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「オケバトル!」 26. ひとたび音を出したなら


26.ひとたび音を出したなら



「Aチームでは指揮者とコンサートマスターが持ち場を離れたことで、音楽もこれまで? と思いましたが、ほどなくしてフルートが何事もなかったかのように、すっと入ってきましたよね。指揮者とコンマスとオランピア。音楽も何もかもが静止して、驚きのあまり呼吸すらも忘れて、時が永遠に止まってしまったかのような中に、フルートのメロディーが重なって……。時間が再び動き始めたというか、はっと我に返ったというか。あれは不思議な体験でした」

 そこまで語り、司会の宮永鈴音は舞台から客席に向かって呼びかけた。
「当のフルートさん、いらっしゃいますか?」
 客席の後方から手が上がる。ハンドマイクを持ったスタッフが彼女の元に階段を駆け上っていく。
「お名前を、どうぞ」
「芳村三咲です」
 へえー、そういう名前もあったんだ。とは、これまで「騒音ピッコロ嬢」だとか、「責任逃れ女」などと、彼女を疎み軽蔑していた一部のチームメイト。さて今回はどう答えるのやらと、冷ややかな面持ちで成り行きを見守ることにする。

「あのフルートによって、いったん止まった音楽の流れが取り戻されたというか、私たちを別な次元から現実世界に連れ戻してくださった、ともいえる劇的な瞬間でしたが、指揮ナシでのご自身の判断によるタイミング、吹き始めは相当勇気がいったと思いますが」
「なんてことありません」
 フルート嬢はすまして答えた。
「長いフェルマータは入ってしまいましたけど、それはハプニングが回復できそうな頃合いを見計らってたからで。彼らが動けそうと判断したタイミングが、演奏に戻れるか否かのギリギリの線でしたので」
「インテンポではなく、非常にゆっくり入って、徐々に回転を速めるべく元のテンポに戻されましたよね」
「彼らの反応を見ていましたから」
「少なくとも、そのことに関しては実に気の利いた配慮だったと思います」
 少なくとも? 司会の言葉に少々嫌みっぽい引っかかりを感じつつも、芳村三咲は淡々と話を続けた。
「ただ予定どおりのメロディーを、状況に合わせて奏でただけのことです。勇気とか、なんて関係ないです。オーケストラ奏者として、プロの演奏家として、それくらいの判断は当たり前のようにできないと」

 クールに見せつつも傲慢とも受けとれそうな、その答えぶり。宮永鈴音は内心むかっとしたしたのだが、
「果たして、そうした判断は正しかったんでしょうか」とか、
「目下、熱心に審議中の先生方は、あなたの機転をどう評価されるでしょうかねえ」
 といった意地悪い脅し文句は言わずにおくことにする。今の時点で自分がうっかり感想を述べてしまうと、次のBチームとの答弁にも影響しかねない。鈴音は、
「失礼しました。吹き始めの勇気だなんて、低レベルの発想でしたね」
 とだけ言って、彼女にそれ以上語らせまいと、
「Bチームではソリストが実際に舞台から転落してしまいましたが」
 舞台の上手に人形役らと立っていたBチームの指揮を務めたホルン奏者の元に歩み寄る。
「こうした危険なハプニングに動じることなく、タクトはよどみなく振り続けられておりました。その時は、どのような心境だったのですか?」

 先のジョージによる道義云々発言もあり、演奏を続けた冷静な対応を非難される可能性もありそうだと悟った指揮者であったが、ここは責任ある立場を担った者として、見苦しい言い逃れは避けて素直に非を認める態度でいくことにする。
「ああ......、葛藤、ありました。ヴァイオリンの誰かが楽器を投げ出して舞台から飛び降りたようだと、それがソリストの女性を救うためのとっさの行為だということも、真後ろだったので完全には見えませんでしたが。
 ですが、自分の行動にチームのすべてがかかっているのなら、彼女の救助は一人の勇敢な方に任せて、残りの者たちは演奏家の使命として楽曲を続けていく義務があるのではないかと。とりわけ自分は、たとえ非情な悪人に成り下がろうとも、指揮を続けるべきであろうと」
「タクトが振られている以上、オーケストラは否応なしに演奏を続けなきゃいけませんものね」
 指揮者を責めるような形で質問を投げかけた鈴音であったが、彼女の誠実な答えに納得し、その難しい立場に同情する。
「すみません、お名前を伺ってませんでしたね」
「藤木のどかと申します」
「まあ、のどかさんって、すっごくホルンっぽい名前じゃないですか! すてきだわ。もしかして、ホルンという楽器を選んだのも、お名前の影響もあったりして?」
「そうですね。のどか過ぎて、ぼうーっとしてるから、指揮なんて向いてないんです」
「あら、そんなこと。のどかさんの責任感のある姿勢は、リーダーとしての大切な資質と思いますよ」
 しかし彼女の判断が正しかったか否かは審査員の考え方次第なので、司会は自分の意見をはっきり述べるのは控えておき、
「審査員の先生方の審議がまだ続いているようですので......」
 と、関心の対照を別な方向に向けていく。今回の重要な脇役、ゼンマイ音を出す楽器について。

「楽曲中オランピアが二度、動力源が尽きてしまって背中のゼンマイを巻く演出がありましたけど、もちろん実際はソリストの体にゼンマイが仕込まれているわけではなくて、パーカッションの方が動きに合わせて特殊な楽器を鳴らしているのですが......、岩谷さーん?」
 司会が下手の奥に向かって声をかけると、ステージマネージャーの岩谷が舞台袖から現れ、Aチームが使用した小道具を手に彼女の元に赴き、ガラガラと鳴らして見せた。鈴音は楽しそうに説明する。
「これは〈オランピアのアリア〉においての必需品で、ゼンマイの音が鳴るラチェットという楽器です。ここの楽器室には本当に何だって揃ってるんですから。そして極めつけは、Bチームが使用した……」
 彼女はいったん言葉を切り、舞台上に残っているBチームの打楽器奏者に声をかける。
「すみませんが、例の楽器を見せていただけますか?」
 パーカッションの女性が両手に片方ずつ持って、高く掲げたのは──、

 地下の楽器室で砂男が絃人らに見せびらかしていた目玉であった。

「目玉! なんと、目玉ですよ。老コッペリウスによって作られたのでしょうか。そしてこれがなんと、オリジナルながら、れっきとしたゼンマイ楽器なんです!」

 パーカッショニストは司会に促され、マジシャンのごとく優雅な手さばきで二つの目玉をかみ合わせ、ネジを巻くようにゆっくりひねってみせる。
 ガラッ! ガラッ! と、小さな楽器からは想像もつかない大音量が舞台に鳴り渡った。

──やられた ──。
 客席に居た有出絃人は、会場の拍手をよそに思わず額を抱えてしまう。
 あの楽器庫のじいさん、驚かしただけじゃなくて、本気で俺らに楽器を勧めてたとは。しかもBの女性は目玉楽器をちゃっかり使いこなしてるではないか。楽器の性能は自分らが使ったラチェットと大差なかろうが、目の前に提示されたせっかくのチャンスを見逃してしまったのだ。
 これだけでも我がチームの敗北を認めるべきだな。奇怪な砂男もどきに恐れをなして、話を聞きもせず逃げ出してしまったのだから。自分の責任だ。人を見かけで判断してしまうなんて。
 有出絃人は自らの脱落を覚悟した。
 斜め前に座っていたチームメイトの打楽器青年が驚愕の目で振り返ったので、絃人は「降参だね」とばかりに両手のひらを上に肩をすくめる。しかしパーカッションの彼は道連れにはできない。自分が勝手に彼を引っ張って、急ぎリハ室に連れ帰ったのだと証言すればいい。

「地下の楽器庫には想像を超えた秘密兵器が、まだまだ隠されてるようですし、ぜひ皆さんもフル活用なさるといいですよ」
 審査員陣による結論が下された様子に、司会は話をさっとまとめにかかる。
「あ、でも特殊楽器は早い者勝ちかも知れませんので、お気をつけくださいね。それでは長岡委員長、そろそろお話をお願いできますでしょうか」

「昨日同様、番組制作チーム内における見解の相違から不都合な事態を招いてしまったことを真摯に受け止め、今回の勝敗の判定はナシとします」
 審査委員長が重々しく口を開いた。
「オーケストラが伴奏に徹し、ソリストをいかに的確にサポートできるかといったことが今回の審査の焦点であって、両チームとも、その点においてはまずまずであったかと」
 会場内が、いったん安堵の吐息で満たされる。
「しかし番組の理念にそぐわないと判断した演奏家として、両チームからの脱落者はこちらで決めさせていただいたから。一名ずつだがね」
「番組の理念、ですか」
 長岡の言うところの理念がどういうものか、司会の鈴音には見当がついてはいたが、視聴者や参加メンバーの為に、確認するように説明を促す。
「つまりだね。《地獄のオルフェ》の時の、楽譜ハプニングみたいな場合は演奏、続けるべきであろうし、まあ、クラシックの音楽界ではたとえ出演者に事故が起きようと、音楽は止めずに続けて然るべき風潮が根付いてるんだがね、我々の考えは違うんだよね」
 そこで長岡が言葉を切ったので、司会が分かりやすいよう言い換えてみた。
「怪我や命に関わる場合は、安全確認が第一だと?」
「そう! そうでしょう!?」
 長岡は憤って続けていく。
「Aチームの時は、あわや落ちそうになっただけとはいえ、宙ぶらりんの状態で、実に危なっかしかったわけだし、よくあんな場面で、続きを吹く気になるもんだよね。それに見た目、分からなくとも、激しく押さえたり掴まれたり、身体に故障が生じてた可能性だってあったんだし、よくものうのうと音楽を続けられるもんだと、我々納得いかなくてね」

 でもねえ……。どんな事態が起きようと、プロの音楽家たるもの、演奏を続けるのが義務なんですけどねと、音楽を神聖なものと捉えているバトル参加者の多くは、長岡の主張を複雑な心境で受け止める。
 愛好家としてや、番組責任者としての言い分と、実際に舞台で演奏する側とでは、責任云々の視点そのものが違うとしても、やはり決定権は番組側にあるわけか。
 不信感をあらわにする会場の面々に対し、長岡は申し訳なさそうに続けた。
「今回は仕掛けた番組側に落ち度があったとしても、このバトルシリーズでは何より『安全』が最優先。そして『仲間を本気で思いやる姿勢』も重視してるんでね。そうした点では厳しい姿勢をとらざるを得ないのでね。分かってくれたまえ」

 Bで指揮を務めた藤木のどかは、無情に指揮を続けた自分がやはり脱落と、素直に受け入れた。
 そしてAでは当然、楽曲を元の流れに戻したフルート奏者に責任が及ぶものと──、

「ちょっと、すみません。ひと言だけ言わせてください!」
 客席で慌てて立ち上がったのは当のフルート首席、芳村三咲であった。マイク係が再び駆けつける間もなく、声を大に話し始める。
「オケの内部でどんな事情があったかなんて、客席からの見た目では分かりませんよね? 私だって、オランピアさん大丈夫かしらと心配して見守ってたんです。音楽を続けなきゃならないなんて忘れるほどに。ですが隣の方に肘でつつかれて我に返ったんです。『あっ、続きを吹かなきゃ』って。道義の判断なんて、できる状況じゃなかったです。だって、隣からの命令だったんですから」

 ディレクター藤野アサミと同じレベルの女。と長岡幹は思った。彼女に向けてマイクを投げ飛ばすか、どやしつけてやりたい衝動を抑えて、隣の青井杏香に助けを求める。
「あきれ果てて、私は何も言えない。あとはきみに任せるよ」
 しかし胸元のマイクは入っていたので、長岡の怒りはその場の全員に伝わってしまう。
「長岡さんったら」
 杏香は呆れつつ、やんわり口調ながらも甘ちゃんの彼女に対して鋭い批判を委員長に代わって伝えていく。
「『勇気なんて関係ない。そのくらいの判断は当たり前のようにできなきゃ』って、先ほどあなた、司会の鈴音さんに失礼なくらい、きっぱり言われてましたよね?」

 うわ、完全なる攻撃態勢だ。いつも穏やかな物腰で優しい微笑みをたたえた、あの青井杏香さんが? と、会場のバトル参加者は、叱られている当人でなくとも身構えてしまう。

「評価された場合は自分のお手柄で、逆に非難されたら、今度はご自身の判断でなくて、『他人からの命令』だったとおっしゃるの? 首席として一人で責任を背負い込むどころか、逆に事態を二番手のせいに? 
 昨日の《ウィリアム・テル》の音量の話題の時にも長岡さんがあなたに言われたように、ひとたび音を出したなら、すべては自分の責任なんです。隣に合図されたとしても、最終的に吹くと決めたのは、あなた自身なんですよ」

 温厚な青井杏香に事態を穏便に収拾してもらおう、という長岡の思惑は見事に外れた。
 児童向けの正義感あふれる冒険ファンタジーなども多数執筆している青井杏香の世界には、不正や責任転嫁といった卑怯な概念は存在しない。悪役ですら、その行動に筋が通っているのだ。しかも文筆をなりわいとする者ならではの、彼女の言葉の巧みさ、及び、相手の矛盾点を的確に見抜き、指摘する冷静さ。激しい感情を一切見せずとも、誰にも有無を言わせぬ迫力。ひとたび彼女を怒らせたら、どんな大御所であろうとも、もはや手がつけられないだろう。
 なんたる底知れぬ恐ろしさ。
 隠されていた彼女の本性を垣間見て恐れをなした長岡は、宮永鈴音のかんしゃくや、鬼アザミの意地悪なんて、まだまだ可愛いものだったと思い知る。

「昨夜の有出さんのように、巻き込まれたトラブルを極力隠して自らが責任を背負い込む姿勢に、私たち審査員も多くの番組スタッフも、深く学ばされ、感動したんです。視聴者の方々だって、そうでしょう。そうした意味からも、バトラーの皆さんの人間性に、私たち期待してるんですよ」
 杏香はそこまで言って、これ以上の馬鹿な言い訳は聞きたくないとばかりに、
「ご自身の立場を冷静に考えた上で、まだ何か伝え足りないなら、続きは独白ルームでお願いしますね。他の皆さんも。ただし謝罪の言葉ならともかく、くだらない言い訳なんて、もうたくさん」
 フルート嬢に隙を与えぬよう、さらりと締めくくる。
「これ以上、委員長を沸騰させないで。彼、血圧が上がっちゃうわ」
 険悪なムードを和らげるべく、軽いユーモアも忘れずに。



27.「誘拐の企みと、歌姫の素顔」に続く...


♪ ♪ ♪ 今回名前が初登場 → 脱落一直線の人物 ★ ★ ★

芳村 三咲  Aチーム Flute「責任逃れ女」

藤木 のどか Bチーム Horn 指揮を担ったのんびり屋さん



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