見出し画像

祖父母の友人とのランチ

おはようございます。
今日は昨日よりも薄く雲がかかっていて陽もマイルドな穏やかな朝。

昨日、祖父母にお世話になっていたという、祖父母の友人の方にご自宅までお呼ばれしてランチをいただいてきた。
この方とやりとりすることになったきっかけは、クリスチャンで同じ教会に所属していて、去年11月に誤ってぶつかって転倒させてしまった女性に骨折させてしまった際に、こちらの方が元大学病院のお医者様だったことで救急車の受け入れの手筈を電話で大学病院に直接速やかに済ませていただいたこと。

そもそも今の教会には、もともと祖祖母が通っていた(祖父は僕が幼稚園に入る前に病に倒れた)。2006年に祖母が亡くなった際に、働き始めていて一人暮らしを始めようと思っていた僕は祖母が住んでいたマンションで親に家賃を納める形で一人暮らしを始めた。しばらくしてからはたと気付いて、自分も祖父母が通っていた教会に通い出し、1年ほど経って転会(自分の所属教会として申請して受理された)したのだ。それ故教会には祖父母の方をご存知の方々は多くいらっしゃり、その多くは自分を孫や親戚の子供のように有難いことに気にかけてくださっている。

そんな中できっかけとしては人を怪我をさせるという残念なものだったのだけど(怪我をさせてしまった方も初期対応の良さもあって順調に回復されて、先々週のイースター墓前礼拝にもお嬢様と二人でご参加されていた)、「君が〇〇(祖母の愛称)の孫だったか」と目をかけていただいる。
最初はお怪我をさせた方へのお見舞いなどをしなかったことなど、医者として客観的にお叱りいただいたが、背景をお伝えしたことやその後の対応などでご理解もいただけて、その後何度か「いつかご馳走するからお昼でも行こう」と仰っていただいていたところが今回実現した、という訳だ。

御年96歳。
今も町医者として自宅横のクリニックで午後診察されているお爺さん(というと失礼なのだが)で、ガラ携を使いこなし(大学病院へ電話してくださる時も)僕との連絡もメッセージでタイムリーにやり取りができる。意識もキレキレで記憶力も健在、杖は突かれているものの階段もサクサク上り下りされる。
凡そ僕含めて、96歳と言われてイメージする高齢者とはかけ離れたお方なのだ。自分の歳を倍にしても余裕でお釣りが来るようなお歳は正直信じられない。

そんな訳でお誘いいただいたランチは、お隣の診療所で午前まで診療をされていた次男ご夫婦と一緒に、週末の家族団欒のお昼に混ぜていただき、行きつけのお寿司屋さんに連れて行っていただく。

「ここはうまいから何でも食べたいものを好きなだけ食べなさい」
「白身魚は好きか?」
「ここのホタテは美味いから是非食べなさい」
「コハダもいいぞ」
と本当に孫にお腹をいっぱいにさせたいと言わんばかりにいろいろオーダーしてくださるもんだから、中年男性は早々にお腹いっぱいになる。すると
「もういいのか?遠慮しなくていいからたくさん食べなさい」
とご本人が物足りなそうに仰るのが申し訳なく思っていると、ご本人は平気で次男夫婦よりも普段から食べていらっしゃるという話を聞いて、その理由も今なおご健在な理由もこの状況を目の当たりにしてわかった気がした。

そして、抜群に記憶力が良くて、祖母がよく話していたけど僕が忘れていたような話を思い出す様に教えてくださる上に、その方と祖母との出会いから祖母と祖父との出会った時のことなど本人たちから聞いた事もなかった話まで聞かせてくれる。
祖母が宝塚に入っていたのはいたのは知っていたけど当時の同期だった女優さんの名前も知らなければ、その前に青山学院に行っていたこと。新聞関係で働いていた祖父が実はドイツ語学科で勉強していて、その方を医学部に受かれたのは祖父がドイツ語を教えていたからということ。
何より嬉しかったのは、(遺伝で顔が似ている父親ではなく)僕が穏やかで誰からも好かれていた祖父によく似ていると言っていただけたこと。僕が実際そうかどうかは全然別として笑、幼すぎてただ漠然と”優しかった”記憶しかなくて近くは感じられていなかった祖父としっかりと繋がりを感じせてもらえたことが純粋に嬉しかった。
祖父母の為人と共に歴史を知れることに加えて、本人たちはもう何十年も前に亡くなってしまったけど、こうして今も懐かしんで話してくれることは、(このかたのお年を考えても)本当に稀で有り難いことだと実感する。
そして、(教会で僕を見かけたことはあったそうだけど)いきなり家族の週末の昼ごはんに受け入れてくださった次男ご夫妻もとても穏やかで楽しく食事をさせていただいて、そして最後は駅まで車で送っていただいて感謝ばかりだ。

思いもよらない交流を持たせていただき、有り難いし面白いなぁと思うと同時に、きっかけは転倒事故だということを思い出す。あのタイミングでは「なぜこんなことが起こってしまうのか」と怒り恨みもしたけれど、多分ここに繋がるためだったのだと思い巡らす。
怪我をされた方の大変なリハビリやお嬢さんのサポートのご苦労を考えれば、申し訳ないしこれからも自分ができることをできる形でお返ししていくとして、何か神様のお導きのようなものを感じる。
主に感謝して、祖父母の友人の方と怪我をされ回復された方の更なるご健康と共に祈ります。


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、良い週末を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?