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「オケバトル!」 18. 鍵はベリーの香り?

18.鍵はベリーの香り?



「何? 犯人の香水はベリー系なのか!」

 別所が耳ざとく聞きつけ、パンパンと手を叩いて、皆さん注目を! と仲間に呼びかける。
 そして1プルト目の楽譜に卑劣な罠が仕掛けられていたこと、譜面に染みついた残り香から、犯人はベリー系の香水をつけているらしい、何としても見つけ出して、こうした破壊工作は止めさせねばならない、といったことを力説する。

「あー、ちょっと待ってください」
 おずおずと、会津夕子が言い出す。
「多分、ですが、犯人の香水が残ってるんじゃなくて、これ、ベリー風味のスティック糊を使ってるんだと思います」

 スティック糊というものは、演奏家が自ら製本をする必需品である。手軽に使え、多少の貼り直しもしやすく何かと都合が良いのだ。
 夕子が「ベリーの香り」と言い切ったのは、今年の春、パッケージもカラフルな数種類のフレーバー糊が限定販売され、ラズベリーやクランベリー類が描かれた甘酸っぱい香りの「初恋ベリー」のスティックは、自分の格別のお気に入りだったから。

 だけど……。夕子の胸に妙な不安がわいてくる。何かが引っかかる。そう、ベリーのスティック糊って……。いつしか彼女の目はルームメイトの香苗の姿を追っていた。
 昨日のロビーでの双子姉妹の荷物の仕分けの折。ペンケースに入れるでもなく、スーツケースの中で無造作に転がっていたベリーのスティック糊。自分はすぐに使い切ってしまったから、いいな~とうらやましく思っていたのだ。そして、スティック糊なら私が持ってるから、これはお姉さんの荷物の方にどうぞ、と言ってあげたのだ。

 としたら、あの早苗さんが犯人?

 まさか。でも、可愛い妹が良く知らないルームメイトの私と仲良くしてるのが心配で、私を陥れようと? 
 まさか。それとも、香苗ちゃん、相方が脱落すれば一人部屋になるから、私が邪魔だったりして? そういえば、夜中に私が歯ぎしりしてたって言ってたっけ。うるさくて安眠妨害だったのかも。昼間もブヒブヒ言って、本番前に私を笑い殺そうとしたよね?
 当の香苗は木管の仲間と和やかに話していて、こちらに目線を合わせようともしない。チームメイトが、ルームメイトが陰謀にあったってのに、なんの関心も示さないなんて。香苗ちゃん?

 夕子の動揺をよそに、Bの面々が騒ぎ出した。
「そんな味の、いや、香りのスティック糊があるのか」
「犯人はベリー・フレーバーのスティック糊を愛用してる人ってことですね」
「では女か!」
「どうして決めつけるんですか?」
「だって男はそんな甘ったるい糊なんか、持たないもの」
「では家捜しだ。A棟を奇襲しよう!」
「でも犯人なら証拠品なんて、とっくに捨てちゃってるでしょう」
「ベリー香に気づかれるなんて、普通は思わないだろうから、きっとまだ持ってますよ」
「Aチームに捜索の手を入れる前に、まずはうちらの潔白を証明しておかないと」
「今からすぐ。部屋に戻って互いの荷物をすべて目の前に出してもらおう」
「同室どうしでのチェックはダメですよ。もはや運命共同体。早ひと晩で情が移っちゃてるはずだから、告げ口なんてできないでしょう」
「いや、『相方が脱落すれば、一人部屋』なんだから、容赦なく通報しますよ」
「としたら、えん罪をでっち上げる可能性も出てきちゃうかな。一人部屋を狙って」
「バレたら間違いなく自分が脱落なんだから、そんなキケンは犯すまい」
「では部屋番号順に一部屋ずつ、ずれながら互いを捜索し合いましょうか」

「ちょっと待ってくださいよ」
 誰かが待ったをかける。
「皆が色ーんな物をしまい込んでる楽器ケースだってあるんですよ。しかも金管なんて、管の中にまで大切なものを隠し込んでたりしますからね。ちっちゃな糊のスティックなんて、どこにでも隠せちゃうんだし、証拠品の捜索なんて無理な話ですよ」
「そうだね。口の中にだって隠せるかな」
 と、管の誰かがほっぺたを膨らましてみせる。
「そもそも貼り付けに使った糊を自室に戻す時間なんて、あったかしら」
「そうだ。今も隠し持ってるに違いない。身体検査だ」
「どーしてBの仲間を調べなきゃならないんですか。筋が違うでしょ」
「ですから、Aを糾弾する前に、まず我々の潔白を──」

 とまで話が混乱したところで、情報を仕入れに席を外していたコントラバス奏者が飛び込んできた。「楽器さえ一緒でなければフットワークも身軽」が売りの、行動の素早い学生だ。

「Aチームの本番でも同じトラブルですって! コンマスの楽譜が」

 舞台袖のスタッフ連中は口が堅そうだから、ロビーでたむろしていた呑気そうなスタッフに、さりげなくかまをかけたら実に愉快そうな調子であっさり教えてくれたのだった。
 コンマスのとっさの判断で、隣の女の子とヴァイオリン弾きながらの、ぶっ飛びダンスで急場をしのいだとか。との報告に、「やられた!」と悔しがる者もいたが、多くの楽観者は、
「粋で華麗なラインダンスをみんな揃って披露したわけではなかったか」と、まずは安心する。

「どういうことだろう」
 別所が言った。
「つまり、ライバルの足を引っ張る意図ではないとしたら……」
「番組が仕掛けた罠だってのか!」
「我々を疑心暗鬼に貶める企みか」
「卑劣だ。卑劣すぎる」
「しかし審査員は驚いていたようだけど」
「演技ではないでしょう。審査員には知らされてなかったんですな」
「そうですよ、あの熱血漢の長岡幹氏が、そんな小細工を許すわけがありませんものね」
「これからも、そうした罠があるんだろうか」
「バトル、ですからね」
「そんなんで、純粋に音楽に集中できる?」
「抗議に行きますか。Aチームの代表も誘って」
「誰に?」
「誰にだろう。長岡氏は告げ口は好まないだろうし」
「それに本番以外の場での、審査員との接触は禁止されてるんですよね」

 それまで黙して成り行きを見守っていたラッパおやじの上之忠司が話をまとめた。
「まずは独白ルームでぶちまけるなどして、我々の抗議の姿勢は示そうじゃないか。その上で、もう少し様子を見てゆくか」



「やっと気づいたかね、ホームズくん」
 舞台上手の袖で喧々囂々やっていたBチームの一部始終を、音響調光室のモニターで監視していたディレクターの藤野アサミは、愉快そうにほくそ笑んだ。

 誰がホームズなんだろね? 脇にいた音響スタッフの青年は首を傾げたが、そうした突っ込みは許されないことも重々承知だった。そして彼女の横顔に、ホームズの永遠のライバルであるモリアーティ教授めいた底知れぬ悪意を感じ取り、ぞくっと身を震わせた。

 アサミの手の中では問題のベリー風味のスティック糊が、くるくるともてあそばれている。昨日、双子がロビーに落としていったものだ。
 ディレクターは番組の最後になっても明かされない習わしゆえ、彼女の顔は参加者には割れて折らず、初日のロビーの様子を直に偵察に下りていった時に足下で見つけ、普段ならそのまま軽く蹴飛ばして終わりになるところを、計画していた譜面貼り付けの陰謀に、フレーバー糊は混乱を招くのに好都合、とありがたく拝借した次第。
 彼女の支配下にあり、唯一事情を知る実行犯は、どこにでも目立たずに出没できる立場のステージマネージャー、岩谷であった。


 その夜遅く、熱血プロデューサー長岡幹と、鬼ディレクター藤野アサミの間で、それこそ誰一人おっかなすぎて近寄れない、壮絶な口論の大バトルが繰り広げられたことは言うまでもなかろう。




18.「みんなの独白ルーム」に続く...




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