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「オケバトル!」 21. 浮気男に、恋する乙女


  夜、中々眠ろうとしない悪い子どもがいると、
  どこからともなく砂男がやってきて、
  その子の目に魔法の砂をかけて眠らせてしまう……
   

           ヨーロッパの民間伝承より



21.浮気男に、恋する乙女



E.T.A.ホフマン作『砂男』

主な登場人物

・砂男に恐怖を抱く大学生 ナタナエル
・変幻自在の老人 コッペリウス=コッポラ
・ナタナエルの恋人 クララ

あらすじ

 幼い頃、父が実験中に爆死した要因は、家に出入りしていた老弁護士コッペリウスにあり、奴の正体は「砂男」に違いない。

 大学生ナタナエルの下宿先に現れた、押し売りの老人コッポラ。かのコッペリウスそのものではないか! 封印していた幼少時の忌まわしい記憶がよみがえり、ナタナエルの平穏な生活は否応なしに暗い陰にむしばまれていく。
 やむなくコッポラから購入した望遠鏡を覗いて見ると、ふと見えた向かいの窓辺。そこにはスパランツァーニ教授の娘オリンピアの、世にも美しい姿があった。
 魔法にかけられたようにナタナエルは彼女に魅せられ、大切な恋人クララの存在も忘れて虜になってしまう。

 しかしオリンピアは、スパランツァーニ教授がゼンマイ仕掛けを作り、コッポラが目玉を入れた自動人形であった。

 オリンピアをめぐる教授とコッポラの血みどろの争奪戦に巻き込まれ、狂乱するナタナエル。恋人クララや友人らの温かな支えで、いったんは正気を取り戻すも、たまたま登った市庁舎の塔で、ポケットにあったコッポラの望遠鏡を覗いた瞬間、ナタナエルは再び正気を失い、眼下の群衆にコッペリウスの姿を見つけるや、
「わあい、きれいな目玉、きれいな目玉だあ!」と叫びながら、塔から真っ逆さまに落ちてしまう。




「E.T.A.ホフマンの短編『砂男』の不気味な幻想怪奇物語が、いったいどうしたら《コッペリア》のような楽しくコミカルなバレエになるのでしょうねえ?」

 スタッフらの手によって譜面台に楽譜が次々と置かれていき、リハーサルの準備がそろそろ整いつつある舞台にて、リポーター宮永鈴音がバトル三日目の第一曲について語っている。
「そして今回はサプライズなことに、ダンサーの登場となるようです」
 声を少し落とし、バトル参加者にはまだ知らせてないといったニュアンスを示してから、
「実に楽しみですね」
 と、ふわりと舞ってみせる。
「このバレエの主人公スワニルダは、婚約者のフランツが最近、別な女性に夢中な様子に気もそぞろ。彼の恋のお相手とやらは、コッペリウス家のバルコニーで優雅に読書にいそしむ美しいコッペリア。
 今朝の課題曲は、前奏曲と、幕が上がって、スワニルダが窓辺のコッペリアを気にしながら可憐に踊る、通称『スワニルダのワルツ』の二曲となっています」

 ここで司会は台本どおりに話を終えるが、
「それにしても……」
 と、舞台から下手にゆっくり歩みを進めつつも、振り返り気味にカメラ目線を外さないので、撮影隊も彼女の姿を追ってゆく。
 鈴音は首を傾げ、
「バレエのストーリーでは、コッペリアが実は人形だったと判明して、スワニルダとフランツは『なあんだ』とばかりにすんなり仲直り。翌日には結婚式にまでこぎ着けちゃうのですが......」
 それから足を止めて完全に振り返り、腰に手を当ててふくれっ面。

「あたしだったら浮気男なんて、絶対に許さない!」

 予想外の司会の発言。小悪魔のようにぷりっと怒っているものの、どこか可愛げな言いように、ぷっと吹き出してしまう撮影スタッフもお構いなしに、鈴音は続ける。
「どんなに愛した男であろうともね。恋敵がたとえ木偶の人形であったってね。永遠に、許しはしまい。
〈白鳥の湖〉のオデットとかもそうだけど、オペラやバレエなんかに描かれてるホント甘すぎる女性像を見ると、イライラするのよね」
 と、そこまで言い放ってから、これから演奏される音楽や、スワニルダというキャラクターの印象を損なってはいけないと、司会者の思考で判断し、心にもないひと言も一応つけ加えておく。
「まあ、そうしたヒロインはそれだけ素直で純真、だから愛される。ということなのでしょうかねえ」



 そうした純真さを絵に描いたような無垢すぎる女性参加者が、Bチームに約一名。前回の《地獄のオルフェ》で、コンサートミストレスを務めた会津夕子である。

 昨夜はルームメイトの香苗の顔がまともに見れなかったし、ろくに話もしなかった。彼女が一生懸命色んなおしゃべりをしてても軽く相づちを打つ程度で、「恐怖のソロや、慣れないコンマスで神経使って疲れたから」と、早々にベッドに倒れ込み、頭からブランケットをかぶってしまったのだ。

 本来なら、
「隣で支えてくれた別所さんに参ってしまったの」
「えー? 夕子ちゃん、ランチの時は『ミッキーくん、可愛いのにかっこ良くてステキ』って言ってたくせに?」
「ミッキーも良かったけど、別所さんみたいに大人な、頼りがいのある人がそばに居てくれると、もう何も怖いものなしって感じで。あたし、もうダメかも」
「ミッキーも別所氏も、見た目も性格も正反対のタイプなのに! もしかして、基準的に誰でも良かったりする?」
「実は……、才能ある人にやたら惹かれてしまう習性に加えて、優しくされるとイチコロっていうのが、自分の最大の弱点らしいんだあ」
「それってアブナーイ。バトル中はみんなライバルなんだから、しっかりしてよね!」
 なんて、うきうきとおかしくも楽しい会話がなされたはずだったのに。

 しかしベリー風味のスティック糊のせいで、同じBの仲間で友人にして、ルームメイトの香苗さんや、彼女のお姉さんまでを一瞬でも疑ってしまった自分が許せなくて自己嫌悪。すっかり落ち込んでしまう。
 朝食もパスしたのを心配した香苗が、軽くつまめるフィンガーサンドとカットフルーツを朝食ビュッフェから調達してきてくれて、そのまま早朝の音出しに出て行ってしまったので、夕子は涙ぐみながら一応おなかに入れるが、そうしたルームメイトのさりげない思いやりは、余計に彼女を落ち込ませてしまう。
 こんな時こそ別所さんに頼りたい。だけど優しい彼のこと、内心は軽蔑しても、
「当然、誰だってそう思っちゃいますよ」
 とか言って慰めてくれるんだろうな。でも、そんなことされたら、余計に大泣きしちゃいそう。話すとしたら、人目のない場所でないと。

 どんなに落ち込んでいようとも、恋の原動力というものは人に勇気を与え、行動を起こさせる力がある。廊下やリハ室の前辺りで別所氏にバッタリ会えやしないかと、夕子は気を取り直してさっと身支度し部屋を出る。
 残念ながら、彼の姿は見当たらず。リハーサル会場には既に多くのメンバーが集っており、涙ながらの打ち明けチャンスはなさそうだ。
 Aチームのダンスは大ウケだったらしいから、またしてもBチームの負け、としたら、例によって順当にいけばコンサートマスターが脱落なのだから、バトルから逃げ去るにはちょうどいいのかも知れない。

 そんな夕子の思惑に反し、今回の引き分けは誰の責任でもないのだから、コンマスや首席など、上に立った責任云々は関係なしに、弦楽器の中でまだ人数の減っていない低音部からくじ引きでいけにえが出されることに話が進んでいた。
 結果、コントラバスの女性が貧乏くじを引き当ててしまったが、
「まだ首席も務めてないし、去りたくない。パーカッションでもピアノでも何でもやりますから降ろさないで」
 と、必死で懇願して駄々をこねるも、くじで決まったからには容赦できませんと、パート仲間の大柄男性二人に、逮捕された容疑者のごとく両脇を固められ──三人目は彼女の楽器や小道具を持って──、引きずられるように部屋を追い出されて行った。
 順番に従い、今度はセカンドヴァイオリンの最後尾、ヴィオラの隣に安心して席を落ち着けていた夕子であったが、コンバス彼女の哀れすぎる様子にいたたまれなくなり、引っ込み思案を乗り越えて、
「私が代わりに降ります!」と立ち上がる。
 しかし、ただでさえ既にパーカッションに幾人か回っているわけだし、ヴァイオリンからはもはや一人も落とせないという理由や、あんなに素晴らしいオルフェのソロを弾く優秀なヴァイオリニストは、うちのチームに残ってもらわないと、との意見に押しとどめられる──もちろんヴァイオリンからは、そうした意見は出されなかった。優秀なライバルには消えていただいた方が我が身には有利なのだから。

 脱落者決定の報告を受け、Bチームにも課題曲が《コッペリア》であるとの連絡が入った。あーだこーだと一同がざわつく中にふと、しっとりと落ち着いた弦のメロディーが流れ出した。
 いぶし銀のような音色と、胸を打つ穏やかなテーマに、誰もがはっと息を呑む。
 音の主はヴィオラ後方の青年。わずか八小節ほどのフレーズが奏でられただけなのに、これほどまでにぐさりと、魂までに響く効果を生み出すとは。課題曲が《コッペリア》と聞いて、つい嬉しくなって劇中の曲を弾いてしまった当人にも思いもよらぬ事であった。
 全員がシーンとなって自分に注目していることに気づいた彼は、
「ああ、すみません」
 と、はにかみながら言い訳した。
「このアダージョ、残念ながら今回の課題ではないけれど、ぼくらヴィオラ族にとっては、貴重なソロの曲なので」

 ヴィオラの仲間は当然のこと、この場に居る大半の者はその曲が《コッペリア》の一節と分かっていたが、夕子のように学生の身分だったりと、あらゆる楽曲にまだまだ精通していない者も幾人かはいる。それでもオケ人のプライドから、たいていの者は「それ、なんの曲ですかあ」なんて尋ねるのを躊躇するのだが、夕子は頬に伝うひとすじの涙を吹きもせず、青年に「今のは?」と素直に尋ねた。
「フランツとスワニルダの、幸せあふれる終盤のパ・ド・ドゥで、『平和の踊り』とも題されてますよね」
 夕子が無知である印象を周囲に与えないようさりげなく気を配り、青年は続けた。
「ヴィオラって元々、オケ楽曲の中では中間音ばかりで、メロディーは滅多に回ってこないし、ましてやソロなんて、数えるほどしかないんですよ」
 それから天上を見上げて憧れのため息をついた。
「ああ! このバトルでも、こんな曲が弾けるチャンスがあったらなあ!」

 印象深きメロディー効果も手伝って、会津夕子、今度は自然体のヴィオラ青年に完全にヤラれてしまったようだ。



22.「彼女が無言であるワケは?」に続く...


★  ★  ★   今回の脱落者   ★  ★  ★

Bチーム Contrabass女性  活躍の機会もなく貧乏くじ



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