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「オケバトル!」 27. 誘拐の企みと、歌姫の素顔


27.誘拐の企みと、歌姫の素顔



 我々Aはフルート、Bはホルン。ついに管楽器から脱落者が出されてしまった。これはゆゆしき事態だぞ。
 ホルンは元から四人もいたのだから一人くらい抜けたって何とかごまかせようが、二名しかいないフルートから一人が抜けるとなると、たとえ嫌われ者だろうが、ヘボ奏者だろうが、いなくなってバンザーイというわけにはいかないのだ。
 この痛手をどう回避すべきか。
 フルートの二番手がいないだけなら音のバランスもどうにかなろうが、仮にピッコロが重要な役割を果たす曲が課題に出されたらどうなってしまう? たった一人のフルートがピッコロに回ってしまったら? 木管のコンマスとも称される要のフルートが抜けたオケなんて、歯抜けオケとしか言いようがないんだから。
 あんな女でも、存在価値はあったんだね。えっと、芳村さん、だっけ?

 課題曲次第では、我がチームは破滅へまっしぐらだぞ。などと危惧していたAチームの面々は、次なる曲が〈美しき青きドナウ〉であると知り、まずはひと安心。この曲、フルート持ち替えのピッコロのパートはあるが、その役目がなくても「歯抜け」ほどにはならず、「歯欠け」程度ですむだろう。

「ですが、この曲では何が何でも勝たないと」
 有出絃人が釘を刺す。
「勝利して、Bから代わりのフルート奏者をさらってこないと。それが目下の我々における最重要の使命と思ってください」

 どっちのフルート? 
 天上の音色で魅了する、天才美少年のほうと当然のごとくいきたいところだけど、経験豊かそうな美女さんは、妖艶ながらも性格悪くなさそうだし、迷うところ。
 しかしBチームの舞台で二人揃って並んでいると、そこだけぱっと華やいだみたいで、実に絵になる光景ですよね。例えるなら、女神アフロディテと王子アドニスといったところでしょうか。
 などと勝手なことを皆で言い出すが、楽観視は禁物である。なぜならば、
「いずれにせよ、勝っても仲間から誰か一名、犠牲者を出さなきゃならないことになるんです。誘拐の代償として。それを、どうするか」
 絃人の言葉に皆、黙り込んでしまった。
 ゼンマイ楽器の件では自分が個人的に負けたと感じ、いったんは脱落の覚悟を決めた有出絃人であったが、審査員から名指しの脱落者が問題のフルート女性と分かった時点で、そうした自己犠牲の思いはあっさり放棄された。同情の余地はなかろう。オケ全体の士気を貶めるああした人間には消えていただくのが最善なのだ。

 先の〈オランピアのアリア〉では、自らの判断とはいえ指揮が中断されたこともあり、仲間からは再び有出絃人に指揮の要望が出されたが、今回は指揮よりも、特別にセカンドヴァイオリンの首席をやらせてもらえないか、というのが絃人の希望であった。ウィンナワルツの独自のリズムのノリは、タクトを振るだけでは決して伝え切れない細かなニュアンスがある。要はメロディーよりも、ズンチャッ…チャ、ズンチャッ…チャ、という、ほろ酔い加減ならぬ、ほど好い加減の後打ちだから。
 もちろん皆はオーケイを出すが、では指揮はどうする?

──〈青きドナウ〉で、外国人指揮者がウィーンフィルを振るほど勇気が必要な曲は、他に類を見ない ──。

 という指揮者ジョークがある。
 ワルツのリズムが呼吸のように染みついており、とりわけオーストリアの第二の国家ともいえる〈美しき青きドナウ〉。長年の伝統を受け継ぐ完全なスタイルが定まっている本場のオーケストラで、海外からの指揮者がタクトをとるなど、しかもそれが新参者ならなおさらで── ぜひ振ってみたい! と興味津々、ヤル気満々の強者が稀に出現したりもするが ──、無謀のまた無謀な挑戦とも考えられよう。
 ここはウィーンフィルではなくとも、そうした事情からか、先のコンマスを経て指揮の権利が回ってきた稲垣は、セカンド有出と組んでの再びのコンマスを希望し、既に指揮を経験ずみで、まずまず好評だった浅田も、今回は遠慮したいとのこと。
〈青きドナウ〉。小品ながらも一筋縄ではいかないこの名曲を、このメンバーでやれるのだろうか? 指揮が誰であれ、一人一人の根っこの問題が対処できなければ、ただの猿芝居。両チームとも間違いなく破滅だろう。絃人はとりあえず指揮抜きの状況で、セカンドパートを弾きながら中央に立って慎重にリハーサルを進めていくことにする。
 そして思い切った新たな提案を出す。
「セカンドとヴィオラの後打ちを揃えたいので、二つのパート、並ぶ形で。今回は対向配置でいきましょう」




 整体系の施術室を兼ねた医務室にて、ベテランの女医による丁寧な診察を受けた浜野亮は、激しく打った右腕も腰も、心配には至らなさそうだと診断された。

「とはいえ大事をとって、今日のところは演奏は控えるように」
「ではやはり、指揮してくれたホルンの彼女に代わって自分が脱落してあげないと」
「ひとたび審査員が決めたのなら、勝手に脱落の交代なんて許されないはずですよ。それに実はね」
 と、亮にそっと耳打ち。
「ええっ! そんなのアリですか?」
「まだ誰にも言わないで。次の課題のリハーサルが終わってからの発表だから。勇敢なあなたのための配慮なんですからね」
「それは大変ありがたいですけれど」
 亮は空きベッドにそっと寝かされている自分のヴァイオリンを心配そうに見やった。
「おかげで腕は休ませれるとしても、楽器のこともあるし、やっぱり名もなきトゥッティ族の身分としては、早や脱落の運命にあるんですよ」
「ヴァイオリンだってすぐ治りますよ」
 彼の上半身のあちこちを少々乱暴気味に調べながら、医師がさらりと言う。
「万が一、間に合わなかったら楽器庫のストラディヴァリウスでも借りちゃえばいいんだし」
「ええっ! それもアリ? なんですか?」
「誰に彼にでも貸し出せるわけではなくて、今後、コンチェルトの課題が出た時とかに、ソリストになった人が自由に選べたりするらしいわよ」
「コンチェルトがあるのか……」
「さあ? まだまだ先の話でしょう。聞かなかったことにしてちょうだい」

 医師とはいえ、こうしてスタッフと話す機会が得られると、未知なる情報も仕入れられるわけか。腕を痛めたのも役得だったかも。と、亮は前向きに考えることにする。

「それにしても、あなた、首や肩、凝り過ぎですよ」と、女医は言ってカーテンの奥に消えた。
「例のクリーム、どこかしら」
「先生だって、ご存じでしょう。身体の凝りなんて演奏家につきものの職業病なんです。諦めてつき合っていくしかないんです」
 亮は背後のカーテンに向かって言い訳した。
「それでもヴァイオリンは、もっと重いヴィオラよりは、まだましなんじゃないかしら」
 彼女が戻ってきたか、背中や首回りにマッサージクリームがぎゅうぎゅう塗られていく。
「うわっ、イタタタっ。かなりきついんですけど」
 身体への微妙な加減次第では演奏に影響が出かねない演奏家が相手となると、医師であれ、整体師であれ、慎重に手加減するケースに慣れていた浜野亮は、何するんですか~? ひどいじゃないですか、と文句を言った。
「凝りをほぐすんだから、ガマンなさい」
 女医の返事が室内の奥から返ってきたので、凝り解消の施術はアシスタントの手によるものと察した亮であったが、後ろから押さえつけられ相手の姿は見えず。痛すぎるこの怪力、さぞかしの大男か、ベテランの太っちょオバサンかと思いきや、
「腕の痛みも、首や肩から来てたり、実は腰が要因ってこともあるんですよ」
 背後の施術者の説明は、意外やうら若き女性の声。
「これはあくまで応急処置ですけど、演奏家なら、ご自身で身体管理ができないと、ね」
 説教調の内容でありながらも、優しく軽やかなしゃべり方には、どこか歌がある。
「こうして、内側から外に向かって。凝りを解かしながら毒素や不純物といった余分なものを ── ついでに雑念もね ──、流していって、手の先から追い出してしまうように」
 肩から腕、手のひらに向かって流しながら徹底的にほぐしてくれているその女性を見上げると ──、え? ええっ?

「オランピアさん!」

 浜野亮は驚愕のあまり椅子から飛び退いてしまった。
「勇敢なナイトさん?」
 天使の微笑みは一瞬で、オランピア嬢は頬を膨らました。
「脱落、脱落って。名前も告げずに去ろうとするなんて」
「こ、言葉しゃべれるんですか。しかも日本語! 流ちょうすぎる」

「当たり前でしょ。彼女、アンドロイドじゃないの。血の通った生身の女の子。今は日本在住で、日本人の血だって混じってるんですからね」
 奥から出てきた女医も愉快そうに笑い、ここの医務室も含めて、彼女にはスタッフとしてあちこちで手伝ってもらっているのだと説明した。
 お人形さんの舞台メイクをすっかり落とし、衣装もトウシューズも脱いで白衣を羽織る姿は、清楚で可憐な少女でありながらも、りんとした大人の女性の美しさも兼ね備えていて、ますます魅力的ではないか。

「あれ? 腕がすっかり治ってる?」
 亮は腕を振り回してみた。
「筋を違えたと思ったのに。しかもすっごく軽くなってる。しかもなんか身体ぽかぽか」
「これまでより、もっと楽に弾けるはず。今、私が毒素や疲れを流したやり方で、毎日自分で続けられるといいですよ」
「やってもらえるから効くんだと思うけど……」
「甘えないで」
 オランピアは彼にシャツを投げつけて、プイと背を向けた。
「さあ、服を着てくださいな。あなたのヴァイオリンを、我がマイスターに診てもらいましょ」

 オランピア嬢に明るく促され、これは役得どころじゃないぞ、と浜野亮は頬を染め、どぎまぎしながら身支度を整えるのだった。




27.「怪我の功名と砂男の正体」に続く...




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