていません。 それでもできているのは、生活インフラを支えてくださっている方と、生協のお兄さんのおかげです。 広く言えば、この国や世界を支えていくださっているすべての人になると思います。 日々感じる感謝の中、とにかく家にいます。 驚きますね。世の中がガラッと変わりました。 2週間も家から出ないなんて言えば、不健康だとか、鬱なの?とか思われるのが普通であったはずなのに。今は、それが認められるわけですから。 時

過去と未来の、違いは何か?

一年前には想像できなかったことが、今起きていますね。 未来のことが分からないというのは当然ですが、少なくとも私が生きてきた人生の中では、想像しえなかった状況が「今」です。 そこで、過去と未来の違いについて考えてみました。 過去とは=過ぎ去った時。今よりも以前のこと。 未来とは=これから起こる時。今よりも先のこと。 中学生くらいに、時間とか時空について考えていた時期がありました。 タイトルは覚えていませんが、恐らく何かの小説を読んでいて、時間とか時空とかがテーマの内容だっ

この部屋の中で動く世界。

一日中家にいる。 今日も、昨日も、一昨日も。 天気の移り変わりは、窓の向こうの風景として認知し、 風の音が静まるのを聞きながら過ごす。 確実に物事が動いているのを、感覚的に知る。 この部屋の中で動く世界。 体調がすぐれず、今日は割り切って とにかく休んでいた。 そこにあるのは過去の動画で できるだけ明るいものを選んだ。 手にしているガジェットも その中の動画も 誰かが作ってくれたものだ。 それに励まされている。 この小さな部屋の中で動く世界は この手に収まるほど

誰かを思うなら、自分を大切にする。

こんな春は初めてだ。誰もが経験したことのない春だ。 今までカメラで撮った画像を見返しながら、去年の今頃のものを見つける。 受験が終わった春だった。 闇雲に撮った去年の桜の画像も、先日撮った今年の桜の画像も、 たいして変わらないように思える。 ああ、 目に見えないものって、 怖いんだな。 今まで認識していた「目に見えない怖いもの」というのは、 幽霊だったり、超常現象のような類のものだった。 もちろん、ウィルスに脅かされるという意識はあったけれど、 こんな状況に

ちびっこたちの、お着替え。

先ほどバイトから娘が帰ってきた。保育園でのバイト。 保育士さんの補助のようなお仕事をさせていただいているらしい。 保育園でバイトをしているというと「保育士になりたいの?」と聞かれることがある。けれどこれは全然ちがう。 地域のボランティア活動の中で、「子育てサロン」のお手伝いをこちらの保育園でさせていただいた際、バイトにお誘いいただいたのだ。 本人曰く、子供は可愛いけれど苦手。 何考えているか分からないからドキドキする。とのこと。 もうだいぶ長いことお仕事をさせていただい

写真を撮りたいと思うタイミング。

心からシロウトなのですが、私はカメラを持ち歩いていることがあります。 いつでもシャッターを切ることができるように、幼稚園児のように斜めがけにしてカメラを下げています。 以前は、バッグの中にしまって持ち歩いていたのですが、「今撮りたい!」というタイミングでゴソゴソと荷物をあさるのが煩わしく思えたのです。 普段は、我が道をゆくタイプなので、周りの目を気にする方ではないのですが、カメラを手にしている時はちょっと違います。 やっぱり、自分が撮る写真に、誰かの顔がはっきりと写り込

言葉にすることの難しさ。

今日こそは、note毎日更新できないと思いました。 一日何もしなかったわけではないのに、常に何か感じていたはずなのに、何もかけないことに焦りました。 そして、note毎日更新を今日で辞めてしまうことを想像し、3秒ほどでその考えを止めました。そこに、自分自身のちっちゃなプライドを見ました。 私は自己肯定感が高い方だと思っています。自己承認しまくりながら時間を過ごしているのを感じているからです。もちろん他者承認欲求もあります。note毎日更新をすれば、誰かが「すごいね」「いい

自分の居場所を作ること。

「居場所」という言葉の意味はいくつかある。所在地だったり、一時的に居られるところだったり、心の拠り所のような意味もある気がする。 学校が休校になったことで、子供の居場所をどうするかが問題となる。 「新型コロナウィルスの感染を防ぐための、自宅学習期間です」という文面で周知されたが、学校という居場所を奪われたことが経済にも影響を及ぼしている。 一足早い春休み状態となった我が家の高校生男子。 もともと出不精なので、家からほぼ出ない生活をしている。運動不足になるから近所をジョギ

言語化しておくことの意味。

note毎日更新を続けていると、文章を書くことよりも「ネタ」を考える方が大変だ。 「ネタ=テーマ」を決めるのに数時間かかり、そこから文章を書くとなると正直、一日の時間割の中で占める割合も高くなる。 文章を書くことを生業としているわけでもないのだから、note毎日更新なんて辞めてしまえば良いとも思うのだけれど、習慣化してしまって今更ストップすることがもったいないとも思っている。 そして、もっと大事な意識が生まれたことが最大の理由だ。 この、無感動とも思える生活の中で、意識

子どもが泣く理由。

休校が相次いでいるからか、日中、子どもを多く見かけるようになった気がする。 窓の向こうから元気に遊ぶ子どもの声がすると、ホッとする自分がいることに気づく。遠くから聞こえる大きな声が室内のワタシの耳まで届く時、無邪気な子供時代というものが心から尊いものだと感じるからだ。 うちの子ども等はもう大きいので、相手をしなくても各々好きなように過ごしている。ワタシは私で、ちょっと前までは得られなかった「自分の時間」というものを確保できている。 上の子がまだ、一人っ子の頃のことを思い出