カフェは「時代遅れ」なのか

この記事が少し反響がありまして、、

多かったのは「エモい」という感想。ちょっとピンポイントな話と時代性の話でもあったので刺さる人に刺さった、という感じで。当時たくさんカフェに行ってた人とか。

twitterでも結構話題にしてもらって嬉しいんですけど、読み返してなんと無く気持ち悪いな、という箇所があったので加筆修正しておきます。


みなさんカフェには行きますか?
喫茶店でも、レストランでも、コーヒーショップでもなく、カフェ、です。

僕は仕事柄、というのもあるけどもともとカフェがすき!から入ったので、もちろん行くことがは多いです。
お腹空いたり、コーヒー飲みたいとき、友達との再会、読書。

なんでもできる!そんなところが昔から好きで。


少し脱線しますけど、パリにフローレというカフェがあって、とても好きです。
ひとりで朝にコーヒーとクロワッサンっていうのが良い。
(バターが全く違うんで味も全然ちがう)

フローレのようなカフェと日本のカフェでは大きく性格も存在価値も違う、と。
ここでで書いているカフェというのは、日本で2000年代に流行り出したカフェのことをさしていて、ヨーロピアンな、暮らしや文化、生活に根ざしてしまった伝統芸能の様なカフェは一旦置いておいてもらうと嬉しいです。
2000年代に流行りだしたカフェはそういったヨーロピアンなカフェに対する「アンチカフェ」として作られていったのです。
モノトーンで無骨で格好いいイメージ。
食堂の役割を兼ねていたり、夜遅くまでやっていて大人の遊び場でもあった。


僕は大学生の時、はじめて東京で一人暮らしをしていて、それである日、友達が
「渋谷のカフェでランチしよ〜タコライスが美味しいよ〜」
と連れて行ってくれたんですけど、それがカフェの原風景であり初体験。
僕は青森生まれ宮城育ちですごい田舎者だったわけで。
ダイエーの地下のドムドムバーガーによく行ってました。ミスタードーナッツとか。
それが急に渋谷のカフェに連れて行かれて 「なにこれ格好いい!!」ってなるわけです。

あの時は本当に感動した。初めて海外に行った時のようなカルチャーショックがあった。
メニューも、内装も、店員さんの出で立ちや、振る舞いもBGMも全てが新鮮だった。特に2000年代前半は1番ムーブメントが起きていた時で、どのお店もすごいオーラがあった。かっこよかったんです。
飲食店っていう円の中だけど、すごい異端な感じがして…そこからですね。僕のカフェに対する執着は。


タイトル、カフェは時代遅れなのか?ですが、結論を言ってしまうと時代遅れです。悲しいけれど、僕が憧れていた、愛したカフェは時代に取り残されてしまった。

今はコーヒースタンドが全盛。ベーカリーショップとかビストロとか、そうゆう時代。小さくて、強い店の時代。
カフェというものは時代のムードから取り残されてしまった。
実際僕がよく行っていた名の知れたカフェはどんどん無くなっていきました。

代官山eau cafe
渋谷 flames
代官山drole
渋谷C65カフェ
渋谷 dexee diner
青山 aocafe
青山 dragonfly cafe
渋谷soma

などなど、もっとあります。

どれも名だたるお店です。もしかしたら東京に住んでいた方や、カフェが大好きな方は耳にしたことがあるかもしれませんね。

代官山dexeediner

今は、カフェを紹介する本を見てもコーヒースタンドとパンケーキの写真ばかり。
でも、仕方のないことです。
だって、カフェは必要とされなくなってしまったのだから。

そもそもなぜ減っていったのか、ですが

①利益が出にくい
長時間の滞在に対しての売り上げが割に合わない。
営業時間も長く人件費もかかる上に原価はレストラン並み。物理的になかなか厳しいビジネルモデルであるということ。

②内実が伴っていなかった。
長い目で見て
「このメニュー、味、サービスではちょっと」
っていうことを言う人が内部にいなかった。売り上げになる。現金になる。お客さんに対して、上から目線にもなる。ブームに火がつきまくる中で、正直気持ちのいいサービスとか接客をしてくれたお店はそんなに多くはないです。お店の慢心、油断があった。


当時に比べて、今の時代いいサービス、いい商品は当たり前。標準のスペックです。
今となってみるとカフェブームで興ったお店たちは標準のスペックすら持ち合わせてなかった。雰囲気で勝負みたいなとこはあった。



沢山のお店がなくなったけど、カフェは死んでいない。
味も、サービスも普通で、内外装だけ小洒落たお店ではもうやっていけないけど、解決策はある。

前回も書きましたがコミュニティです。
誰から買うのか?
商品(味やサービスの言い換えですね)に共感するのではなく、人やストーリーに共感する、親近感を持つ。
ということは、人やストーリーを伝えるシステムがあればいいということなんですけど、それがまた難しい。


うちにマックスというフィンランド人とブライアンというアメリカ人の常連さんがいるんですけど彼らは1日に3回くらい来店してくれる。(うちのことをとても評価してくれてありがたいんです)

彼等のカフェの使い方は日本のソレとは全く違う。いくらかカフェの位置付けが違うんですけど実はそのへんもチャンスがありそうです。


カフェ、本当に好きなんですけど、なくなっていく一方で新しく乱立していくわけでもなくて。寂しいんです。あとやっぱり純粋に格好いい店が減った。これからの若い子たちに期待ですね。


もちろん、僕も頑張ります。


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